20.異存はありませんが

 統合軍本部作戦司令室とうごうぐんほんぶさくせんしれいしつには、エトヴァルトだけが待っていた。


 相変わらず、良く言えば気さくな、悪く言えば間の抜けた、威厳いげんのない顔だ。


 長方形の大きな卓上たくじょうには、カラヴィナ北部とイスハリ山脈を描いた、地図が広がっていた。


 一人を除いて全員が適当な椅子に座り、リントが地図の端に寝そべると、扉の横で直立不動のままの少女をエトヴァルトが手招きした。


「最初に紹介しておきましょう。この子はラスマリリ=カラハル、父親は旧イスハバート王国の政務関係者で、現在は僕が面倒を見ています」


「フェルネラント帝国皇室ていこくこうしつが、旧イスハバート王国の亡命者を受け入れている、ということでしょうか」


「いえいえ。彼女の父親から生前に、留学目的であずかっただけですよ。預かっている内に当のイスハバート王国がなくなってしまったので、仕方がありません、帝国国籍ていこくこくせきを付与して、こうしてこき使っているというわけです」


 相当、曲芸的きょくげいてきに国際法の隙間すきまを抜けたやり方だ。


 それでも黙っていれば大事おおごとにならないものを、今この場にいるということは、現シャハナ国トンロン属領区の侵攻作戦に利用するということだ。


「くわしい話を聞く前に言うのもなんだけど、ぶっちゃけ、そのが死んじゃっても良いってこと?」


「先生」


「無論です! この身命しんめい、存分にお使い下さい!」


 唐突とうとつなラスマリリの大音声だいおんじょうに、エトヴァルトが自分の耳に指を突っ込んだ。


 頓狂とんきょうの取り方が、主従で似ていないこともない。


「まあ、こんな調子でして。いい加減うっとおしいので、この際、メルデキントを押しつけました。戦闘で死んでくれても一向にかまいません」


「一命をささげる機会を頂き、恐悦至極きょうえつしごくに存じます!」


「絶対、意味まで知らないで言ってますよ、これ」


 エトヴァルトの辟易へきえきした顔に、ユッティが笑いをこらえている。いつもと逆の立場に、溜飲りゅういんの下がる思いなのだろう。


 ヤハクィーネがユッティに向けて、重々しく注意の咳払せきばらいをした。


「りょーかい、りょーかい。それじゃあ、ええと……マリリちゃん! あんたもわれらが猫魔女隊ねこまじょたいの一員ね、よろしく!」


「は……はい? いえ、その……はい! よろしくお願い致します!」


「猫魔女隊、ですか。人喰ひとくいよりは大分だいぶましですね」


「今つけたの。今度、部隊徽章ぶたいきしょうも作ろうよ! リントの絵入りで可愛いやつ、良いでしょ!」


「やぶさかではありません」


 脇道わきみちにそれ続ける話に、ヤハクィーネがもう一度、ことさら大きく咳払せきばらいをする。肩をすくめて、エトヴァルトが説明を始めた。


 侵攻作戦の全容は、戦略的には、ロセリア帝国とシャハナ国の属領統治下ぞくりょうとうちかにある旧イスハバート王国領の、フェルネラント帝国の保護領化と、将来的な独立国への復帰をもくろむものだった。


 そして戦術的にも、イスハリ山脈踏破さんみゃくとうはによる潜入偵察せんにゅうていさつと、攻撃目標を特定後の装備空輸そうびくうゆによる即時一点制圧そくじいってんせいあつの、二段階に分かれていた。


 集合知しゅうごうちの情報を整理する。


 旧イスハバート王国領はイスハリ山脈の最高峰地域さいこうほうちいきに存在し、峻嶮しゅんけんな山岳部とそれに囲まれて点在する高原部、石造りの城郭都市群じょうかくとしぐんで構成される。


 高山地方独特の過酷な生存環境ながら、地上から最も天に近い場所として、環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんにも広く信仰されている唯一神教の発祥はっしょうの聖地であり、古くから封建領主と教会による二元体制の下で農耕と遊牧、宗教文化を軸につつましやかに存続していた。


 フェルネラント帝国とは宗教文化的な違いにより、親密と言えるような外交実績はなかった。


 だが、現在の状況から考え直してみると、なるほど環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんに宗教的影響力のある政体を民族独立の矢面やおもてに立たせるというのは、悪辣あくらつで有効な奇策だ。


 旧イスハバート王国は穏やかな宗教文化が悪い方向に作用して、帝国主義が席巻せっけんする国際情勢の中、近代的軍備を整える努力が充分ではなかった。


 また、暴力と実利じつりに対する精神性の優位を信じていた。


 崇高すうこうな理念だが、三年前、ロセリア帝国から軍事協力を受けたシャハナ国軍の前には何の役にも立たず、戦闘らしい戦闘もないまま首都タトラは降伏こうふく無血占領むけつせんりょうされた。


 以後は占領軍により情報、交通が途絶とぜつされ、凄惨せいさん弾圧だんあつうわさばかりが聞こえてくる。


 その事実が、そのままこちらの戦略的価値になる。


「いやはや、殿下らしいわ。正義の味方としちゃ、まあ、望むところよね」


「正義の味方の侵略者、ですね。異存はありませんが、戦術的には、なかなかの難物なんぶつですね」


 ジゼルの言う通り、これまで防衛線としていた山野部を西に進み、イスハリ山脈の高山地帯をてイスハバートに至る道程どうていは、歩くしかない。


 山の地理と環境に精通せいつうし、体力的に耐えられる人間の道案内が必要だが、イスハバート脱出時10歳程度であったろうマリリに、まず、そこまで要求することができるかどうかだ。

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