白球を追いかけて

@smile_cheese

白球を追いかけて

子供の頃の夢は野球選手になることだった。

その夢が叶わないと分かったのは中学生になった時だ。

それまで一緒に野球をやっていた男子たちとは明らかに実力に差がつき始め、気を使われていることも痛感した。

もうここに私の居場所はないんだ。

私は1ヶ月も経たない内に野球部を退部した。


私には高校生の兄がいる。

野球を始めたのも兄の影響があったからだ。

そんな兄とはよくキャッチボールをしていたが、私が野球を辞めてからは一度もすることはなかった。

野球が嫌いになったわけではない。

嫌いなのは、すぐに夢を諦めてしまった自分自身の弱さだ。

そんな弱さを家族に見せるのが恥ずかしくて、次第に兄とは会話することも少なくなっていった。


ある日、私は不思議な夢を見た。

どこまでも転がり続ける白球を必死になって追いかけている私。

ようやく追いつくと、もう離すまいと私はその白球を両手で掴んだ。

周りを見渡すとそこには何もなく、永遠に砂地だけが広がっていた。

いつのまにか私はだだっ広い砂丘のど真ん中に立っていたのだ。

まるで今の私のようだ。

夢を諦めて、何も持っていない。

乾いて、乾ききって、そこに存在しているだけの砂。

目が覚めると、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。


あれから2年が経った。

兄とはキャッチボールこそしなかったが、少しずつまた会話するようにはなっていた。

そんな兄が車の免許を取ったと私に嬉しそうに自慢してきた。

私は軽く流そうと思ったが、兄からドライブに行かないかと誘われてついていくことにした。

車を運転する兄はいつもより大人に見えた。

私はなんだか照れくさくて、黙って助手席から外の景色を眺めていた。

すると、車からラジオが流れ始めた。

車の揺れとラジオのDJの心地良い声が合わさり、私のまぶたはゆっくりと閉じていった。


私はまた砂丘に立っている夢を見た。

手に持っていた白球もどこかに消えてしまっていた。

私は白球を探すために何もない砂丘を走り回った。

けれど、白球はどこにも見当たらない。

どこまで行っても続く砂地に心が折れ、私の視界は涙に奪われていた。

もう諦めようと思ったそのときだった。

突然、砂丘の中から女の子が飛び出してきた。

私は驚いて尻餅をついてしまう。

女の子はそんな私に手を差し伸べ、「こんにちは」と声をかけた。

私はさらに驚いた。

その女の子は私だったのだ。

もう一人の私が普段は着ないような可愛らしい衣装を身にまとって笑いかけている。

そして、私が立ち上がると、もう一人の私が何かを手渡した。

それは私が探していた白球だった。

夢から覚めると、ラジオからはアイドルの元気な歌声が流れていた。

その瞬間、私の中で何かが変わった。

ずっと失ったままだった探し物が見つかったような気がした。


その年の夏、私は数年ぶりに兄をキャッチボールに誘った。

ずっと白球には触れてこなかったけれど、投げ方や捕り方はしっかりと体が覚えていた。

キャッチボールが100回続いたところで、私は投げるのを止めた。

兄は急にどうしたんだといった感じで不思議そうにこちらを見ている。

周りに誰もいないことを確認して、私は兄に向かって叫んだ。


お兄ちゃん。

私、東京に行く。

アイドルになるの。


そうか、頑張れよ。

兄は多くは語らず、一言そう言ってくれた。

それから私たちは黙々とキャッチボールを続けた。

言葉は交わさなくても、お互いに言いたいことは伝わっていた。

私の夢はまだ始まったばかりだ。


兄の投げた白球が私の頭上の遥か上を越えていく。

私はその白球を必死で追いかけた。

遠くからは兄の笑い声が聞こえてくる。

息を切らしながら、私は掴んだ白球を力いっぱい投げ返した。

真っ白な白球は弧を描きながら、太陽の光に溶けていった。



完。

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