昨日のことなんて、なにもかも忘れたよ

ちびまるフォイ

ワンタイム・ワールド

「社長! 話がちがうじゃないですか!」


「そうかい? でもこっちがいいと思ったんだよ」


「昨日はあっちの案で進めようという話だったじゃないですか!

 ほら、そのように議事録にも書いてあるでしょう!?」


「あのね、昨日と同じ今日はないんだよ。

 だから今日にひるがえることなんて当たり前だろ」


「そんなの屁理屈ですよ……!」


「あ、じゃ辞める?」

「よろこんで変更させていただきます!!」


その日は1日イライラしながら過ごしていた。

翌日のことスマホに1通の通知が来ていた。



【国民のみなさんへ】

本日より"毎日リセット法案"がはじまりました。



「……なんだこれ?」


気にせず会社へいくと社長が目を丸くしていた。


「山田くん、どうしてここへ来てるんだ」


「え? だって、今日は金曜日で出勤日でしょう」


「そうじゃなくて。君は今日の契約書に同意していないだろう。

 だからまだこの会社の従業員ではないはずだ」


「契約書!?」


スマホには電子契約書が届いていたのを見逃していた。

契約期間はなんと1日。今日だけの契約書だ。


「社長、同意しました」


「ようこそ、○○株式会社へ。これで君は今日だけうちの従業員だ」


「……はあ、なんか変な感じです。明日はどうなるんですか」


「明日にまた契約書を送るよ」

「めんどい!」


「しょうがないだろう。明日になればすべてリセットするんだから」


その日も1日会社で遅くまで仕事をし、疲れて帰るとそのまま倒れるように眠った。

翌日、目をさますとまた1日契約書が届いていた。


「同意っと」


他にも、家の保険や車の保険、ガス・水道などの公共料金。

戸籍からなにまで毎日その日限りの契約書が送られてくる。


同意ボタンを連打して指が筋肉痛だ。


「さて会社に行くか……」


ゾンビのような足取りで会社に向かい、ゾンビになって家に帰る。

そして秒で明日を迎えてまた大量の契約書や同意書が送られてくる。


「同意しないと……」


まだ布団にこもりたい体をひきずりだしてスマホに手を伸ばす。

画面には会社の従業員として社畜として働くことを誓う誓約書。

あらためて見ていると、なんで自分がこれに同意するのかわからない。


「毎日好きでもないことをして、やりたくないことで精神を削られ。

 なのにどうして俺はこれを同意しているんだろう……」


その日、はじめて「同意」ボタンを押さなかった。


社長から電話が来て怒鳴られるんじゃないかとびくついていたが、

同意を押さない限り自分は従業員ではない。怒られるいわれはなかった。


急にできた平日のお休みに時間を持て余し、外を歩いていると開放感に包まれた。


「俺って、こんなにも毎日いろんなことにしばられていたんだ」


毎日当たり前に同じような日々を繰り返していた。

我慢してでもそうしなければいけないとどこかで思っていた。


いつだって人は自由で、自分の好きなようにできる。

約束で人間を縛ることはできない。


きっと昔の人間はこんなにも自由で自分に対してまっすぐに生きていたんだ。


「もう少しで他人との約束で自分の人生を台無しにするところだった。

 これからはもっと自分に素直に生きよう!!」


そう誓った矢先のこと。

立ち寄ったゲーム屋さんでかねてからほしい新型のゲーム機が入荷されていた。


「あれは、予約すらできない幻のゲーム機……!!」


あまりに高額なのでとても買うことはできない。

けれど体は自然とゲーム機の方へと引き寄せられる。

気がついたときにはお金も払わずに箱を持ってダッシュしていた。


「あ! ドロボー!!」


「泥棒なのは今日1日だけだ! 明日になれば泥棒じゃなくなるんだよ!!」


すべての約束は明日になればリセットされる。

超速でやってくる時効に向けて逃げればいい。


しかし重い本体を抱えてダッシュする距離にも限りがあり、

足がもつれてころんだところをあっさり店員さんに捕まってしまった。


「この泥棒め! 警察に突き出してやる!」


ウーバーポリスがやってくると、手錠をかけられて自転車の後ろに座らされた。


「到着早くないですか!?」

「当たり前だ。明日になったら罪がなくなるからな」


警察官も1日限りなので、職場体験的にたくさんの人がやってくる。

常に新人のようにやる気全開な人材が供給されるので容赦がない。


このままでは牢屋に入れられてしまう。

12時まであと数時間。


「……あ、あのトイレ行ってもいいですか?」


「あとにしろ。刑務所についてから済ませろ」


「いやもう漏れそうなんですよ! いいんですか! 背中で漏らしますよ!?」


「わかったからさっさと行ってこい!」


公衆トイレに立ち寄ると時計で何度も時間を確認する。

ドアを隔てた向こう側では警察官が「早く済ませろ」と急かしてくる。


「あと1時間……!」


トイレから出ては、便意を装ってトイレに誘導して時間をかせぐ。

トイレでの時間稼ぎができなくなったら気持ち悪くなったとか、

あの手この手で刑務所への到着まで時間を稼ぎ続けた。


「あ! 急に病気の母が危篤状態だったのを思い出しました!! このままでは死に目に会えない!!」


「時間稼ぎするな!! もうお前が漏らそうがなんだろうが刑務所へいくぞ!!」


時間稼ぎにイラついた警察官は強引に自転車をかっとばした。

ついに刑務所のサーチライトが見えてきたときだった。



ボーン、ボーン。


12時を知らせる鐘が鳴り響いた。


「やったーー!! ついに逃げ切ったぞ!!」


日付が変わったことで警察官と泥棒は、ただの一般人へとリセットされた。

もう捕まることもない。


「さぁ、俺はリセットされたから泥棒じゃなくなりました。

 この手錠をといて、俺の荷物を返してください」


「……はあ? いや知りませんけど」


「えっ」


「いや1日警察は昨日終わったわけで、あんたの手錠やら手荷物やらを返す義務ないですよ。だって警察じゃないし」


「そんな馬鹿な! 今持っているならさっさと返してください!」


「持ってないんだって。1日契約が切れたら、手錠の電子鍵も開かなくなるんだし」


「うそ……」


手錠と腰縄をつけられたままの一般人は、財布も携帯電話も持っていない。

戸籍や住居や水道の契約を受け取って、同意するためのツールもない。


待っていたのは自由という名の監獄だった。


生きるためにはまた泥棒して食いぶち漁らなければならない。

今日も、明日も、あさっても。


自分を守ってくれるあらゆる約束が何もなくなってしまった。


「お願いです! どうか俺をあの刑務所に入れてください!

 このままじゃ、一生同じ泥棒生活を続けなくちゃいけなくなる!!

 俺にはもう何も守ってくれるものがないんです!」


元警察官の一般人は困った顔をした。



「だからそれは、今日の1日警察の人に頼んでくれよ」

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