50.おもしろくはなりそうだな

 東の水平線に、がのぞく。ジゼルが砂浜に立っていた。


 前後左右、猫の視点の高さでも、視界がよく開けている。人間は一人だ。


「こうも部外者が多いと、あなたと話すにも気を使います」


「賢明だ。ヤハクィーネが言うには、私ほど自我と積極性を示す神霊核しんれいかくは、他にないそうだ。少なくとも現時点では、特異性を持つ大きな戦術優位せんじゅつゆういと考える」


 リントが、にゃあ、と鳴いた。訳すような意味はない。ジゼルへの応答を、よそおってくれているのだ。


 ジゼルが、口に手をあてて微笑んだ。


「では、その戦術優位せんじゅつゆういの報告を聞きましょう」


 この島には同族が存在しない。一個体の行動範囲には限りがあった。


 それでも森の樹上じゅじょうから見渡せば、遠く西に広がる、なだらかな海岸線を確認できた。


 宮殿と政務中央は東岸、やや北寄りだ。軍港は南岸の端、本島の北西にはマリエラ群島が連なり、その先にはフェルネラント帝国領とカラヴィナがある。


 アルメキア共和国本土、アルティカ大陸は遠く外洋をへだてた、東の先だ。


 フェルネラント帝国海軍がマリネシア本島を離れたこと、創設直後のマリネシア海軍にまともな艦艇かんていがないことは、周知の事実だ。


 マリネシア本島に、アルメキア軍がひそかに上陸しようと思えば、太陽道直下たいようどうちょっかを大きく南に迂回うかいして西岸に着ける可能性が高い。


 昨日の集団繁殖地には、マリネシアの星を持った個体はいなかった。


 海猫うみねこを含む多くの鳥類は昼行性だ。睡眠を邪魔して悪いとは思ったが、複数個体と同調し、こちらの意図を伝えた。


 目標個体は別の生活集団に属しており、時間はかかったが、情報だけは得られた。


 外せない重量物に辟易へきえきしているらしく、状況を説明、接触をうながしてくれるむねを依頼することができた。


 無論、報酬は新鮮な食事の提供で、順調に進行すれば昼の前というところだろう。


「いつもながら、あなたの働きには頭が下がります」


 ジゼルがリントを抱き上げ、顔を寄せる。


「先生とマリリにも、情報を共有して下さい。可能な限り他者のいない状況で、会話も避けるようにお願いします。相手は情報部です、細心の注意を」


「了解した」


 すぐさま行動しようとしたリントを、だが、ジゼルが妨害した。


 的確に動きを制して、ほおをすりつける。


「それはそれとして、もう少し良いでしょう」


 文脈は理解できないが、まあ、満ち足りた表情をしているので良しとした。


 朝食には、さすがに麦酒は並ばなかった。


 カザロフスキーだけは青黒い顔でうめいていたが、ユッティ、ヒューゲルデンを始め、他も全員けろりとしたもので、ジゼルとマリリが、またあきれた顔を見合わせていた。


 カザロフスキーもバララエフも、今となってはロセリア軍の、薄茶色の野戦服やせんふくを着ている。


 アルメキア軍の予想上陸地点については、認識が一致した。


 先行偵察せんこうていさつとして乗って来た軍用車を使用し、ジゼルとバララエフが向かうことになった。


 ユッティが、一応心配する。


「二人だけで大丈夫なの?」


「場合によっては斬り込みます。機動性と柔軟性を重視しました」


「またまた! 冗談きついな、ジルは」


 バララエフは笑ったが、やはり、他の誰一人として笑わなかった。どうもこの集団には、冗談で他者を笑わせる能力が欠落しているらしい。


「他の方々は、私達からの連絡があるまで、ここで待機を。アルメキア軍がいなければ秘宝の捜索そうさくを、上陸を開始しているようなら、規模に応じて対策を相談して下さい」


「ふむ。まあ、どっちに転んでも、おもしろくはなりそうだな」


「私は宮殿に戻る」


 のんきなヒューゲルデンと対照的に、ナドルシャーンが、思いつめたような声を出した。驚くマリリと、そしてジゼルを、順に見る。


「おまえは昨日、私に決断をさせなかったな? ロセリアもアルメキアも、結局は皇統こうとうの争いに乗じた外乱勢力がいらんせいりょくだ。私が決断をしてしまえば、ルシェルティは……」


 ナドルシャーンの言葉をさえぎって、ジゼルが自分の唇に、一本指を立てた。


「せめて今日の一日、私達にあずけて頂けないでしょうか。決断は、時が来れば否応いやおうなくせまられるもの……それまでに最善を尽くすのが、戦いです」


 ジゼルがマリリに向き直る。マリリが、力強くうなずいた。


「お兄様を頼みましたよ、マリリ。先生も、以後の指揮をお任せします。特にカザロフスキー……元少佐には、おかしな真似まねをされないよう、目を光らせておいて下さい」


「う……うるさい……っ! 遠回しに、虚仮こけにするな……っ!」


「はいはい。まったくうちは、皇子殿下おうじでんかが無責任で、隊長が無鉄砲ときたもんだから、中間管理が大変だわよ」


 ユッティとマリリが目配めくばせをする。バララエフもヒューゲルデンも、仕草しぐさには気づいているが、それだけだ。


 隠密行動、周辺警戒、観察力、そのすべてにおいて、全生命の集合知しゅうごうちに連結した猫に比肩ひけんする存在はない。


 リントが、にゃあ、と、メルルが、にゃ、と鳴く。


 ジゼルの言葉を借りれば、すでに最善を尽くしている。後はただ、生きるか死ぬかだ。

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