24.母の物と聞いています

 ヤハクィーネがまず調査したのは、水源すいげんの位置の記憶だ。


 ある程度の集団で長距離を移動するには、清涼せいりょうで安定した量の水源を辿たどる必要がある。


 渓流けいりゅう、あるいはみずいずみなど、彼らだけが知る中継地点を結んだ、基本の巡回路があるはずだ。


 果たして、それほどの時間を要さず、五十を超える水源位置を地図上に書き込むことができた。


 山に不慣れな人間が捜索して、どうにかなるような相手ではない。


 後はこれらの水源を見物しながら、山の奥へ奥へと分け入っていけば、向こうの方から警戒、接触してくるだろう。


「こちらは順調。さすがに暑くなってきたので、今から休憩して昼食を頂きます、と伝えて下さい」


「運動してるからって油断して食べると太るよ、との返信だ」


「大きなお世話です、と伝えて下さい」


 無意味な情報とは思うが、一応伝えていると、少し離れたところからマリリが手招てまねきした。


「ジゼル様、こちらへ。少し風通しの良い木陰こかげがあります」


 エトヴァルトから聞いた限りでは、マリリは父方の家の生まれで、山岳民族として生活した経験はないとのことだったが、勉強したのだろう。


 鳥や花、果実や虫によく気がついた。名前や習性、食用にできるかどうかまで、ヤハクィーネに情報を依頼する必要もなかった。


 てのひらほどの小刀しょうとうを器用に使い、採取した果実の皮を剥いて、切り分ける。


 ジゼルは基地にいても大体丸ごとかじっていたが、今は座って、当然のようにおとなしく食べていた。


 携行している食料は、った木の実を製粉して砂糖と乳脂で煮固めた固形保存食と、干し肉だ。


 水筒の水を飲んで、残量と、直近の水源までの距離を計算する。


 夜の移動は足元の危険があるため、暑くともが落ちるまでは歩かなければならない。


 道中、リントと顔見知りの山猫達が、たまに挨拶に表れた。メルルはそのたびにおびえていたが、リントの取りなしで、徐々に慣れていった。


 中でも体の大きな雄の山猫が、親切に離れたところを随伴ずいはんして、他の獣達を遠ざけてくれたのが効果的だった。


 目的地の湧き水に着いた時、ちょうど夕暮れが夜の闇に変わった。


 身体と水筒に水分を補給し、近くの木の下に防水布を敷いて、野営の準備をする。


 昼食と同じ携行食料を食べて、靴のひもをゆるめる。状況変化に備えて、寝る時も脱ぐわけではない。


 目が慣れると、樹々きぎがぽっかりと切り抜いた夜空からの星明かりでも充分で、火はかなかった。


 山猫達のおかげで獣に襲われる心配はないし、虫に寄ってこられるのも厄介だ。リントとメルルは、もとより何の不都合もない。


 静かで、穏やかな時間だった。


 闇が世界の果てまで広がって、星空の下に自分達だけが存在しているような、人間からも戦争からも切り離された泡沫うたかたの眠りのような、安らかな充足があった。


 マリリが背嚢はいのうから、木笛きぶえを取り出した。


 ジゼルにうながされて、ためらいがちに吹くと、鳥の鳴くような澄んだ音が流れた。


「母の物と聞いています。吹き方は、父から教わりました。父と母も……こんな時間を、持っていたのかも知れません」


「私には音楽の素養などありませんが、この音は、こころよいと感じますよ」


 メルルも、にゃ、と鳴いて同意を示した。リントはあくびをしていた。


「ジゼル様……私は、母がいつ、どうして死んだのかも知りません。混じり者で、厄介者の私を、父も本心ではうとんじているものと……ずっと思っていました。家を逃げ出して、街を歩いても……この目の色や、肌の色を、気味悪がられてばっかりで……」


 チルキス族も獣肉や細工品を、布や金属製品と交換するために、まれに街に現れる。


 そんな時、彼ら自身は漂泊ひょうはくの中、部族単位で子育てをする習慣のせいで、大した悪気もなく街の子供を連れ出してしまい、騒動となることがあった。


 半獣人、人さらい、そういった印象がくちを伝わり、せまい街の空気によどむのは、無理もないことだった。


「それでも少しだけ、親切にしてくれる人もいて……。父も、最後は……私だけを逃がしてくれて……。エトヴァルト様は、私が国なんかとは無関係な、ただの邪魔者だから追い出されただけ、って言ってくれたのですが」


「そういう忠告は、に受けておいた方が良いですよ」


「自分ができなかったことを他人に要求するのは、適切ではない」


 ジゼルの口の端が、少し下がる。マリリが、涙の浮かんだ目で、一所懸命に微笑んだ。


 星の光の下、一しきりの静寂せいじゃくに、ジゼルもマリリも身をゆだねた。


 そしてどちらともなく、思い思いの眠りについていた。

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