52.我々も役割を果たすとしよう

 食堂の、開いた窓から差し込む陽射ひざしの中で、ユッティがリントを横に、メルルと遊んでいる。


 こういう場合は、メルルも心得こころえたもので、時々ユッティの視界が他の人間をとらえるように、立ち位置を移動していた。


 ヒューゲルデンもまた、のんきな顔で茶を飲みながら、抜け目なく観察の視線をくばっていた。


 カザロフスキーは、まだ具合が悪そうにたくに突っ伏して、何杯も水を飲んでいる。


 ナドルシャーンは椅子いすに深く腰掛け、目を閉じている。マリリは全員を見渡せる位置に立って、手を後ろに組んでいた。


「同調した一羽の視覚情報を確認した。アルメキア軍はすでに西海岸の南端に上陸している。ジゼル達が交戦に入ったようだ」


 ユッティもマリリも表情を変えない。


 バララエフは神霊核しんれいかくに同調した情報部の人間だが、カザロフスキーには、少なくとも警戒するべき兆候ちょうこうがない。


 ジゼルの指示に反しても、危険を押して動く時だった。


「状況は想定内だが、哨戒しょうかいよりも捜索そうさくに注力したため、発見が遅れた。その穴をジゼルが埋めている。我々も役割を果たすとしよう」


 リントが窓枠まどわくに乗った。


 にゃあ、と鳴いた声に、みゅう、と応答が返る。羽ばたきがして、一羽の海猫うみねこが、星蒼玉せいそうぎょくの輝きと共に舞い降りた。


 ヒューゲルデンとカザロフスキー、ナドルシャーンがそろって、唖然あぜんと目を見開いた。


 腰を浮かせたカザロフスキーを、マリリが、首筋に小刀しょうとうをあてて制した。静かな表情だった。


 ユッティが海猫から星蒼玉せいそうぎょくの首飾りを外し、ナドルシャーンのてのひらに乗せる。


 何が起きたかわからないという目で、ナドルシャーンがマリネシアの星を見つめた。


 ヒューゲルデンも、言葉を探すのに数瞬を必要とした。


「こいつは、本当にたまげた……。おまえさん達、本物の魔女か?」


「そう。フェルネラント帝国陸軍特務部隊、猫魔女隊よ。戦場で鳴き声が聞こえたら、覚悟することね」


 水着の左胸、部隊徽章ぶたいきしょうに手を添えて、ユッティがヒューゲルデンに向き直る。


「でも、ここまではただの過程よ。答え合わせは、お願いするわ」


 有無を言わせない口調だ。


 ナドルシャーンとカザフスキーも、ヒューゲルデンを見る。海猫が一声鳴いて、飛び去った。


「まったく……娘が娘なら、愛人も愛人だな。ウルリッヒ坊やめ、大したもんだ」


 ヒューゲルデンが、肩をすくめた。


「案内しよう」


 立ち上がり、歩き出す。


 ユッティとナドルシャーンが並んで歩き、カザロフスキーと、小刀しょうとうを納めたマリリがついて行く。


 メルルがマリリの肩に乗って、最後にリントが続いた。


 食堂の外に出ると、いくつかの建物を迂回して、敷地の陸側の端に向かう。散歩のついでのように、ヒューゲルデンが説明した。


「この軍港は、前にも言った通り、元はフェルネラント海軍の施設でな。あそこは病院だ。今は診療費を国持くにもちで民間に開放してるから、場合によっちゃ、忙しいかも知れんが……」


 分厚い肩越しに、ヒューゲルデンの目がユッティを見た。


「ところで、おまえさん、唯一神教ゆいいつしんきょうの教義は知っているかね?」


「どうかしら。通り一辺倒のことなら、聞きかじっているけど」


「それで良いさ。神が世界を造った話の中に、神は、自分の姿に似せて人間を創造した、って一節があるだろう?」


 ユッティがうなずいた。


 ほとんどの構成国家が国教にしている環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんの人間でなくとも、一般教養として広まっている程度の知識だ。


「では神の肌は、何色かね?」


 ヒューゲルデンの問いに、ユッティがしばらく言葉を失った。


「え……だって、人は人でしょ? 何色でもありじゃない?」


「白だっ!」


 叫んだのは、カザロフスキーだった。


 今度はユッティが、唖然として目を丸くした。


 唯一神教は発祥はっしょうこそ古代イスハリ山脈の文化圏だが、現在は環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんで広く信仰され、信徒も大多数が白色人種だ。


 白色人種発祥の宗教と誤解している者も、実のところ少なくない。


 だからイスハバートでは、民族の抹殺まっさつではなく、浄化じょうかが必要だったのだ。


 唯一神教の教義が有色人種から発祥したのであれば、神が創造した最初の人間は有色人種であり、神も有色だ。


 白色人種は、神が自身の姿に似せた人間の亜種あしゅであり、神から遠い存在だ。


 それは現在の唯一神教の主流派にとって、決して受け入れることのできない論理だった。


 有色人種の単一民族を、唯一神教の伝説の中に残してはならない。


 混血の進んだ曖昧あいまいな民族として現存させることで、初めて、元は白色人種だったかも知れない、という強弁きょうべんが可能になる。


 これがイスハバートに対する環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんの、白色人種の、怖気おぞけをふるうような悪意の正体だった。


 マリリが一瞬、足を止めた。だが、それだけだった。

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