3.見ればわかります

 ジゼルは、軍服に変わりはないが、今日は砂色の略式軽装を着ていた。薄手の服が身体を細く見せて、佩刀はいとうがいかにも重そうだ。


 屋根の穴に跳ね上げの板戸いたどをかぶせ、即席の天窓にしたことで、晴天の昼間、調整室は十分に明るかった。


 部屋の大半を整備調整用の機材とリベルギントが占めており、狭く、暑苦しいのは仕方がない。


 ユッティは極彩色ごくさいしょく腰布こしぬのを巻いて、胸は下着をつけているだけだ。眼鏡だけが清潔にくもりなく、くせ毛の金髪が、雛鳥ひなどりのように短い。


 ジゼルの目線が順に移動して、不審そうに止まる。説明の必要を認めた。


「猫だ」


「見ればわかります」


 毛並みは悪くない。薄灰色の短毛種で、若い健康な雄だ。


「あなたの言葉が、猫から聞こえるように感じます」


 ジゼルに向かって、にゃあ、と鳴いて見せた。


「まさか……身体を乗っ取った、なんてことは」


「そこまでの強制力はない。だが幸い、彼とは契約が成立した」


 電気信号による会話の要領を発展させて、こちらの意思を対象に伝達する。内部反射と共振を利用して対象側の電位変動を返信、解析することで、疑似的な知覚の共有を実現したのだ。


「充分な食事と睡眠、保温環境下の居住空間を提供する見返りとして、可能な限りこちらの意思に従う行動を条件とした、公正な契約だ。こちらの主格はリベルギントに内在しているが、彼の知覚を外部端末として利用できる。彼は同種族の個体の中でも、他者に対する親和性、協調性が極めて高く、現在のところ大きな精神的負荷もなく行動してくれている」


 伸びてきたジゼルの手を、するりと避ける。


「彼の自由意思だ。初対面だからだろう」


「そうですね」


「不満が顔に出ている」


「出ていません」


「それじゃあ、さ! 名前、リントにしよう。リベルギントじゃ長いから、略してリント。可愛いと思わない?」


 ジゼルばかりか、彼までも、困惑したような目をユッティに向けた。


 ユッティの文脈が難解なのは、普遍性のある事象のようだ。


「つまり、あなた達を区別して考える必要もないってことでしょ。まとめてリント。よろしくね!」


 にゃあ、と鳴いた声を強いて訳すと、勝手にしろ、となる。


 順応が早い。


 同じリントとしてならうことにする。


「そろそろ昼食の時間帯だ。契約の履行を要求する」


「そうねえ、出入りのおばちゃん達も来てるだろうし、適当に見繕みつくろってもらってくるわ。待ってる間、一緒に散歩でもして親睦しんぼくを深めなさいよ」


「やぶさかではありません」


「昨夜、食糧庫の近くで兵士に襲われかけた。類似状況が発生した場合は、交渉による鎮静化を期待する」


「楽しそうでなによりです」


 ジゼルとリント、一人と一匹で、外に出た。視覚情報の光量が調整された。


 リントの瞳孔どうこうが、陽光に反応して細くなる。猫の色覚しきかく偏向へんこうの補正処理をかけると、視界が、あふれるような色彩に満ちた。


「フェルネラント帝国属領カラヴィナ。総督府を置いて二年に満たない、新興の工業化計画地域です」


「植民地とは少し違うようだな」


 爛熟らんじゅくした果実の匂いと、湿気を含んだ風が、ジゼルの黒髪を大きく広げた。


 集合知の情報を整理する。


 技術的、経済的に先行発展した国家が他国の執政権しっせいけんを収奪し、閉鎖的貿易圏へいさてきぼうえきけんを形成することを、植民地支配と呼称する。性質上、絶対的な権利を持つ宗主国国籍民そうしゅこくこくせきみんと、被支配地域住民とを、制度として明確に区分した法体系、教育、就労、財産権の制限が構成条件となっている。


 旧カラヴィナ王国は、亜熱帯性の気候と平坦な土壌、多くの河川の水資源による農業を主産業とした、前近代的な多民族国家だった。


 フェルネラント帝国カラヴィナ総督府は設立以降、道路、橋梁きょうりょう灌漑設備かんがいせつびと上下水道に始まり、基礎課程と高等教育の各学校、病院、工場、鉄道と港湾施設の建設、本国に準じた法体制の整備を次々に推進していた。


 全ての資金はフェルネラント本国からの持ち出しで、何より、属領民に対する教育その他の権利をほとんど制限していないことが、厳密な意味での植民地支配と大きく違っていた。


「自国の都合で他国に介入する。本質は、さほど変わりません」


「本質そのものに意味はない。派生条件はせいじょうけんの分析を放棄するのは、理解から遠ざかる行為だ」


 ジゼルの目が、少し丸くなった。


「意外です。あなたは、言ってみれば、生命の本質そのものの状態でしょう」


「だから、単独の個として存在することに意味はない。ジゼルやユッティとの相互関係、これからの行動によって、存在の意味を構築していく。存在発生の瞬間から強い親子関係に立脚する人間とは少し違うが、成長過程の自意識の確立という点では、多分に共通するものがあると考える」


「知ったふうな口をきますね」


 言葉に合わず、やわらかい微笑みだった。


「猫のくせに。可笑おかしい」


 ジゼルの、手で唇を隠しながら笑う仕草が、年齢より幼く見えた。


 それを見て、現時点で言っておくべきことがある、と判断したが、一呼吸早く、遠慮がちな声がかけられた。


「仲が良いのですね。あなたが笑う姿は、ずいぶん久しぶりに見た気がします」


 見事な栗毛くりげの馬に乗った、壮年の男だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る