27.胸を張りなさい

 翌朝のジゼルの顔は、土気色つちけいろに近かった。


 口の両端を下げっぱなしで、とにかく何度も水を飲む。


「ああ、もう、ひどい目に合いました……大事な交渉の席で前後不覚ぜんごふかくとは、一生の恥です。結局、夕食も食べ損ねましたし……先生はどうして、あんな物がお好きなのでしょうか」


 木陰こかげにへたり込んで、水を飲んで、愚痴ぐちを吐いて、また水を飲む。その繰り返しだった。


 確かに武門のとして、不心得ふこころえきわみと言われても、仕方がないだろう。


 かたわらにリントとメルル、そしてマリリが座っていた。


 メルルが、にゃ、と鳴く。マリリは消沈しょうちんとして、耳にも入らないようだった。


「ジゼル様……私は……」


 抱えた膝に、顔を埋めた。


「申し訳ありません……私は、なにも……今度もまた、なにも……できませんでした……」


「おかしなことを言いますね。タトラへの道案内どころか、戦力拡充せんりょくかくじゅうに補給の確保、実質的に山野部全体の安全拠点化あんぜんきょてんかなんて、でき過ぎて目が回るくらいです」


「それは全部、ジゼル様が締結ていけつされた約定やくじょうです」


「あなただけが、わかっていないのですね。年齢とは言いませんよ。経験の差でしょうか」


 ジゼルが、背筋を伸ばす。


「チルキス族の方々かたがたも、ちゃんとわかっていますよ。クジロイ様は、あなたと話していた時から、とっくに戦いたいと思っていました。私はただ、最後に、お尻の穴をばしてやっただけです」


「そう……でしょうか……?」


「胸を張りなさい、マリリ。あなたには、人を動かす力があります。あなたの目には、心に届く意志が……あなたの言葉には、心を燃やす火があります。あとはほんの少し、伝え方を覚えれば良いだけです」


 ジゼルがてのひらを、マリリの頭に乗せた。


「ありがとう……ありがとう、ございます……ジゼル様……」


 マリリの深い緑の目に、また涙が浮かんだ。


 だがそれを、もう流すまいと、懸命に力を込める。嗚咽おえつは、かすかに、ジゼルにだけ伝わった。


「よお、大将。いい雰囲気みてえなところ、邪魔するぜ」


「構いませんよ。野卑やひな男性は、無粋も魅力の一つです」


 なかなか言う。クジロイが、苦笑して鼻の頭をかいた。


 顔を上げたマリリが、目を見張った。


 クジロイと、後ろに続く五十人余りのチルキス族の男達全員が、灰白色かいはくしょく山岳野戦服さんがくやせんふくに身を包んで、背嚢はいのうと、旧式だが小銃、鉄弓と金属製の矢を納めた矢筒、厚手の刃が湾曲した大振りのなたを共通装備にしていた。


「どうだ? 俺達がいまだに、獣の皮を着て木の上で寝ているだけと思ってただろう?」


 確かに過去、チルキス族の男が雇われ兵士として、地域紛争に参加した記録はある。


 だがそれだけでは、近代歩兵装備きんだいほへいそうびせまるこの陣容は説明できない。


 クジロイは例外のようだが、チルキス族は皆、寡黙かもくだ。男達の姿が、顔が、言葉以上に雄弁に語っていた。


 三年前のあの時、せめて自分達が間に合っていれば、今ほどの準備ができていれば、心を合わせて戦うことができていれば、と、ずっと閉じ込めていたき出すような衝動が、静かに熱を放っていた。


「こいつはもう、俺達の戦争だ。昨日はひでえこと言って悪かったな……これからは、よろしく頼むぜ! 小っせえ大将!」


「……小さい、とか……言うな……っ!」


 せっかくこらえたはずの涙が、流れ落ちた。


 ジゼルも、クジロイも、チルキス族の男達も全員が、それを見て何も言わず微笑んでいた。

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