28.わかるように話してくれ

 植生しょくせいの変わるイスハリ山脈山岳部に入ると、空が近く、気温は低いがの力が強い。


 毛皮のない不便な人間達は、全員、頭と口元に布を巻いて手袋をつけた。


 短時間で標高ひょうこうの高低差を移動すると体調を崩すため、頻繁ひんぱんに休憩をとり、身体と呼吸をなじませる。


 クジロイ達の案内で通常の交易路こうえきろとはまったく違う経路を辿たどり、陣屋じんやを出て四日目には、ただの一人も占領軍の巡回兵を見ることなく、旧首都タトラを見下ろす尾根おねの端に到着できた。


 双眼鏡を使えば、街路を歩く人間も視認できる距離だ。


「夕暮れを待って潜入します。クジロイ様、他の方々かたがたと……」


「おい。まさか、俺を置いていく気じゃねえだろうな?」


「……正直、クジロイ様は居振いふいと言うか、言動げんどうが派手で目立つのですが」


「大将の顔としゃべり方ほど、悪目立わるめだちしてねえよ!」


「クジロイが正しい。連れて歩けば、少しはジゼルの雰囲気も、人並みにまぎらわせることができるだろう」


「あなた最近、私に辛辣しんらつになっていませんか」


 ジゼルの口の端が下がる。布で見えなくてもわかる。


「まあ、良いでしょう。他の方々かたがたはここで、戦闘態勢のまま待機して下さい。攻撃開始前に一度戻る予定ですが、緊急連絡用にメルルを置いて行きます」


「……どういう意味だ、そりゃ?」


「詳細は割愛かつあいしますが、この子に話しかければ、統合軍司令本部を通じて、こちらに伝わります。また、こちらからの連絡も可能です」


「わかるように話してくれ」


「無理です」


 斬り捨てて、ジゼルが背嚢はいのうから、電信用の記号表を取り出した。道中、極力簡素なものを検索して、書き出させたものだ。


「二種類の鳴き方で文章を組み立てます。長文になるとかわいそうですので、詳細は適宜てきぎ、読み取って下さい。以上です」


「本気かよ……」


 記号表の上を歩きながら、にゃ、と、にゃー、で読み上げるメルルに、チルキス族全員が当惑したように、何度も顔を見合わせた。


 ジゼルとマリリが、潜入用に用意していたイスハバートの民族衣装に着替え、色鮮いろあざやかな陽除ひよけの頭巾ずきんをかぶる。


 顔を含めて肌の露出の少ない様式が、こういう場合には幸いした。


 それでも、いつものことだが、いそいそと太刀たちに触れたジゼルにクジロイが白い目を向けた。


「そいつを持って行く気か?」


「わきまえていますよ。心外です」


 ジゼルが口の端を下げながら、背嚢はいのうの中を探る。果たして、見事な細工の小太刀こだちを取り出した。


「持って来ておいて良かったです」


「おいおい……」


「潜入偵察ですよ。副兵装ふくへいそうを準備しておくことが、そんなにおかしいですか」


「いや、だったら拳銃とか」


「音が邪魔です」


 言っていることは正論だが、小太刀の、いかにも実用的でない装飾そうしょくが、ほぼほぼ太刀で済まそうとしていた嗜好性しこうせい邪推じゃすいさせる。


 そのはずで、小太刀はフェルネラント陸軍および海軍の将校が下賜かしされる、式典用の物だった。


 邪魔なつばを外して、さや太腿ふとももにくくりつけようと腰履こしばきをたくし上げるジゼルを、文字通り尻目に、クジロイも自前の衣装で上手く化ける。


 もともとあちこちの街で、それと気づかれないように往来している民族だ。


 隠れた交易商人としてのチルキス族の行動範囲は、実は一般に考えられているより、はるかに広い。


 夕暮れの薄暗うすくらがりに乗じて、三人と一匹はタトラへ潜入した。


 城郭都市じょうかくとしと言っても、石造りの古い壁は低く、あちこち崩れて、旧時代の名残なごりを見せる程度の物だ。


 街の中は、時間帯もあるだろうが閑散かんさんとして、明かりのともる家もまばらだった。


 街の中央にある大聖堂から、暗いかねの音と、潮騒しおさいのようないのりの声が聞こえてくる。


「マリリ、つらいでしょうが……街の風習を教えて下さい。夜に出歩くのは、目立ちますか」


「はい。タトラは燃料になる物も少なく、夜は早いのが普通です。どうしますか?」


「それでは、適当な空き家を見つけて休みましょう」


「なんだよ、夜のうちに嗅ぎ回らねえのか?」


「適任がいます」


 リントが、にゃあ、と鳴いた。

 ここにも同族は多くいる、問題ない、と、いて訳せば言っていた。

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