第2話 カレーライスと明日
「ただいまぁ」
誰もいないとわかっている家に声をかけるのは、父さんの教えのせいだ。
”いいか琥珀。この家で一番偉いのは俺じゃなくて、もちろん琥珀でもなくて、家自体なんだよ。台風の日だってカンカン照りの日だって、俺たちがいつも通り過ごせるように、どんと構えてくれているだろう。だから、俺が家にいない時でもちゃんと、この家にただいまって伝えるんだぞ”
汚れてしまった学ランを選択カゴに入れて手を洗う。物心ついたときからこの家に住んでいるけれど、とても良い家だと思う。全体的にオレンジの光に包まれた平屋の中はとても暖かくて、腰の痛みなんてすぐ忘れてしまった。
15時30分。父さんが帰ってくるまであと3時間くらい。今日は高校も始業式らしいからきっと早く帰ってくるはずだ。今晩はカレーにするとか言ってたっけ。そう思いながら、ご飯を炊く準備をする。父さんの作るカレーは、世界一うまいと思う。いや、カレー以外もうまいんだけど。でも、餃子は俺のがうまいな。あの人不器用だから包めないんだ。
炊飯器のボタンを押して、一息つく。殴ってきたジャイアンたちの顔を思い出してみる。…ほんとジャイアンみたいな顔だったな。実写化のオファー来るレベルだと思う。そして、あの高校生。紺色のブレザーを着た彼は、俺と全く違くて。いや、そりゃあそうなんだけど。俺より何年か多く生きてるから、大人に見えるのは当たり前なんだけど。俺を殴ってきた大人たちより、高校生の方が大人に見えた気がした。なんていうかその、精神の持ち方?っていうの?溢れ出るオーラ?…わかんねえや。でもとにかく、かっこよかったんだ。
そういえば、と鞄の中からプリントを出す。中学生になって初めての宿題。”なりたい自分”をテーマにした作文を書きなさい。
今までは父さんみたいに生きたい、なんて漠然と思ってたけど、俺は今日初めて、他人を敬う気持ちを知った。俺は、あの人みたいになりたい。父さんみたいになるには、20年くらい早いかもしれないけれど、高校生なんてほんの何年か後の話だ。身近な目標。今自分が、向かうべきところ。
もう一度、あの人と会って話したいと思った。高校生、紺色のブレザー。探したら絶対にいるはずで。高校の門の前とかで待ってたら会えたりするんじゃないの。俺天才。あの人みたいになるために、あの人ともう一度話したい。
プリントの名前欄に、ワクワクしながら”杉山琥珀”と書いた。
”僕は、人を助けることができる人になりたいです”。
夢中で書いていたら、玄関でドアを開ける音が聞こえた。父さんの「ただいま」に届くよう、リビングから大きな声でおかえりと返事をする。
「どーだったよ、中学生1日目は」
呑気に聞く父さんに「まあまあだったよ」と返す。事実、学校生活ではそれなりにちゃんとできたし、自己紹介もウケたし、良いスタートを切ったと思う。問題は本当に帰り道だけなのだ。
カレーの準備をするために腕をまくりながら、父さんはキッチンに立った。うちのキッチンはこちら側が見えるアイランドキッチンで、メガネをかけた父さんの顔がよく見える。
書き終えたプリントをファイルに挟み、椅子から立ち上がって「手伝おうか」と伝える。
「いーのいーの。今日は初日お疲れ琥珀君パーティだからな」
なんか好きなことしてな。と言う父さんに甘えて、もう一度座り直す。といっても、あまりやることはないけれど。テレビをつけようか迷っていたら、人参を切る音と共に父さんがこちらに話しかけてきた。
「ところで琥珀さぁ、学ランどうした?」
軽いトーンで聞いてくる言葉に、棘はない。別に言いたくないなら言わなくても良い、という父さんのスタンスは知っているけど、言わない理由も特にないので話してみる。
「なんか大人とぶつかったから殴られた」
「おぉ、それは予想外だったな。やり返した?」
呑気に野菜を切りながら聞く父さんに首を振る。「殴られっぱなし」。
「でも、助けてくれたんだよ。謎の高校生が」
なにそれかっこいい、と明らかにテンションが上がった声で父さんは笑った。話を聞くだけの父さんでさえそう思うのなら、実際にそれを体験した俺がかっこいいと思うのも普通の話なんだな。
「それで?琥珀は殴られて、助けられて、どー思ったの?」
カレーの具材を鍋に入れ終わったのか、洗った手を拭きながら父さんは俺の正面に座った。
確かに、誰かに殴られる、ましてや大人数に殴られるなんて初めての体験だったから、思うことはたくさんあった。もう一度、あの時の感じを振り返ってみる。
「そう言われると、少し新鮮だったかも」
「と、いいますと?」
「人に殴られるって、人生で経験できるかわからないでしょ。ドラマとか、漫画とかでは見たことあるけど、実際そうなることってそんなにないし。もしかしたら俺の人生最初で最後の殴られかもしれないし、これからもっと殴られるかもしれないけどさ。なんか、一個経験値上がった気がする」
そんな俺の言葉に、父さんは「いいじゃん」の一言を返した。間違いなくお前の経験値は上がったよ、と。
「それでお前が重傷を負ったなら話が変わってくるけど、スーパーヒーローとも出会えたんだし。いいねぇ琥珀、ジャンプの主人公みたいじゃん」
子供のように笑う父さんに、「明日そのヒーローを探そうと思うんだけど」というと今度はニヤついた「いいじゃん」が返ってきた。
「明日は殴られんなよ」
火にかけた鍋がぐつぐつと言い始め、カレーの匂いを感じる。今日はいろんなことがあったけれど、こうして父さんといつも通り話して、カレーを食べれるだけで俺は幸せだな、と思った。同時に、はやく明日になんねーかな、と思ったりもした。
きっと、太陽のせい。 南 陽英 @hie__minami
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