53.なんとなくわかるけどさ

 病院は三階建ての鉄筋造てっきんづくりで、確かに人も多かった。


 ナドルシャーンを見て軽く騒ぎになりかけたが、ヒューゲルデンは無遠慮ぶえんりょに階段を昇って行った。


 そして三階の端の、研究室の札がかかった扉を、やはり無遠慮に押し開いた。


 部屋の中で顕微鏡けんびきょうをのぞいていた人物が、じろりとヒューゲルデンをにらんだ。


「珍しいな、皆殺みなごろしじじい。ようやく自分の番が見えてきたか」


「ぬかせ、骸骨がいこつじじい。おまえさんより先にくたばるもんかよ」


 せた身体に白衣を着て、大きな黒縁くろぶち眼鏡めがねをかけている。


 背格好せかっこうからして、ヒューゲルデンにじじい呼ばわりされる年齢でもないのだろうが、髪もひげもなく肌もしわがれて、確かに年老いた骸骨がいこつを連想させた。


 その骸骨的がいこつてきな人物が、ヒューゲルデンの後ろの面々を見て、少し意外そうな顔をした。


「おまえまで、なんの用だ? 嫁の顔でも見せに来たか?」


「え? 嫁? 誰、あたしのこと?」


「ざれ言だ、気にするな」


 ユッティの横でナドルシャーンが、ひたいに手をあてていた。


「プリルヴィット先代皇帝、父だ。こんな所に雲隠くもがくれされていたとは……あきれたものだ」


「なんだ、知ってて来たのではないのか。どこぞに出かけていれば良かったわ」


 口をひん曲げたプリルヴィットの眼前に、ナドルシャーンがマリネシアの星を突きつけた。


 マリネシア皇帝位継承のあかしとされてきた、六条ろくじょうの光の星を浮かべる星蒼玉せいそうぎょくと、息子のあおい瞳とを、プリルヴィットが交互に見た。


 やがて、大きく嘆息たんそくした。


「おまえには、皇帝位を継承する気がないと思っていたが……」


「あなたがこれから吐く、ざれ言の内容による」


「……我らマリネシアの皇統こうとうは、白人どもの歴史よりはるか以前から、男子の系統によって継承されてきた。男系だんけいの血筋だ。女皇帝じょこうていは何人かいたが、女系皇帝じょけいこうていはただの一人もいなかった。この違いがわかるか?」


 ナドルシャーンも含めて、プリルヴィットの問いに答える者はいなかった。


 黒縁眼鏡くろぶちめがねの向こう側が、出来の悪い生徒を前にした教師のように細められた。


「男子が皇帝となって嫁をとり、子供が生まれる。男子であれ女子であれ、この子供は男系だんけい皇統こうとうだ。仮に女子として、次に女皇帝じょこうていとなって婿むこをとり、また子供が生まれる。男子であれ女子であれ、この子供は女系じょけい皇統こうとうだ」


「ええと……お嫁さんやお婿むこさんは余所よその血筋だから、本人の性別じゃなくって、皇統こうとうの親がどっちの性別か、って話ね?」


 ユッティが代表して、まとめた。


「そうだ。適齢てきれいの男子がいない時などに、女皇帝じょこうていが出ることはあった。だがその次は、父親か祖父か、男系だんけいをさかのぼってその兄弟なり従兄弟いとこなりの分派ぶんぱから、必ず男系だんけいにつながる男子を皇帝とした。従ってどんなに世代を重ね、枝分えだわかれしようと、男親の血筋が一本のみきのように連なって、はるか古代まで確実に続く」


「他の国も似たようなもんじゃないの?」


「違うな。特に環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんなんざ、王家同士の婚姻こんいんを重ねて乗っ取ったり、その時々の有力者に跡目あとめを継がせたりで、ごちゃごちゃさ。フェルネラント皇室こうしつだって、養子だの継子ままこだの、おおらかなもんだ」


 ヒューゲルデンが笑う。対照的に、プリルヴィットは一層、口をひん曲げた。


「ここまでなら、まだ古くさい伝統で話がついた。私は、皇帝になる前から医学をかじっていてな。それで退位した後は、ここで隠居していたのだが」


 壁に並んだ本棚から、研究記録のようなものを引っ張り出す。


「最近、あちこちの国で、染色体せんしょくたいというものによる遺伝形質いでんけいしつの研究が進んでいる。簡単に言えば、親子が似ることの仕組みだな。そして同時に、この染色体せんしょくたいの種類と挙動に、子供の性別を分ける機能もあることがわかってきた」


 プリルヴィットの説明を要約すると、個体生命が生殖活動を遺伝形質いでんけいしつを次代に継承する際、生体情報の運び手となるのが染色体せんしょくたいであり、それは人間の場合、23組46本で構成される。


 この内の1組が性別の情報を含み、男の場合はYとXの二種、女の場合はどちらも同じXと便宜的べんぎてきに呼称する。


 23組の片方ずつを両親から受け継ぐ仕組みのため、性別は男親からYとXのどちらを渡されるかで決定する。


 つまり、男親と男子のY染色体せんしょくたいは共通しており、男系だんけいの継承を続ける限りどれだけ遠縁とおえんであっても全員が同じY染色体せんしょくたいを保有していることになる。


 女系じょけいで継承されるX染色体せんしょくたいは、次々代には継承されず消えるか、外来がいらいしたX染色体せんしょくたいと判別できなくなる。


 マリネシアの皇統こうとう堅持けんじしてきた男系継承だんけいけいしょうは、明確な一つのY染色体せんしょくたいを、古代から現代まで変わらず保有する世界で無二の存在ということだ。


「んー、そりゃ人類文化的にすごいってことは、なんとなくわかるけどさ……ぶっちゃけ、どんな現実的な価値があるのかしら? その遺伝形質いでんけいしつが超天才とか、空が飛べるとか、そういうわけでもないんでしょう?」


「当たり前だ。現象は現象であって、その本質に意味も価値もない。そういうものを後付けするのは、人間の価値観だ」


 ユッティの大雑把おおざっぱな疑問に、プリルヴィットが、苦々にがにがしげに言い捨てた。


「価値を認識しない者にとっては、あってもなくても良いものだ。おまえ達や、息子のようにな。だが、伝統や継承に大きな価値を認識する者にとって、それらは羨望せんぼうし、渇望かつぼうし、もはや自分の手に入らないとなれば否定し、破壊せずにはいられないものとなる。そら、そこの白人のようにな」


 あごで示した先で、カザロフスキーの顔が苦渋くじゅうにゆがんでいた。

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