8.これから関係を進めよう

 だが、無意味とは何か。


 種が絶滅にひんしているならともかく、現状の人類の繁栄はんえいは、一個体の生死そのものに大きな影響を受けない。突きめれば生命の意味など、主観的な基準でしかはかれないものだ。


 ジゼルの意志が指向する強さも、死も、ジゼルにとっての無意味ではない。


 それだけのことだった。


「何も得ることなく死ぬ可能性もあるが」


「人は、あれほど簡単に死ぬのだと知りました。自分だけが特別などと思いません」


 穏やかな笑顔の底に、黒い影が沈んでいる。


 決して消えない、生涯広しょうがいひろがり続ける影を、自分の一部として受け入れた笑顔だった。


「リベルギントの調整日程に影響が出るだろう。ユッティの許諾きょだくたい」


「祝福は、してもらえないでしょうけれど」


 搭乗試験を始める前から余裕がないと言っていた上に、機体に余計な修理が加わり、ジゼルまで持って行かれるとなれば、冗談めかしている場合でもないだろう。


 だが、話を聞いたユッティは、少し目を閉じただけであっさりとうなずいた。


「まあ、仕方ないね。こうなったら悪いけど、あのの気が済むまで、つき合ってあげてよ」


「理解と協力に感謝する」


「正直な話、あたしも興味あったのよね……あんたがこの機体を、どう使ったのか。どう使えば、こんな状態に壊れるのか。これからどう使いたいのか。あたし達が予想した以上の潜在能力を、あんたはリベルギントから引き出して見せた。それを、なかなか無視はできないわ」


 ここぞとばかり、リントの顔をくしゃくしゃとなでる。


「で、当のジゼルはどこ行ったのよ?」


「教練に使う木刀を、なるべく多く持ってくるよう指示した。そろそろ戻ってくるだろう」


「木刀?」


「持ってきましたよ」


 ジゼルが、木刀の束を一抱ひとかかえして現れた。


 髪をまとめてい上げ、上半身はユッティよろしく、半裸はんらのさらし巻きだ。


 まあ、やる気はないより、あった方が良い。


「足りなければ追加します」


「後でも良い。では、そうだな……これぐらいが妥当だろう」


 周囲を見渡して、手ごろな木を選んだ。


 みきが平均的な成人男性の肩幅かたはばに比較して、やや太い。


「この木に打ち込む。上段、左右の斜め打ちだ」


立木打たちぎうちですね」


「そうだ。切り倒す」


「切り倒す? え、だって、木刀も木でしょ? 同じ木でいくら叩いたって、細い方が折れるだけじゃない?」


 ユッティが、調子はずれな声を出した.


「それを道理とすれば、リベルギントは同種の装甲目標そうこうもくひょうを撃破できないことになる」


 ふと、ジゼルが言っていた、可笑おかしいという言葉が思い浮かんだ。


「フェルネラントは国も人も、無理を通そうとするばかりだ。今さら道理など口にしても、腹の足しにならないだろう」


「おっしゃる通りです」


 ジゼルが一呼吸で左右、姿勢の良い斜め上段を打ち込んだ。


「続けて良いですか」


「良く出来ている。ではユッティ、せめて調整を手伝おう」


「いや、でも……それだけ? 後は放っておくの?」


「何事も神髄しんずいというのは、自得じとくするしかない。ジゼル次第だ」


「構いません。男子健康にして不在をしとする、ですから」


「ああ、もう、若者はこれだからなー。ちょっと目を離してるすきにどこまで関係進めちゃったのよ、あんた達」


「ユッティも若い。これから関係を進めよう」


 気遣きづかいのつもりだったが、何か間違えたらしい。


 ジゼルとユッティは互いの顔を見合わせた後、一しきり大声で笑っていた。



********************



 七日が過ぎた。


 早朝から夜半まで打ち込みを続けているジゼルのてのひらは、破れた皮膚と肉を包帯で締めつけ、木刀もしばって固定しなければならなくなった。


 始めの頃は好奇こうきうわついた目を向ける兵士もいたが、今はもう、ここを通る時は皆一様に、足早に去って行く。


 ジゼル本人は、苦悶くもんと、ゆがんだ笑みが混じったような表情になっていた。


 胸元と、肩からひじにかけてれ上がり、鬱血うっけつして、紫色の斑紋はんもんが浮き出ている。


 胃液を吐けば、水か、例の煮汁をすする。


 身体が動かなくなれば、調整室の麻布あさぬのにくるまって眠る。


 うめき声も発さず、かわやに行くのも億劫おっくうそうだ。


「なにをしているのか、とは聞きませんが、彼女の無理をどこまで容認するべきですかね」


 クロイツェルが、やや非難する目をユッティに向けた。


 ユッティはユッティで、クロイツェルの穏やかでない心情を、どこか良い気味と思っているようだ。


「えらそうだねー。まあ、実際に上官なんだろうけど」


「ええ。それはもう、当然えらいですが、えらぶってはいませんよ」


「そういう自然な保護者面ほごしゃづらが、いつまで続けられるかしらね?」


 ユッティは相変わらず、極彩色の下半身をリベルギントから生やした状態で、器用につま先でクロイツェルを差し示した。


「あんた誤魔化してもしょうがないから白状するけど、あたし達、もう大演習どころじゃないのよね。あんたや警備への文句は置いといて、そこは謝っとく」


「必要ありません。御指摘の通り、すべて私の責任です」


「まあ、こっちはこっちで、なんとかよろしくやるからさ。そっちはそっちで仕事してよ」


「無論です。必ず事の次第を、明らかにして見せますよ」


 クロイツェルは律儀りちぎに、尻に向かって敬礼した。もう一度ジゼルに視線を向けたが、言葉を探しあぐねたのだろう、そのまま無言で歩み去った。

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