11.否定できない

 開いた窓から、そよ風が入り込んだ。


 あかつきに焼ける空が、部屋を薄明はくみょうで満たしていた。遠くで海も鳴っていた。


 ずいぶん深く眠っていたようだ。猫として、少し恥じる気分がある。


 ジゼルが素裸すはだかのまま、窓辺に立っていた。


 せたが、血の色が浮かび、肌が瑞々みずみずしい。両腕のれも引いて、胸も乳房の白さが戻り始めていた。


 腰に届く黒髪だけを裸身にまとっていた。


 目が合い、微笑んだ。


「あなたでしょう。あんな夢を見せたのは」


「見せた、というのは正確ではない。神霊はすべての魂の集合だが、魂そのものに個体生命の境界はない。肉体情報にもとづいた記憶も、膨大な情報量の構成成分として拡散する。そうでなければ、新しい生命の源とはなり得ない」


「そうですね」


「だが、消えてなくなるわけでもない。ジゼルの精神の波調を探査因子たんさいんしにして、可能な限りの情報集積と、同調による伝送をこころみた。夢として具象化ぐしょうかされた内容は、受信側の脳組織が再構成したもので、外部から確認できる性質のものではない」


「つまり」


のぞいてはいない」


「他の人の記憶が混在した可能性は」


「否定できない」


「あなたの目的意識が影響した可能性は」


「否定できない」


「私の願望が投影された可能性は」


「否定できない」


「すごい。なんの参考にもならないのですね」


 ジゼルが、唇に手をあてて笑った。


「でも、ありがとう……いい気持ちよ。とても、いい気持ち」


 笑いながら手を挙げ、大きく背中をそらした。深呼吸を二度、続けて上半身を軽くねじる。


 指先、てのひらひじ、肩、首、腰、股関節、ひざ、足首と、一つ一つ曲げ、筋肉を伸ばし、まだ残る痛みに眉をしかめ、強張こわばりに口の端を下げながら、それでも楽しそうに、生まれたばかりの赤子がはしゃぐように、ジゼルは自分の身体を確かめた。


 ちょうど水平線に昇ったの光が、黒髪さえ黄金色に染めた。


「朝食が楽しみです。あの煮汁以外の食事なんて、久しぶり。できればその前に、湯浴ゆあみをしたいところですけれど」


「難しいだろう。この時間にそんなことをする習慣は、カラヴィナにはない」


「このまま、海に行っちゃいましょうか」


「いいね、その乗り! あたしも大賛成したいけど」


 ユッティが、扉を開いて現れた。いつもの調子で、いつもの格好だった。


藪医者やぶいしゃけをしてたのよ。あたしの勝ち。湯浴みぐらい、すぐに用意させるわ」


「ありがとうございます。先生にも、ご迷惑をおかけしました」


「このおよんで、言いっこなしよ」


「私はもう大丈夫です。搭乗試験も、今日から再開できます。私から言えたことでもありませんが、できるだけのことをやらせて下さい」


「気持ちはありがたいけれど、大演習は来週よ。移動と設営せつえいも入れたら、まあ、正味しょうみで四、五日も使えないわ。やっつけ仕事じゃ、逆に恥をさらすわよ」


「ですが」


 ジゼルが、さすがに上衣を羽織はおる。無理もないが、やはり以前に比べて小さく見えた。


「ジゼル、ユッティが正しい。焦燥しょうそうは事態を好転させない。少なくとも明日までは、体力の回復に専念するべきと考える」


「おおう。やっぱり、あんた優しくなってる! 最初より人間っぽい」


賞賛しょうさんと認識する」


「なんですか。二人して人を、駄々だだみたいに」


 ジゼルの口の両端が下がる。補足の必要を認めた。


「間に合わないとは言っていない。ユッティ、勝手だが、リベルギントの現状から最低限、追加補修の必要な部位と再調整の概要がいようを作成しておいた。後で精査せいさして欲しい」


「え? あんた、いつの間に」


夜間警戒やかんけいかいを非常時の情報伝達以外、同族に一任していた。分析と再計算は、リベルギントと調整室の機材を直結して使わせてもらった。事後通告になるが、演算速度の強制高速化と昼夜の連続稼働の過熱で大半が破損してしまった。謝罪する」


「ちょっと」


「加えて、作成した概要はこれまでの調整実績をもとにした、あくまで推定の理論値だ。実態とのすり合わせと追加補修を、実動三日で行う必要がある」


 ジゼルとユッティが、顔を見合わせた。


 見合わせて、吹き出して、そろって大仰おおぎょうに肩をすくめた。


「んー、さらっと無理を言うわねー」


「先生。国も人も、無理を通すのがフェルネラントの流儀です」


「あたしもそう思ってた」


 にゃあ、と、リントが鳴いた。訳すまでもなかった。


「理解と協力に感謝する。ついでにもう一つ、二人に聞いておいてもらいたいことがある。朝食の後に時間が欲しい」


「それは、もちろん構いませんが」


「なによ。改まって」


「襲撃事件の背景について、だ。証拠はない。可能性も高くはないが、推論がある。こちらも精査してもらいたい」


 ジゼルとユッティが、また顔を見合わせた。


 今度は二人とも、笑わなかった。



********************



 集合知しゅうごうちの情報を整理する。


 ハイロン基地の北西、カラヴィナ総督府がある政務首都せいむしゅとシレナの周辺は、多くの河川かせん湿地帯しっちたい田畑でんぱたの広がる穀倉地帯こくそうちたいだ。


 さらに北方へ進むと、亜熱帯の豊かな植生しょくせいを持つ山々、西方のイスハリ山脈から連なる山岳部に辿たどり着く。


 統率された鉄と火の奔流ほんりゅうは、いずれ、この山から降りてくる。


 フェルネラント帝国陸軍カラヴィナ方面統合軍は、裾野すそのに広がる広大な平野部を大演習の舞台に設定した。


「まあ、順当ですね」


「国際的な宣伝材料を得るためだ。戦術的には、むしろ愚直ぐちょくに来るだろう」


「では、心意気こころいきこたえて全力で迎え撃って差し上げねば、不実ふじつになりますね」


 ジゼルの声が、少し浮き立っている。操縦槽そうじゅうそうの中は暗いが、外は亜熱帯の日差しが明るく、天頂てんちょうから、地表のすべてをいていた。


 リベルギントは積層装甲せきそうそうこう鋼色はがねいろを光らせながら、片膝をついている。


 全身甲冑に似た姿の、両腰に二振りずつの大太刀、右腕に総身鋼拵そうしんはがねごしらえの大槍を持ち、左腕には分厚い傾斜装甲けいしゃそうこうを増設している。両脚膝下りょうきゃくひざしたの装甲も大きく張り出し、左右とも補助内燃機関と三基ずつの動車輪を内蔵していた。


 周囲の右翼機械化師団を始め、平野部には見渡す限りの大兵力が展開していた。


 灰褐色はいかっしょく野戦服やせんふく背嚢はいのうと小銃をかついだ歩兵部隊、丸太と針金であれこれ作業している工兵部隊、数人がかりで自動機銃を運ぶ支援部隊、長距離砲の周りで観測と調整に余念がない砲兵部隊、鉄のかたまりの装甲車両から身を乗り出して怒鳴り合っている機械化部隊と、様々だ。


 あちこちの指令所ごとに、剣と陽光をかたどった帝国軍旗がはためいていた。


 本陣は、総督府発表では陸軍大将エトヴァルト第三皇子殿下の御視察とされており、最後衛の丘陵上きゅうりょうじょう御紋入ごもんいりの陣幕が張られている。


 まったく他人のことは言えないが、近衛騎兵隊の前時代的な赤房あかふさ金兜きんかぶとが、遠目にも鮮やかだった。


「身体の調子はいかがですか、ジゼル? なんのかのと言っても、演習です。無理を重ねる必要はありませんよ」


「ちょっと、ひげ。わざわざ士気を下げるなんて、司令官のすることじゃないでしょうが」


「あなたにも同じことを言おうと思って、忘れていました。まさか本当に実動までこぎつけるとは、あきれた執念ですね」


「仕事をやり遂げて難癖なんくせつけられるわれはないわ」


 足元から、クロイツェルとユッティの会話が聞こえる。苦笑して、ジゼルがリベルギントの胸部装甲を開いた。ジゼルを見上げるクロイツェルが、少し目を細めた。


「礼装ですか」


「はい。晴れ舞台ですもの、いつ拝謁はいえつのお召しがかかっても良いように」


 胸を張って見せたジゼルは、白い将校用の礼装だった。黒髪を丁寧ていねいに結い上げた薄化粧うすげしょうに、さすがに、太刀はいていない。クロイツェルとユッティの横へ降りて、敬礼する。

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