10.わかっていたはずなのに

 ジゼルとユッティ、リベルギント、クロイツェルとこのハイロン基地、カラヴィナ、フェルネラント帝国の戦略構想、陸軍の大演習、雑多な事象じしょうの全てが、それぞれの必然と経緯と、偶然の体裁ていさいをした状況の帰結きけつを組み合わせて形になっている。


「理由が物理的か心情的かによらず、他にどうしようもなかったのだから、過去に別の可能性はない。それに続く現在も、未来も同じだ。これを運命と定義するのなら、逆説的に、個体の行動も感情も自由だ。結果にこだわる意味はない」


「ひょっとして、それ、なぐさめてくれてるの?」


「関係を進めている。共有と肯定こうていが関係構築の基本だ」


「言うわねー。ぱっと見、機械か猫の分際で」


「全生命の集合知による論理的結論だ」


 ユッティが苦笑しながら装甲板を小突こづくのと、リントが一声鳴いたのが、ほぼ同時だった。


 てのひらの包帯が破れて木刀を取り落とし、ジゼルがうずくまった。


 倍ほどにふくれ上がった両腕を抱えることもできず、蒼白そうはくな顔を地面にこすりつける。


 すでに意識もないようだ。


「よし。後は、生きるか死ぬかだ」


「他の言い方がないもんかしらね」


 ユッティが、今度は装甲板を蹴飛けとばして、ジゼルのところへ走り寄った。



********************



 担架たんかで運び込まれたジゼルをた軍医は、少しの間、言葉をくしていた。


 正気に戻ると、緊急手術で両腕を切断すると言い始めた。


 ユッティがなだめたりすかしたりで拒否すると、最後は、もう知らん、好きにしろ、と怒鳴どなり散らした。


 それでも最低限の栄養剤と抗生物質を投与して、ジゼルの自室まで運ばせてくれた。責任感の強い人物のようだ。


 ジゼルの上半身は壊死えししたように黒ずみ、呼吸と、わずかな痙攣以外けいれんいがいは、寝台に沈み込んでまったく動かなくなった。


 発熱もひどく、衣服を着せることも難しかった。


 れない手つきながら、ユッティが献身的けんしんてきに世話をした。


 汗とあか排泄物はいせつぶつに汚れる身体をふいて、発熱の具合からかさけの布の枚数を調整し、小まめに水を口に流し込んだ。


「年頃のぱだかで、下の世話までされるがままってのが、嗜虐的しぎゃくてきでいいわね。復讐ふくしゅうしてる気分になれるわ」


「相変わらず自由な発想だな」


「あたしはめかけでも良かったんだけどね……むすめを持つ父親としちゃ、そうも言えなかったんでしょうよ。結局、このがいたからちゅうぶらりんでさ。この際、きれいさっぱり遺恨いこんを晴らさせてもらうわ」


 どこまで本気なのか、恐らく本人にも明確ではないだろう。


 干渉かんしょう推量すいりょうも、野暮やぼというものだった。


 一日一度、軍医が無言で注射に来る以外は、二人と一匹の時間が過ぎた。


 三日目の夜半に、ジゼルの目が開いた。茫漠ぼうばくとした視線が、暗闇をさ迷う。


「動こうとするな。まだ危うい状態だ」


「腕は……ありますか」


「ある」


 ジゼルが、長い吐息をもらした。


滑稽こっけいですね。こんなことに……本当、意味なんてない」


「ウルリッヒ=フリードも、ここにいれば同じことを言っただろう」


「その名前、久しぶりに聞きました」


 以前にも向けられたことのある、怒りとも憎しみとも判然としない、強い感情のゆらぎが声に宿った。


「どうしてでしょうね。わかっていたはずなのに」


「無意味なものを継承する必要はない。多くの時間と労力を費やすのであれば、なおさらだ」


「父自身も、継承したことをいていたのでしょうか」


 問いかけではない。ジゼルの目から、涙がこぼれた。


「そんなはずない。好きで、一所懸命で……それくらい、見ていればわかります。私だって、同じように好きで、一所懸命になりたくて……どうして、それだけじゃ駄目だったの……?」


「彼は、武門に未来を見出みいださなかった。ましてむすめだ。心情は想像にかたくない」


「勝手ですね。勝手に決めて、勝手に捨てて……それなら、ひろうのも私の勝手です」


 ジゼルの唇が、自虐じぎゃくにゆがむ。どんな表情なのか、もう混じり合ってわからなかった。


「父が見ようともしなかった未来を、私が見つけます。武門として世に出て、身を立てて……それから、お墓の前で、ざまあ見ろって言ってやるの」


 言葉の最後は、かすれて消えた。力尽ちからつきて、こと切れるように、ジゼルはまた眠った。


 ジゼルの枕元に立ち、前足をひたいに乗せてから、少しだけ不思議に思った。


 ジゼルの呼吸はまだ不規則で、このまま目覚めない可能性もある。そうなれば、これからの行動も、まったくの無駄に終わる。


 ほんの少しの思考の間に、リントが、にゃあ、と鳴いた。


 考える必要はない、生物にはそういうことがある、と、いて訳せば言っていた。



********************



 ウルリッヒ=フリードは武門の家に生まれて、半生はんせいを迷いなく過ごした。


 寡黙かもく自律心じりつしんの強い性格は、武術の習得と研鑽けんさんに適していたし、侯爵家を継承する責任も重圧も、当然の義務として受け止めた。


 時代と発展途上の社会構造の中で、特異な存在ではなかった。


 一人娘をのこして、男の跡継あとつぎを産めなかったことをびながら妻が死んだ時、小さな戸惑とまどいに直面した。


 手段はある。えんをたどって、継承に適した人材を養子にするのが順当だし、系譜けいふにこだわらなければ娘婿むすめむこにしても良い。


 幼い娘が文武の素質を備えているようなら、厳しく育てて当主にすることも、できなくはないだろう。


 だがウルリッヒは、どの手段も気に入らなかった。


 そこまでする意味が本当にあるのか、と思った。そのことに戸惑った。


 馬上、華やかに戦場を駆け、名誉の剣に武勲ぶくんを輝かせた騎士物語の時代は、とうに過ぎた。


 一発の銃弾、一滴の燃料、一個の生命が、等しく無数に消費される、より洗練された戦場の形態に、武門の家柄など薬にもならない。


 指揮官が武勇第一の英雄ではなく、軍隊が職能組織しょくのうそしきとして構成され、機能することが重要だった。


 もちろん、すぐに全てが変わるはずもない。娘の世代ぐらいは、武門の名誉に生きることも可能だろう。


 だがそれでは、娘が費やすであろう多くの時間に、なんの価値もないという結論になりはしないか。


 まだ自分の身長ほどもある木刀に振り回され、泣きそうになっている娘を見て、ウルリッヒは胸を痛めた。


 自身の力が及ばない未来に、一人の人間の小ささに、自己じこの外にあるいとおしい存在に、悲哀を感じた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、お父さま。私、もっと練習するから。上手になるから。お父さまみたいに、絶対、なるから……」


 そんな必要はない。子は、ただ子であるというだけで、親に愛される資格を持っている。


 おまえを愛している。おまえは、ただ自由に生きれば良い。


 幸せを願っている。


 だが、思いを言葉にして伝えるすべだけは、ついに身に着けることができなかった。


 それが自分の罪であることを知りながら、最後に娘の目を見て、ウルリッヒ=フリードは生涯を閉じた。

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