5.親睦を深めます

 東西に向き合う位置関係のオルレア大陸とアルティカ大陸、その北方全域を総称する環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんは、寒帯性気候と固い土壌、凍結する河と海による過酷な生存環境から、文明の早い段階で科学技術の発展に注力せざるを得なかった。


 航海技術と兵器の発展、燃料としての地下資源採掘、機械化による工業の革新をて、先進諸国が海を越えて植民地支配を広げる、帝国主義が勃興ぼっこうした。


 支配者と被支配者の差は絶対的なもので、今やほぼ全ての大地と海洋が帝国主義列強、環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんの植民地で分割されている。フェルネラント帝国は、その南端の境界線に位置していた。また悪いことに、環極北地方は肌の白い白色人種の分布圏であり、南方植民地は黄色、赤色、黒色人種で構成され、境界線であるフェルネラント帝国は混血人種の多民族国家だ。


 白色人種による全世界の支配体制は、完成を目前にしている。フェルネラント帝国は、その最後の邪魔者という立ち位置だった。


 滅亡は時間の問題であり、事ここに至って、フェルネラント帝国は自身の存亡をかけた、無理を承知の大方針に打って出た。


「弱きを助け、強きをくじく正義の味方! そこに秘密兵器も加われば、もう隙がない。隙がないわ!」


 尻が、威勢よく叫ぶ。


「文脈の前後が理解できないが、つまり、戦略的勝利を確信したということか」


「まさか。いくら先生でも、そこまで頭に花は咲いていません」


「だめだめ! そんな勢いじゃ、道理は引っ込まないよ? あたしらが音頭おんどを取らないで、どうするのさ」


 なるほど、一面の真理と言えた。


 生存能力の優れた個体が生き残る、強い者が勝つ、勝った者が多くを手に入れる、それは自然の摂理せつりそくしており、否定する根拠が存在しない。


 存在しないものを提示して常識を変えようとするならば、まず自身が常識を逸脱いつだつする必要があるだろう。


 人間は、人種や能力によらず、平等に尊重されるべき権利を持つ。


 民族は、自治を保証されるべき国土を持つ。


 新しい正義の先鋒せんぽうに立ち、白色人種国家と非白色人種国家の世界戦争をて、もう一度全ての大地と海洋を細分化さいぶんかする。それが、まったく自国の都合による、自国の存続を目的とした、フェルネラント帝国の戦略構想だった。


 植民地や保護領、特に地政学上の要衝ようしょうに位置するカラヴィナを第一候補として、将来の独立基盤になる工業化と公共事業を推進する。莫大ばくだいな投資は、すでにフェルネラント本国の地方経済を直撃して、子供の身売りや餓死者も発生している。


 自国民も属領民も空疎くうそな正義で鼓舞こぶし、血反吐ちへどを吐きながら邁進まいしんする様は、控えめに言って狂気の沙汰だ。仕掛ける方が正気のつもりでは、おこがましいというものだった。


「そういう発想の自由さが、うらやましいです」


 ジゼルが感心したような、あきれたようなため息をつく。それはそれとして、膝の上で昼寝するリントの背中をなでながら、ジゼルは満ち足りた表情を浮かべていた。


 ジゼルから聞こえたため息に、ユッティがようやく、リベルギントの操縦槽そうじゅうそうから降りて来た。


「なによ、もう。ちゃんと、花に実もつけるわよ? 搭乗試験、明日からね。余裕ないけど、あなたのがんばりに期待させてもらうからね」


「無論です」


「余裕がない、というのは」


「大演習よ。要綱ようこうは入力してあるから、検索してみて。とりあえず今日はお開きにして、ゆっくり飲ませてもらうわよ!」


「ご自由に。では、私達は退出しましょう」


 リントが、ジゼルの膝を降りて、軽く伸びをする。


 元来が狩猟型生物種のため、睡眠効率は良く、覚醒も早い。


「あれ? リント、連れてっちゃうの?」


親睦しんぼくを深めます」


「あたしにも深めさせてよー。差し向かいでさ。この子と話してるの楽しいし、その方が兵隊さんにも迷惑かからないし、ね?」


「迷惑というのは」


「先生、お酒を飲むと難しい話が止まらなくなるんです。そのせいで、綺麗なのに、誰からも苦手にされていて」


「わざとじゃないのよ。気持ちがゆるんでくると、ほら、楽しい方に、楽しい方に行くじゃない? いろいろ深く考えるのが楽しいのよ。そうでなきゃ、こんな仕事やってないって」


「わからなくもありませんが、想像すると、完璧な病人です」


 一人と一匹、猫と向かい合って飲酒し、長時間話し続ける女性という光景は、確かに重度の精神疾患を想起させるだろう。


 ジゼルの言葉には経験者の重みがある。


 余計な矛先が向く前に、ここは、早急に議論を妥結へ導く必要があった。


「個々の申し出はありがたいが、同族はしゅとして夜行性だ。契約は、自由意思を極力、拘束するべきではないと考える」


「そうだけどさ。なに、先約でもあるの?」


「現在は発情期だ。交尾の誘いを受けているめすが、二匹いる。みずからの遺伝情報を可能な限り後代に残すのは、種の存続の可能性を広げるための、個体生命の責務と考える」


「……」


「……」


「幸いにして、それを果たす能力と意思がある。今後の状況変化を想定すると、喫緊きっきんの行動選択として適切と考えるが、どうだろうか」


「うん、まあ……すごい、適切なんだけど……」


「なんでしょう、この敗北感……」


「理解に感謝する」


 にゃあ、と鳴いた声をいて訳すと、そこまで優先的に考えなくても良かったが、となる。


 あえて伝える必要もないだろう。


 夕食は先に済ませておきたかったが、こちらから言い出すのも、さすがに少しはばかられた。

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