拝啓、不覚にも17年後に。

犬神正人

第1話 普通、酒飲んだぐらいでタイムスリップしない

(あーあ、またやっちまった。今の人生経験そのままで人生再スタートしてぇな…)



──────



「いやーオジサンもう飲めないヨー」



酔った丈一郎の足元は、リズム感のないダンスのようだった。


深夜4時。人によっては早朝にもなりうる時間である。人通りもなく、近くのマンションの明かりぐらいしか人の気配を感じられるものはない。


丈一郎のやや後ろを歩いていた若い竜太郎もそれなりに酔っていたが、そんなみっともない様子はない。全開で楽しんでいる丈一郎を見て笑っていられるぐらいだった。


脇の車道を新聞配達のバイクが走っていく。



「丈さん、家帰れます?」


「当たり前!ダッシュで徒歩5分です!」


「その酔い方でダッシュはヤバいっすよ」



竜太郎はスマホを取り出して付近のタクシー会社を検索する。連絡が取れたとしても、この酔っ払いを乗せてくれるだろうか。不安を感じながら、横目で丈一郎を見やる。


ちょうど植込みのブロックに座りこもうとしたところを目撃したので、コケないように慌てて支えに行く。こういうところでもほっとけない危うさが、四十代半ばの小鹿丈一郎という男にはある。普通ならただのダメなオッサンだ。



「うー、このブロック、なかなか沁みるイスになるじゃねえの」


「腰痛くないですか?」


「まーまーかな」



顔を上げようとした丈一郎と、顔を見ようとしゃがむ竜太郎。


だが、お互いに関する記憶はそこで途絶えた。



─────



後から思い出そうとしてもうまく行かないのは、やはり酔っていたのが悪かったからだろう。竜太郎から聞いた話によると、自分はこう叫んだらしい。



「竜ちゃんがハゲてく!」



見上げた視界は酔いそうなモーションの速度で、カクカクと竜太郎の額が後退していったのだ。



「えっ」


「気持ち悪っオエレレレッ!!」


「わぁーっきたねっ!誰ッ?」



本能的な気持ち悪さも手伝って吐いてしまったが、辺りの人通りの少なさ含め何も変わらない。だが、風景にどこか違和感があるのだ。


胃の内容物を吐き出したおかげで少しだけ平静を取り戻した丈一郎は、目の前で腰を抜かしている中年の男を見やった。



「えっと、竜ちゃん?」



あれ、そんなカッコしてたっけと言おうとして絶句する。中年男?竜ちゃんはまだ28だろう、と。



「おしか…さん?マジで?」



マゲを落としたサムライみたいな頭の男は、若いはずの友人、清水竜太郎だった。詳細なメカニズムはわからないが、ビックリしすぎてハゲたらしい。


幸いにも、本人はまだそれに気付いていないようだった。これは何か自分が悪いことをしたからだろうか。酔った頭で考えようとするが途中で面倒になるので止めた。


胸ポケットのスマホを取り出して時間を見る。朝の4時15分。なんだよ、この時間!



「あのさ、竜ちゃん」


「はい、はい!小鹿さん!丈さん!」



なんでこんな絶叫みたいなテンションで返事するかよく飲み込めないまま、丈一郎は笑顔を作る。



「とりあえずよ、シメにラーメンでも行くか?」



返事がどう返ってきたか、実はもう覚えていない。急速な眠気が覆いかぶさってきて、なすがままになったからだ。



─────



白い光だなあと、まぶた越しに感じ丈一郎は反対側に体を傾ける。瞬間、ムワッとした薬臭いシーツが気になって目を開けた。


どこか知らない病院のベッドに寝ていたようだ。見ると、腕に点滴の針が刺さっている。さすがに気味悪く感じて身を起こす。


ベッド脇を見ると置時計があって、もう午後1時を回っていた。前に時計を見たのをうっすらしか覚えてないが、それでも深夜とか明け方だった気はする。9月10日…水曜日。



「水曜日?」



ばっと起き上がり、自分の身につけているものを目と手で確認した。病院のパジャマを着ていて、私物らしいものはない。


はっと思い、置時計の載っている台とその下、さらにベッド下まで覗き見ようとした。何を打たれているかわからない点滴を強引に抜き取って、ベッド下を覗きにしゃがみこむ。青がだいぶくすんだプラスチックのカゴに、衣類その他がまとめられていた。スマホ、財布、カギ。思い出せるものはすべて無事。良かった!


スマホを確認するが、特にメッセージのたぐいはない。念のため、日付を確認するが『9月10日』である。だが、目の前の置時計とスマホでは曜日がズレていた。



「にいさん騒がしいな」



後ろから話しかけられて、初めて同室の入院患者がいることを意識した。振り向くと、60代ぐらいの背の高い男である。やや白味がかった短髪の、けっこうがっしりした体つきで、うかつな物言いをしたら無造作につまみ出されかねないオーラがあった。


スイマセン、と手を合わせる。男はワンタイミング遅れて「ンなこたしねえ」と面倒そうに手を振ると自分のベッドに戻った。あまり関わりたくないらしい。



丈一郎は改めてスマホを見た。日付は同じだが、曜日は火曜である。間違ってないはずだ。普通に考えて、スマホの方が正しいはずだと思えばいいだけの話だった。



「わかんね」



2秒で投げ、気分転換に小用を足すことにした。



「オシカさん。トイレは右手をまっすぐ歩くと右にありますよ」


「うわっ!なに?だれ?」



突然呼びかけられて飛び上がるが、周囲にそれらしい女性は見当たらない。



「わたしは高松病院の入院患者用アバターです。スギヤマと呼んでください」


「えっ、えっ、どっから話しかけてんの?マジで誰?」


「ネックレスにスピーカーとマイクが搭載されているので、わたしとは自由にやりとり可能です。ちなみにスピーカーは骨伝導なので、わたしの声はオシカさんにしか聴こえていません」


「へ、へえぇ。便利だな」



首元を探ると、確かに覚えのない黄色くてダサいネックレスがあった。これを通して専属のオペレーターと繋がっているというわけか…。聞くと、勝手に持ち帰られないようにするための工夫だったらしい。



「院内だけでのお付き合いですが、よろしくお願いします。何かあったらお呼びください」



最近の病院はスゴいな、考えながらしみじみ思う。病院なんて十年以上近寄ってない。テレビも見ないし、最近の医療事情なんて何も知らなかった。


丈一郎は気を取り直してトイレに向かう。注意深く周りを観察すると、確かにオペレーターと話しているらしい患者たちの独り言が目につく。何か変な光景だった。


自分が20代のはじめ頃に携帯電話が出回り始めたとき、中年層の胸中はこんな感じだったろう。当時、街中を目の前にいない人相手に大声で話しながら歩く光景は、違和感を通り越して反感を持たれたものだった。



「そういえば、勝手に点滴抜いて良かったんかな」


「ただの生理食塩水だから問題ありませんよ。今のようにアルコールを尿排出してもらうことが目的なんです」


「ん、スギヤマさん?そっか、記憶無いけど竜ちゃんと飲んだんだったな。俺、どっかで倒れてたの?」


「オシカさんの個人情報が無いため詳細はわかりませんが、同伴の方からの通報だと伺ってます」


「そう。後で連絡取らないとなあ」



小用を終えてそのまま病室に戻らず、見晴らしのいい窓から外の景色を眺めていた。湿気がなくて気持ちのいい涼しさ。このまま秋になっていくのかな、と感じる。



「オシカさん。病室に来客の方です」



この院内通信は便利だなと思いながら病室に戻ると、清水の隣に女がいる。自分と同世代ぐらいの女は警察手帳を出しながら名前を呼んで話しかけてきた。



「生活安全課の足久保といいます。小鹿さんの身元に関して…ね。さすがに20年は長いし、今までのことと…」



短くボーイッシュに刈り込んだ短髪で、後ろ姿だけを見ればガタイの良さも含めて男と見間違えそうだ。丈一郎は訳もわからないままなりに睨もうとした。しかし、目つきは柔らかで、高圧的な雰囲気はない。



「あとできれば若さの秘訣も教えてほしいね」



直感的に、いい女だな、と丈一郎は感じた。足久保の表情は変わらないが、目尻の皺が一瞬だけ濃くなったように思う。笑ったのかもしれない。



「ちなみになんか容疑とかかかってる?」



心当たりのない丈一郎は率直に聞いた。すぐには答えない足久保は、近くの丸椅子を引き寄せて座る。清水は立ったままだ。



「そういうことなら、こちらにおいでいただくと思うよ。それに私の所属は生活安全課。今日は2019年からまる17年間も行方不明だった小鹿丈一郎さんが見つかったって報告があって来たんだけど」

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