26.戦うこともできなかった

 一呼吸遅れて、ジゼルが吹き出した。


 道案内すら危険を並べてこばむ相手に、それならいっそ同じ戦場に来いと言ったのだ。こんなふざけた話もない。


「てめえ……自分がなに言ってるか、わかってんのか? なんで俺達が、てめえなんかを守って戦わなきゃならねえんだ? ざれごともいい加減にしろ!」


 男が、片膝立ちになってマリリのむなぐらをつかんだ。


「てめえにおどらされて動いて、てめえより小せえ女、子供が死んだ時、てめえはなにをしてくれるんだ? 紙一枚ひけらかして、充分な謝礼しゃれいを約束するとでも言うつもりか?」


「同じだ……っ!」


「なんだと?」


「イスハバートも、タトラも同じだ! 女も子供もいる! お前が山の民のおさなら……イスハバートの人達も同胞どうほうだ! 守ってくれ……戦ってくれ……っ!」


「占領も弾圧だんあつも、イスハバートの奴らの不始末だろうが! 俺達が尻ぬぐいさせられる筋合いはねえ!」


「私は……守れなかった……っ!」


 マリリの目から、今までこらえていた涙があふれ出た。


「戦うこともできなかった……海の向こうで、父が死ぬのを……国が、街が、人ごと飲み込まれるのを、見ていることしかできなかったんだ……」


「見ていることしか、だと……?」


 男が歯を食いしばり、血が一筋流れた。至近でにらみ合うマリリと、同じだった。


「だったら知ってるだろう! イスハバートは、戦いもしねえで降参したんだよ! イスハリのてっぺんでまたぐら開いて、薄汚ねえ男どものなぐさみものになったんだ! てめえの母親と同じだっ!」


「……っ」


「そんなこともわからねえで、まだその口から、くそみてえなざれごとたれ流すなら……両足ぶったって、お望み通り、尻の穴を俺達全員でかき回してやるっ! ぬぐい切れねえ糞にまみれて、くたばりやがれっ!」


「どんな侮辱ぶじょくはずかしめも受ける! 死ねと言うならここで死ぬ! だから答えろ! チルキス族は戦うのか? 戦わないのか? どっちなんだ!」


 二人の叫びが消えて、空気が張りつめた。広間にいる全員が男とマリリを見て、固唾かたずを飲んだ。


 その男の首筋に、ふ、と太刀たちさきが触れた。


 今度は全員の驚愕きょうがくに、空気がきしんだ。誰一人、ジゼルの抜刀ばっとうを認識できていなかった。


 手足の動きのこり、目線や表情筋ひょうじょうきんの変化、体軸たいじくのゆらぎ、全てをほぼ隠し切った、見事なわざだ。


「て……てめえ……弓が、狙ってないとでも……」


弓弦ゆんづるの音が聞こえません。引いていないのでしょう」


 チルキス族の男達を、不心得ふこころえと責めるのは酷だ。


 最初から弓を引きしぼっていては、どんな小さな間違いでも、とり返しのつかない事態につながってしまう。


 まして長時間の待機で疲労して、いざ射るとなった時に狙いが外れては本末転倒だ。


 ゆっくりと、ジゼルが太刀たちさやに納めた。


 まだ誰も動けない。次に同じことをされた時、反応する自信が、誰にもないのだ。


無作法ぶさほう、失礼致しました。必要なことは全てマリリが言ってくれたので、あとは条件交渉と参りましょう」


「なん、だと……?」


 男がマリリを離し、その手を腰の小刀しょうとうに運んだ。


 精悍せいかんほおに、冷や汗が流れた。


 広間を囲んだ全員にも、男が斬られたら死を覚悟で襲いかかると決めた、青ざめた表情が浮かんだ。


「ここにいる全員を殺しても……山は、俺達の狩り場だ。逃がしはしねえ」


「承知しております。もとより、任務が果たせなければ、生きて帰る必要がありません。あなた方の享楽きょうらくしょされるのも、それはそれで良いかと思います」


「どうしてだ? どうして、そこまで投げ出せる?」


「あなた方の協力を得て、イスハリを戦略的に確保しなければ、カラヴィナはいずれ攻略されます。そうなればフェルネラント本国も同様、私はどこかの戦場で、ひどい死に方をするでしょう。ですから、今ここで同じ目に合うのも、早いか遅いかというだけです」


 ジゼルは端然たんぜんと座りながら、つと、手で口元を隠して、ほおを染めた。


「それでも、恥ずかしながら私も、まだ処女の身でして。それなりの抵抗だけは、させて頂きます。力尽きた後は、どうぞ御自由になさって下さい」


 照れ隠しのようにジゼルが笑ったが、他の誰も笑わなかった。


 男が、目線を外さないまま、あごを振った。


 並んだ端の一人が、恐る恐る動いて、奥から杯を二つと、柄杓えしゃくの入ったかめを持って来た。


 男とジゼルの前に置いて、かめの中身を注ぐ。乳白色ににごった、強い酒精しゅせいの匂う液体だ。


「条件交渉なんざ、どうでもいい。俺達はな、こいつにならだまされてもいい、って奴だけを信じるんだ。てめえはどうなんだ?」


頂戴ちょうだい、致します」


 男とジゼルが同時に杯を持ち、一息に飲み干した。


 どちらも、ゆっくりと杯を置く。


 男が破顔はがんした。


「決まりだ、大将。俺はクジロイ、チルキス族族長サジワタリの息子、クジロイだ」


 歓声が、広間を震わせた。


 男達が肩を叩き合い、指笛ゆびぶえを吹いて、弓も矢も小刀しょうとうも放り投げられて宙を舞った。


 状況を把握しきれないマリリだけが、呆然とジゼルを見つめた。


 ジゼルが微笑んだ。


 そして微笑んだ表情のまま、ぱたりと倒れた。


 空気が、今度は無音でひび割れた。まったく空気も忙しい。


 全員の目線が、クジロイを刺した。


「き、きさまぁっ! よくもっ!」


「ち、ちが……ちがう! 誤解だ! ただの酒だ! 俺だって飲んだだろうが! おい、おまえらも、こいつをなんとかしろ!」


 逆上して飛びかかるマリリに、顔中を傷だらけにされながら、クジロイが広間を逃げ回った。


 男達が手を叩き笑い転げる中で、ジゼルが何やら、笑ったり眉根まゆねを寄せたりしながら、規則正しい寝息を立てていた。

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