39.遠慮くらいしなさいよ

 翼開長よくかいちょうはかなり大きく、翼を閉じてもリントと同じくらいに見える。


 背中側と尾羽おばね黒灰色こくかいしょくで、くちばしは太く、後ろ足に水かきがあった。


海猫うみねこですね。名前だけで、あなたの同族とは関係ありませんが……あなたを警戒してもいませんね」


「ここには同族を含む、大型の捕食者がいないのかも知れない。島嶼とうしょなどの地形条件で、まれにあることだ。害意はなさそうだが、念のために、メルルは抱いていた方が良いだろう」


「わ、わかりました」


 むしろ飛びかかりそうなメルルを、マリリがひっ捕まえた。海猫の方は気にしていない様子で、珍しそうにリントを見ながら、首をかしげた。


「あれ? 首根っこの羽毛の下、なんかまってない?」


 いつもの眼鏡めがねを外しているユッティが、少し目を細めた。


 言われてみれば、首を二重にまわって、くさりのような金属物が見え隠れしている。陽光を反射して、首元が一際大きく、あおく輝いた。


「そいつを捕まえろっ!」


 突然の叫び声が、割って入った。


 見慣れない男だ。砂浜を不格好に走り、止める間もなく、ジゼルにおおかぶさらんばかりに身をおどらせる。


 起き上がりざま、ジゼルが手首を取り、きれいに回転させて背負い落とす。


 棒のように背中を打った男が、うめき声をもらすより早く、眉間みけん足刀そくとうが叩き込まれた。


 頭の半分がもれて、手足が痙攣けいれんする。


「私としたことが、砂浜というのを失念しました」


「ちょっと……遠慮くらいしなさいよ」


「本気なら首を狙います。心外です」


 つかんだ手首を、またひねる。何かの八つ当たりのようにも見えた。


 男がようやく、うめき声をもらすことができた。色々と乱れているが、それでも眉目秀麗びもくしゅうれいとわかる優男やさおとこだ。


 赤毛をひたいに垂らし、ひげも産毛うぶげもない白い肌に、骨まで細そうな身体で洒落物しゃれものの上下を着ている。


 まあ、暴漢のたぐいではなさそうだ。


 仕置しおきはともかく、ジゼルの冷静さには感謝するべきだろう。大して筋肉の見当たらない首に足刀を落とされていたら、多分、死んでいた。


 海猫はとっくに飛び去っている。エトヴァルトの横で、ナドルシャーンと呼ばれていた男がひたいに手を当てた。


 その横からまた一人、見慣れない小柄こがらな少女が現れて、砂浜を静かに踏んだ。


 険しい目で、ジゼルをにらんでいる。膝裏ひざうらに届く黒髪とあおい瞳、浅黒い肌、端正な顔立ちが、ナドルシャーンに良く似ていた。


 白い薄布うすぬのを何枚も重ねた衣装が、そのまま空気に溶けていきそうな印象だった。


 ジゼルと少女の間に、マリリが立った。


「あの男が、ジゼル様に無礼を働いた。他に言うことがあるか?」


 互いににらみ合う目線が、ほぼ同じ高さだった。はかなげな雰囲気と違い、なかなか胆力たんりょくはあるようだ。


「やめろ、ルシェルティ。お客人の言う通り、おまえの連れの無礼だ」


「お兄様……っ!」


「謝罪の一つもできないようなら、私のしつけの問題だ。代わってやる」


 ルシェルティとナドルシャーン、今度は兄妹二人がにらみ合う。


 ややもして、振り払うようにルシェルティが背を向けた。ジゼルを無視して膝を折り、男の、つかまれていない方の手を握る。


大事だいじありませんか、チェスター?」


「は……はい、皇女おうじょ……。申し訳ありません、失態を……」


 ジゼルが目で問いかける。エトヴァルトも、肩をすくめるだけだ。


 仕方なく、ジゼルが男を解放すると、飛び起きて、何はなくともまず髪を整えていた。


「おくつろぎのところ、大変お騒がせ致しました。どうぞ引き続き、お楽しみ下さいませ」


 言い捨てて、ルシェルティがきびすを返す。まだ前髪をいじくっていたチェスターが、慌てて後を追いかけた。


「あれで謝罪のつもりですか、ふてぶてしい」


 二人が去っても憤慨ふんがいが収まらない様子のマリリに、ジゼルとユッティが苦笑した。


 ナドルシャーンが椅子いすを立ち、ジゼルとマリリに歩み寄って一礼した。


「妹に代わり無礼の数々、改めて謝罪致します。御不興ごふきょうのほど、なにとぞ御容赦頂きたい」


「あなたが何者で、あの女が誰か、詳しく聞いていないから言わせてもらうが、そんな上背うわぜいから形式張けいしきばった謝罪を受ける筋合いはない」


 マリリの鼻息に、ナドルシャーンが言葉を失くす。ジゼルとユッティに加えて、エトヴァルトまで、一緒になって苦笑した。

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