45.あの娘には嫌われているようだ

 みゅう、みゅう、と、確かに鳴き声が猫に似ている。さりげなく、ジゼルがナドルシャーンとの距離を確認した。


「彼らと、意思の疎通そつうは可能ですか」


「直接触れることができれば、生体情報の解析は可能だ。やってみよう」


「それには及びません」


 すい、と、マリリが横を通り過ぎた。


「まず、私が見て回ります。昨日の件もありますので、ジゼル様は周辺警戒をお願いします」


 とりなすように、マリリの肩で、にゃ、とメルルが鳴いた。ジゼルも苦笑して見送った。


 ナドルシャーンが並んできて、同じように苦笑した。


「あのむすめには嫌われているようだ」


「そういうわけでは、ないと思いますが」


「なに、気になる? お兄様」


 ようやく追いついたユッティが、大きく息を吐いて座り込む。


「あの子はイスハバートの出身だから、色々と心中、複雑なのよ。きっとね」


 イスハバートの名を聞いて、ナドルシャーンの目にも、複雑な光がゆれた。


 三年間の闇の中でイスハバートに吹き荒れた凄惨せいさんな現実は、今、ようやく情報となって世界に知られつつあった。


 それは弾圧と暴力、虐殺ぎゃくさつ凌辱りょうじょく、民族の存在そのものに向けられた残酷な悪意だった。


 同じく軍事力に屈し、他国の支配を受け入れざるを得なかったイスハバートとマリネシアの両国に、だがその後、訪れた運命はまったく違っていた。


「良い子ですよ。素直で優しくて、強い。だから時間がかかることもありますが……許してあげて下さいね、お兄様」


 ジゼルの言葉に、もう訂正する気力もないのか、ナドルシャーンは無言でまゆをしかめるだけだった。


 マリリは巣を足蹴あしげにしないよう気を配りながら、歩いては立ち止まり、目を走らせて、また移動することを繰り返した。


 時々、メルルが情報を補足ほそくしているようだ。


 岩場の半分ほどを見回った時、マリリの目がジゼルを見た。ジゼルもうなずき返す。


「先生、お兄様、もう少し森から離れて下さい」


 リントが、にゃあ、と鳴いてうながす。マリリも、自然な足取りで戻って来た。


 森から三々五々さんさんごご頭巾ずきんで顔を隠した男達が現れた。


 手には身長ほどの木の棒を持っている。軍服は着ていないが、互いの距離の取り方、目配めくばせと動きは、訓練された者のそれだった。


 だが、展開が遅い。練度れんどは大したことがないようだ。


「一応さ、余所様よそさまの庭なんだから。昨日よりは、気持ち多めに遠慮できないかしら?」


「考慮します。マリリ」


「了解しました」


 言うが早いか、地表の影のように、身を沈めてマリリが踏み込んだ。真正面の男の足をり払い、棒をひったくる。


 すぐさま隣の男に、ひったくった棒での、同じ下段への打ち込みと見せて軌道を跳ね上げ、相手の棒を持つ手をしたたかに打つ。


「ジゼル様」


 最初の棒をジゼルに投げ渡し、次の男がたまらず落とした棒を、器用に蹴り上げてつかむ。


 ジゼルも棒を手にした瞬間、見もせず真横の男の、眉間みけんをまっすぐに突いた。


 それからはもう、いっそ見物みものだった。


 ジゼルの指導の賜物たまものか、マリリの動きは以前のような野放図のほうずに見えて、鋭く相手を仕留める峻烈しゅんれつさを得ていた。


 驚くほどの大胆さで飛び込み、舌を巻くほどの打撃を振るう。


 後ろを散歩のように歩くジゼルが、マリリの取りこぼした相手を、無造作に叩き伏せる。


 ユッティはメルルを抱いて座ったまま、ナドルシャーンは呆然として、舞台活劇さながらの立ち回りに見入っていた。


 合わせて十四、五人ほども地面に寝かせた後、ジゼルが手を止めた。マリリも、少し遅れてジゼルと同じ方を見る。


 明らかに気圧けおされて立ちすくんでいる残りの男達の中から、派手な柄物がらもの頭巾ずきんが進み出た。


 周囲に比較して、身体の上下は頭一つ低いが、幅と厚みは倍もある。ゆったりと広がるような長袖の服で、持っている棒も太く、短い。


 ジゼルが、突いた。


 ユッティとの口約束を反故ほごにした、それなりに全力の突きだった。


 柄物頭巾がらものずきんの棒が受けた。受けて、巻きつくようにうねり、ジゼルの棒を引き込んだ。


 ジゼルも踏み込み、触れて一体になった相手の重心を、逆に押し崩す。相手も流して、二人の立ち位置が入れ替わる。


 棒と棒が触れた一点は離れず、固着したように引き合い、押し合い、二人の中間を目まぐるしく移動する。


 ついに静止して、柄物頭巾がらものずきんが感嘆の声を上げた。


「こいつはたまげた! 重心の極意ごくいなんぞ、誰に習った?」


「言っても信じませんよ、きっと」


 ジゼルが笑って、棒を引く。


「お父さまも皆さまも、そろって隠し立てなさるんですもの。苦労させられました」


「そう言うな。ウルリッヒ坊やはああ見えて、怒らせると無茶苦茶やりおったからな」


 柄物頭巾がらものずきんを取った下から老人の、やはり笑顔が現れた。


 ひたいが大きく禿げ上がり、残った髪も真っ白に近い。日焼けしてしわだらけの顔が、子供のように闊達かったつだった。


武門筆頭ぶもんひっとうの権威で皆をおどかしてまで、おまえさんを、武術なんぞに深入りさせたくなかったんだよ。親の気遣きづかいを無にしおって、不孝者ふこうものめ」


「なになに、知り合い? って言うか、ウルリッヒの知り合い?」


「ふむ。おまえさんは?」


「ユーディット=ノンナートン、ユッティって呼んで! ウルリッヒの愛人で、この子の継母ままははになり損ねた女、よろしくね!」


「先生」


 ジゼルが咳払せきばらいをする。老人のまゆが面白そうに跳ね上がったのを、多分、あえて無視した。


「こちらは、武門としては父の師匠筋ししょうすじから分派された流れで、私も何度か御指導頂きました。ヨアヒム=ヒューゲルデン元男爵もとだんしゃくです。確か海軍を退役たいえき、隠居なさっていると聞いておりましたが」


 ユッティが、少し考える顔をする。


「男爵、海軍……ああ、あの皆殺みなごろしヒューゲルデン?」


「その汚名は記録更新が止まっとる。老いぼれの厄介者やっかいものはもうらん、と言われたからな。今はここで世話になっとるのさ」


「それじゃあ、他の連中は……?」


かさがさね恥ずかしい限りだが、我がマリネシア海軍だ。創設したばかりの、な」


 ユッティのあきれた声に、ナドルシャーンが眉間みけんをもみほぐす。


「この有り様では、軍事政変などまだ遠いようだな、将軍」


 ナドルシャーンに言われて、ヒューゲルデンが、してやられた、とばかり、広いひたいをぴしゃりと叩いた。


 頭巾ずきんを脱いだ男達が、面目めんぼくなさそうに集まって来る。顔も手足もあざだらけで、赤黒かったり青かったり、散々だ。


 少し離れたところで成り行きを見ていたマリリが、あきれたようにため息をついた。

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