42.なぜそれと特定なされたのでしょうか

 部屋に差し込む夕陽ゆうひを受けて、水槽すいそうが、虹色にじいろの反射光をゆらめかせる。


 確かチェスターと呼ばれていた、あの男性が窓の遮光布しゃこうぬのを閉めると、ほっとしたように、水槽の海月くらげが淡く光った。


 装飾棚そうしょくだなの影に隠れたメルルにとっても、都合の良い暗さだ。


 水槽を見つめるルシェルティ皇女おうじょの顔が、海月くらげと二重映しになって、薄暗うすくらがりに浮かび上がる。


 黙っていれば、透けて消えそうな可憐かれんさだ。


「あの者達の素性すじょうが、わかりますか?」


「正確なことはわかりません。ですが、エトヴァルト皇子がカラヴィナ方面統合軍の内部に、特務部隊を創設したという情報があります。電撃的なイスハリ攻略戦も、その部隊によるものと聞き及んでおります。恐らくは」


「あのような女、子供が、軍の特務部隊であると……?」


諜報員ちょうほういんの世界では、珍しいことではありません」


 ルシェルティ皇女の背後にかしこまり、ひざまずきながら、チェスター氏が微笑する。いかにも人好きのする笑顔だ。


 水槽に映し見て、ルシェルティ皇女のほおも淡く染まる。


「私達の障害、というわけですね」


「どうかお心安こころやすく、皇女……計画にさわるほどのものではございません。あなたを心から愛し、うやま崇拝者すうはいしゃ、このチェスター=キャリントンに、すべてをお任せ下さい」


 チェスター氏の居振いふいは、社交の世界のものとして洗練されていた。


 優雅に立ち上がり、ルシェルティ皇女の手を取り、振り向かせる。


 かなりの身長差があったが、自然な姿勢で腰をかがめ、ほんの少しだけルシェルティ皇女が見上げる格好になった。


「美しく至尊しそんなる、我が皇女……あなたこそが、マリエラの君主にふさわしい」


「信じて良いのですね……チェスター?」


 ルシェルティ皇女が目を閉じ、唇が交わった。


 海月くらげまたたきだけが照らす部屋で、チェスター氏の手が羽毛うもうでるように、小柄こがらな身体を包む白い薄布うすぬのの重なりを、ゆっくりと解きほどいていった。



***************



 晩餐会ばんさんかい円卓えんたくに空席が一つあることを、ジゼルを含めた全員が、ないものとして扱った。


 豊富な魚介類ぎょかいるい香草こうそうし、あるいは香辛料こうしんりょうで焼き上げた色鮮やかな料理が並び、また事前の根回しで酒精しゅせいを含まない果汁飲料がきょうされた。


 ユッティも別段、不満を言うでもない。後から一人で痛飲つういんするに決まっていた。


「そのお話ならば、恐らく我々が、マリネシアの星と呼んでいる宝石のことでしょう。初代皇帝から代々受け継いでいた皇統こうとうの秘宝でしたが、恥ずかしながら、現在は失われております」


 エトヴァルトからの率直そっちょくな話題に、ナドルシャーンもまた率直に答えて、苦笑する。


「確かに、世界でも珍重ちんちょうされるほどのものと聞いておりますが……戦局を左右するとは、ずいぶん壮大な尾ひれがついたのですね」


「失礼ですが、なぜそれと特定なされたのでしょうか」


 ジゼルがさぐりを入れた。


 ナドルシャーンは笑い事で済ませているが、たかが宝石一つにしては、さすがに尾ひれのつき方が尋常じんじょうではない。


「貴国の鉄鉱石、あるいは化石燃料の埋蔵まいぞう示唆しさした調査資料を拝見しております。まだ他にも、未知の資源がある、という考えはいかがでしょう」


「それらのものが、言い伝え、とされるほどの昔から、秘宝と認識されるでしょうか?」


「秘宝というのが尾ひれであって、兵器に転用可能な資源の存在を伝承されてきた、と考えれば、より矛盾の少ない解釈になります。鉄器時代なら、古代と言える昔でしょう」


「逆転の発想ですね。なるほど、仮にさらなる未知の戦略物質せんりゃくぶっし埋蔵まいぞうしているとなれば、我々も一丸となって採掘さいくつに協力致します。ですが、それほど都合の良い期待を抱くには、出どころのうわさが少々心もとないですね」


 ナドルシャーンが自嘲気味じちょうぎみに笑う。


 ジゼルがユッティを見た。ユッティが首を振る。不自然にとぼけている様子ではなかった。


「では、秘宝がそのマリネシアの星として、どのような宝石で……」


「お兄様っ!」


 ジゼルの言葉を、金切かなきごえに近い叫びがさえぎった。

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