25.こちらからも誠意を見せましょう

 山に入って三日目の昼、水源すいげんの一つの小さな渓流けいりゅうで顔を洗っている時、視界の端の木陰こかげから、こちらを見ている目があった。


 山猫達の威嚇いかくを、リントが抑えた。


 チルキス族は身体を洗う習慣がないので遠くにいてもにおいがひどい、と言われているが、それは彼らが街に下りる際の、意図的いとてきな偽装だ。


 野生の獣は鋭敏えいびん嗅覚きゅうかくを持っている。常時、においを発散していては、狩猟が成り立たない。


「ようやく現れてくれたようだ」


「もう少し、散策を楽しんでいても良かったのですが」


 すぐに姿が消える。追ってこい、ということだ。


「ジゼル様、太刀をおき下さい」


「招待されているのですよ。不要です」


「ですが……」


「それより、次に彼が姿を見せたら、あのふえを吹いて下さい。こちらからも誠意を見せましょう」


 絶句ぜっくするマリリの手を引いて、ジゼルが歩き出した。


 リントが、にゃあ、と鳴いて、山猫達にこれまでの礼と、自分の縄張なわばりに戻るように伝えた。山猫達と彼らは、狩猟の敵同士だ。


 隠れては現れ、ジゼル達を先導するようなチルキス族の男に、マリリが笛を聞かせた。


 何も変化はない。また隠れては、現れる。


 男を追い、が落ちて、また夜の闇に囲まれた。


「さすがに灯火とうかを用意しましょうか」


「その必要はない。しばらくは平坦だ。もうすぐ人間の目にも見えるだろう」


 闇の先に、明かりがともった。


 近付いてみると、樹々きぎに埋もれた窪地くぼちに、木造りの陣屋じんやが建っていた。


 周囲の樹上には、チルキス族の男達がいた。


 赤銅色しゃくどういろの肌に獣の皮を着て、顔を泥で黒く染めている。全員が短い弓を持ち、矢筒を背負っていた。


 マリリが笛を握りしめ、一歩進み出た。


「私は……イスハバート、タトラから来たラスマリリ=カラハル! き母の名はカギロイ! この場のおさに、話をさせて下さい!」


 声が、響いて消えた。


 しばらく待つと、先導してきた男が陣屋じんやから出て来て、目線でついて来るように合図した。


「そう言えば、夕食がまだでしたね。なにか温かいものが出てくれば、嬉しいのですが」


「山猫達がまだ、遠巻きにこちらをうかがっている。義理堅ぎりがたい個体が集まっているようだ。もしもの時は助勢じょせいを依頼できるだろう」


「なんですか、あなたまで」


 ジゼルが苦笑して、マリリの肩に手を乗せて、並んで歩き出した。


 陣屋の恐らく中央、見えるだけで十九人、柱やはりの陰に八人がいる広間に案内された。


 板張りの床に、ジゼルとマリリが並んで正座する。


 背嚢はいのうは横に置いて、リントとメルルがそばに座る。ジゼルの太刀たちもそのままだったが、男達もまた、刃が厚く幅広の小刀しょうとうや、弓、槍などを無造作に持っていた。


 奥から、長い黒髪を後頭部でわえた、若い精悍せいかんな男が現れた。


 強く柔軟じゅうなんそうな筋肉を麻布あさぬのの服で包み、小刀しょうとうを腰の前に差して、毛皮を肩に羽織っている。二人に向き合って、胡坐あぐらをかいた。


「懐かしい名前を聞いた。一番上の姉だ。どこで死んだ?」


 思いのほか、闊達かったつな声だった。親しげな笑みも浮かべている。


「は……はい。タトラの、父の家で看取みとられたと聞いています。父の名は……」


「ああ、いい、いい。親父がうるさいから聞いただけだ。俺は別に、興味なんかねえ」


 機先を制されて、マリリが面食らう。なかなかに曲者くせもののようだ。


「親父も、もうくたばる。実質的な族長は俺だ。で、話ってのはなんだ? 面白そうなら聞いてやる」


「は……はい! ありがとうございます!」


 仕切り直して、マリリがここに至る経緯を説明した。


 自分が父親の手引きでフェルネラントに逃げたこと、現在のフェルネラントが置かれた国際状況のこと、戦争の目的と今回の作戦の戦略目標のこと、そのために自分の一命を捨てて軍に参加したこと、イスハバートを占領と弾圧だんあつから解放するためにチルキス族の助けが必要なこと、すべて包み隠さず、言葉を尽くして語った。


 マリリが語り終えると、男は感嘆したようにひざを打った。


「イスハバート解放、か……こいつは驚いた! いや、途方もねえ話だな。面白かった! おまえ、苦労してんだなあ。道案内くらい、お安い御用と言ってやりたいが……」


「もちろん、謝礼しゃれいなら充分に……」


「俺はそいつを、どうやって信じたらいい?」


 マリリが、きょを突かれた顔をした。


「おまえの話の一から十まで、本当かうそかを、俺はどうやって判断すればいい?」


「そ、それは……ここに、エトヴァルト様からの、署名の入った親書しんしょも……」


「だから、そいつが本物かどうかを、俺がどうやって知ればいいのか聞いてるんだよ」


 男の薄笑うすわらいに、マリリが言葉を失くした。言葉を失くしたマリリの顔を、男が、なめるように見た。


「おまえ達がどこの誰なのか、なにもわからねえ。判断する材料がねえ。だがな、はっきりしてることが一つだけある。俺達しか知らねえはずの水源を、おまえ達が、正確に辿たどって来たって事実がな。こいつは俺達にとって、とんでもねえ大きな問題だ。わかるよな?」


「それは……」


「おまえ達が自分で言った通りの人間だったとして、タトラに案内した後はどうなる? もしシャハナの連中にとっ捕まって、命惜いのちおしさに泣いてまたぐら開いて、一切合切いっさいがっさいしゃべっちまったら、俺達はどうなる?」


「……っ」


「シャハナの連中は、この時とばかりに、イスハリ全域を占領しようとするだろうなあ。水源の位置を全部知られていたら、俺達に勝ち目なんかねえ。チルキス族はみんな、女も子供もなぶり殺しだ。そんなこと、させられねえだろ?」


 マリリが、唇をんでうつむいた。笛を握りしめた手が、激しく震えていた。


「おまえ達を、山から出すわけにはいかねえ。水源のことをどこまで知ってるのか、正直に言いたくなるまで、時間も手間もかけてやる。なに、シャハナの連中よりは、大分だいぶましだと思うぜ」


「……に……」


「あ?」


「そんなに……私達に、秘密をもらされることが……怖いのか……?」


 やぶいた唇から血を流して、マリリが顔を上げた。


「それなら……むしろ好都合だ! 道案内などと言わない! 私達を……おまえ達が、守れ! 守って、一緒に戦ってくれ!」


「な……っ?」


 今度は、男の方が絶句ぜっくした。

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