第2話 不義理だけはいけませんと思っててもやる
「大変だったんですよ」
清水が割って入った。この気遣いの鬼は変な雰囲気を察したようだ。
「わかります? 今日は西暦2036年、9月10日」
「9月10日…って、なんて?」
「2036年です。丈さんが消えた2019年からちょうど17年後に、同じ服着て、酒のニオイぷんぷんさせて、同じ場所に丈さんは出てきたんです」
清水の言葉はわかりやすく、丈一郎が消えてから現れる瞬間までを簡単に伝えた。そうだ、スマホと病院の時計は火曜と水曜とで曜日が違う。それか。
ふたりのやり取りを足久保は黙って見ている。
「大変だったのは、丈さんの行方不明が事件化して、僕は今の今までずっと容疑者だったんですよ。証拠もなかったし、僕に有利な証言をしてくれる証人がひとりだけいて有罪にはならなかったんですけど」
「容疑者…裁判とかまだ続いてるのか?」
丈一郎は清水の後退した額を見て絶句した。自分がイジっていいわけなかった。
「いいえ、おかげさまで無罪を勝ち取れました。最高裁がもう10年前に終わりましたね。それで、さっきDNA鑑定も終わって、ほぼ間違いなく小鹿丈一郎本人だってお墨付きが出たんですよ。こういうのってこんなスピードで出るんですね。驚きました」
言うなり清水はこらえていた涙を抑えきれなかった。
「良かった。良かった…本当に良かった」
「竜ちゃん…苦労させちゃったな」
そこへ、再会を噛みしめるふたりに仕事で来た足久保が口を挟んだ。
「そこでね、小鹿さん。あなた17年間もどうしてたの?」
「どうしてたって、今の話聞いてた?」
丈一郎からしたら急にタイムスリップしてきただけだったのだ。SFもマンガも読む身としては、それを主観的に説明することもできただろう。
しかし、そのまんま言っていいもんだろうか。一瞬ためらったが、いや、言うしかない!
「タイムスリップしてきたみたいなんだよね」
「あ、やっぱりそうだよなあ。60代には見えない」
清水はそう言うし、足久保も状況的にそれで納得するしかなかった。だが、それを報告書に書いていいものかどうか、宮務めの足久保にとって悩みは深い。
「それにしても、書類上は62歳なんだけど、あなたの話が事実としても45歳には見えない。30代半ばぐらいよ?」
「それはよく言われるけど、別に男はそんなこと言われたって嬉しかないぜ?」
「おべんちゃらのつもりはないけど…。いいか、ありがとう。あとはこっちでなんとかする」
「?」
脳天気な丈一郎の顔を見て軽くため息をつくと、足久保は早々と席を立った。
「清水さん。彼の身元の方はお任せしますので、いつでも報告できるようにしておいてね」
「もちろん!いつもありがとうございます」
足久保は去り際に同室の男性に気付き、清水に目配せした。彼はウンウン頷いたのみで、その辺がなんの合図なのかはよくわからなかった。
丈一郎は清水の17年間をもっと詳しく知りたかったが、いっぱしのオッサンになった彼はどれだけの思いを持って、それをどれだけ話してくれるかはまったく見当がつかなかった。
それにしても17年間のタイムスリップとは、我ながら大ごとである。
「丈さん、ちなみに住むところは当面ウチで面倒見ますから」
「いろいろ悪いな」
「この17年間、社会の変化もすごかったですし」
「ああそう。日本滅んじゃった?」
「日本は大丈夫ですけど、アメリカが分裂しました」
「えっ、マジか」
世界情勢は激変だった。
「それもだけど、一番大きいのは技術的変化かな。17年前っていうと…スマートフォンとかまだありましたよね」
「スマホ?これ?今もうないの?」
「スマホ!なつい!もう使えないんじゃないですか?」
「えー…」
清水の話によると、最近は決まった形の無いものが主流とのこと。いま丈一郎が病院で貸してもらってる黄色いペンダントもそれだ。
「この7、8年で定着しましたしね、アバター」
「なにそれ?」
「昔の言い方だと、AI?とかわかりますっけ?」
「うん。人口知能だろ?」
「はい。この場合は、ネットワークにつながった個性を持つキャラクターなんです。だから電話に出てくれてスケジュール管理ぐらいならやってくれますし、昔でいうSNSみたいなものも任せちゃったりできるんですよね」
「なんかすごいなソレ。電話なんてどうやって任せるのよ?」
「まあ、出るときにアバターですって応じてくれますから、そのままスケジュール押さえてもらったり、対応能力を上回る内容だと伝言としてあとで伝えてもらえますね。録音、録画、いいやつ使えば要約のみ教えてもらうとかもできるんですよ」
アバターは電子秘書と訳されたこともあったが定着しなかったそうだ。
聞けば、丈一郎の時代の形式のSNSはオールドメディア扱いで、ほとんど廃墟同然なんだとか。
アバターは24時間、それこそ寝てるときまで対応してくれるというのだから、この技術の登場でどれだけの雇用が減ったのだろうか。丈一郎は薄寒く思う。
「この病院だと入院患者用アバターのスギヤマさんとかそうですし、日本で有名なのは京都特別市かな。ロンドンの【ゾラック】に並ぶ世界最大級のアバター【聖徳太子】なんかホントにすごいですよ」
「聖徳太子…なるほど京都にぴったしだ。あとゾラックって言った?」
清水がそうだと答えると、丈一郎はにやにやした。なら、ペンダントじゃなくてインカムみたいな形の方が良かったな、と独りごちる。
「いやー未来か、未来に来たのか。俺は」
「嫌でも堪能してもらいますよ。今日はこのまま退院ですけど、一応定期的に検査で来ましょう。手配は済ませましたので、ひとまずウチに来てください」
手配も段取りもすべて彼の内にあるようだった。有能な苦労人の友人に任せるしかない。
住むところなんて考えてもなかったが、そうか、新生活のつもりで考えないとならないとは!
体感的にはつい2日前に事業に失敗し、失意のドン底であった。それがあっという間に、借金もなにもすべて時効なのである。
またアバターもそうだが、純粋に未来という環境に対して年甲斐もなくワクワクしている自分を抑えきれない。前代未聞かつ非常識な事態を飲み込み切れてないだけかもしれないが、丈一郎は前向きというかしごく能天気であった。
清水がまた来ると言ってその場を離れると、窓の外の大きな入道雲が目に入る。開け放つと熱波がすごそうだ。
「オイ、にいさん」
夢見る丈一郎を急に現実に引き戻したのは、同室にいる初老の男だった。
「なんですか」
「なんだ今さっきの話は? アレか、トンズラこいてたんか?」
「まあ、そんなとこです。友人に迷惑かけちゃってたみたいで情けない話ですよ。すいません、警察とか来てたから何だと思われますよね」
「まあな。友達に不義理かけんじゃねえぞ。しっかりしろや」
「はは、恐縮です」
なごやかな会話中に、突然別の女性の声が割って入った。
「オシカさん。そのまま自然に会話しててください。だけど、その人やくざの親分なんでほどほどにしてくださいね」
声の主は例のスギヤマさんである。先ほど人間ではなくアバターであることが判明したわけだが、言われなければわからなかった。
「えっえっ?」
しかし言われた内容が衝撃的すぎて、そのまま自然に会話なんてできるわけがなかった。
その様子を敏感に感じ取ったらしい。男は、あからさまに態度を変えてふて寝してしまった。あまりいい雰囲気とは言えない。
「もっと早く言うべきでしたが、その方は蕨野組の組長です。街の駅北にある歓楽街のヌシですね」
遅いよ、とも声に出しては言えず、丈一郎はバツの悪さにいたたまれない。ヤクザ怖いよりは申し訳なさが先に立っていた。
こそこそとベッドから出て無言のまま荷物をまとめ始める。
「ええと、騒がせちゃってすいませんでした。不義理には気をつけます。ご忠告本当にありがとうございました」
蕨野はこちらも見ずに片手でシッシッとやったのみであった。
どうせアバターがあればどこにいても大丈夫だろう。せっかくなので院内をぶらつきながらスギヤマさんとの会話を楽しんでみようか。
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