31.恐縮です

 一人というのは、思っていたより心細い。


 女性の端くれとしては、むしろ正常なのだろうけれど、そんな風に考えた自分が可笑おかしかった。今までの戦場も、大体が一人で、加えて一機か一匹だった。


 苦笑がもれないように腐心ふしんして、目の前の男性に視線を戻す。


 それなりに豪華な調度品に囲まれて、執務机にロセリア帝国軍の将校が座っていた。


 濃い茶色の将校服を着て、短い金髪に少しせたほお、小さな青い目と、薄い唇に笑みを浮かべている。


「お名前と階級、所属を聞かせて頂きましょう」


「ジゼリエル=フリード、大尉です。フェルネラント帝国陸軍カラヴィナ方面統合軍所属、爵位は侯爵を拝領はいりょうしています」


「その若さとお美しさで、大変な立場をお持ちだ。こんな僻地へきちで満足な持て成しもできませんが、御容赦下さい」


 執務机の上に、小太刀こだちが置いてある。


 式典用しきてんようの飾り物と思っていたが、ずいぶん役に立ってくれた。手元に戻ることがあったら、丁寧ていねいに掃除してあげたいと思う。


「しかし、まあ、部下から聞いた武勇伝にも驚きました。こんな物の一本で、三十人近くの兵を殺害とは」


 最初の九人を斬るのは、簡単なことだった。まあ、より愉快な行動にかまけていて、周辺警戒をしていなかったのだから、仕様もない。


 むしろ騒ぎになってくれないと困るので、余計な手間をかけさせられた。


 ロセリア帝国軍の兵士を探して逃げ回るかたわら、見かけたシャハナ国軍兵士は、たいがい同じ行為をしていたので、ついでだから斬った。


 数えていなかったが、そんな人数になっていたとは、投降とうこうした時に手荒てあらに殴られ、手錠てじょうまでかけられている理由がわかった気がした。


「ああ、気になさることはありませんよ。シャハナの人間もどきがどれだけ死のうと、貴女あなたに大した罪を着せようとは思っていません」


恐縮きょうしゅくです」


 一応、言っておく。


 ロセリア人は白色人種で、シャハナ人は黄色人種だ。占領軍内部に階層構造があるとは聞いていたが、人間もどきとは、なかなかに露骨ろこつだ。


 ロセリア帝国軍をねらって投降したことは、図に当たったようだ。


 普通、それだけの兵を殺害して回った凶悪犯なら、しおらしく投降しても警戒されそうなものだが、そこは自分の演技力に自信を持っておく。


 性別を武器に使うのは最初から計画の内だから、ちょっとだけ差し引いておこう。


「さて。一介いっかいの脱走兵ならいざ知らず、れっきとした将校の貴女あなたがここにいる、ということには意味があります。どのような御用件でしょうか、お聞かせ頂きたい」


黙秘もくひの権利を行使します」


「素晴らしい。その民族衣装も良くお似合いですが、投降し、捕虜ほりょの権利を行使する。作戦行動中でいらしたということですね。それはつまり、フェルネラント帝国に我らがシャハナ国トンロン属領区への侵略意図がある、という証拠になります。これまで他国の植民地政策を侵略と非難してきたフェルネラント帝国が、自ら他国に侵略を意図したことは、大変に意義深いぎぶかい」


 話の飲み込みが早い。戦略に対する認識からも、ここが指令中枢しれいちゅうすうと考えて間違いないだろう。


 マリリに言ったことではないが、でき過ぎて、手錠がなければ踊って見せても良いくらいだ。


 さて、は、こちらの台詞せりふで、ここからが問題だった。


 あまり愉快ではない得意顔を見ながら、どうしたものかと考えていると、乱暴に部屋の扉が開けられた。


「おおっ、本当だ! 噂通うわさどおり、すげえ美人だなあ、あんた!」


 入ってきたのは、筋骨きんこつたくましい大柄おおがらな男性だった。


 軍人にしては珍しく、波打つ金髪を肩の辺りまで伸ばし、濃い茶色の将校服を着崩きくずしている。


 表情のせいか目じりが下がって見える青い目と、左目の下のほくろが印象的な、まあ、軽薄けいはくそうな面相めんそうだった。


「中尉、尋問中じんもんちゅうだぞ!」


「申し訳ありません、ドミトリー=ネストロヴィチ=カザロフスキー少佐! フェルネラントの黒髪美人がいると聞いて、いてもたってもいられず飛び込んでしまいました!」


 悪びれもせず、意図的に伏せていただろう上官の姓名階級を、声高こわだかに言う。


 この街を含む旧イスハバート王国領は現状、占領軍によって情報と交通が途絶とぜつされた、閉じた世界だ。


 さらに占領軍施設、司令中枢ともなれば、中でなにが起きても漏洩ろうえいする心配はない。


 極端きょくたんな話、この小太刀が一本あれば、フェルネラントを糾弾きゅうだんするには充分なのだ。


 さっするにカザロフスキー少佐は、この閉じた世界の王だが、独裁者になることはできていない。


 軽薄をよそおった中尉殿が捕虜の証人となり、責任者としての姓名階級も明らかにされたことで、カザロフスキー少佐は哀れな獲物をもてあそぶ自由を失った、というわけだ。


「なあ、あんた将校だよな? だったら捕虜でも、部屋住み待遇たいぐうだろ? 後で遊びに行ってもいいよな! 俺はイザック=ロマノヴィチ=バララエフ、あんたは?」


 部分的に訂正が必要になった。軽薄なのは、の性格のようだ。


 とは言え、待遇の言質げんちまで取ってくれたのだから、一応は恩人だ。邪険じゃけんにするのも気が引けた。


「恐れ入ります。ジゼリエル=フリード、フェルネラント帝国陸軍カラヴィナ方面統合軍の大尉です」


「カラヴィナって言ったら、あの人喰ひとくやまの向こうか? おっかない所から来たんだなあ! なあ、怪物みたいな魔女が出るってうわさ、本当なのかい?」


 さすがに返答にきゅうしていると、カザロフスキー少佐がいら立った声を上げた。


「いい加減にしたまえ、中尉! まだこちらの用件が終わっていない!」


「おっと。重ね重ね申し訳ありません、ドミトリー=ネストロヴィチ=カザロフスキー少佐! すこぶる個人的にときめいて、いささか冷静さを失っております。それじゃあ、ジル! 絶対、会いに行くからな!」


 勝手に、大幅に省略された。


 兵士三人がかりで、つまみ出されるようにバララエフ中尉が退出すると、カザロフスキー少佐が小太刀を乱暴に振り上げ、机の上に叩きつけた。


 決めた。必ず殺そう。


「部下が失礼をしました。とにかく、貴女あなたは重大な国際問題の生き証人です……国際条約にもとづく、捕虜の待遇は保証しましょう。手錠も外させます。個室を使って頂いて結構だが、室外の移動は制限させてもらいます」


「恐縮です」


「ですが」


 カザロフスキー少佐が手元のりんらすと、扉がまた開いて、今度はロセリア帝国軍兵士とシャハナ国軍兵士が合わせて二十人ほど、部屋の中に入って来た。


 誰も彼も、品が良いとは言いかねる表情をしていた。


御覧ごらんの通り、女手おんなでなど望めない僻地へきちの駐留任務でしてな。あくまで規程の範囲の、身体検査だけは、御辛抱ごしんぼうして頂きましょう」


 かわいた薄笑いに、この人間の底が見えた。


 そのことでむしろ、安心できた。

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