第3話 「夜歩き」

 夜に出歩くのは古くから忌避されている。明かりも少ない闇の中、何が潜み、どんな危険があるかわからないからだ。

 もしも明かりを持っているから大丈夫だと考えているならば、やめた方がいい。

時として、明かりでは照らせない何かに出会うことがあるかもしれないのだから。


                 ◆◆◆◆


 夏休みまで数日というある日。

休み時間にパックジュースを飲みながらスマホをいじっていると、走りながら誰かが目の前にやってきた。

「なぁ、悠!夏休みになったらイツメン全員で肝試し大会やらないか?」

 親友の宗太が楽しそうに笑いながらそんなことを言った。

「肝試し?近所にそんなスポットあったっけ?」

「ホラースポットではないんだけどさ、ネットで面白い噂があったんだよ!『キリサキさん』ってやつ」

 聞き覚えのない噂に少しだけ興味が出て、スマホから目を離す。

「聞いたことないな。どんな噂なんだ?」

「特定の道の曲がり方をするとキリサキさんのいる異界に行けるってやつなんだって!」

「異界系かぁ」

「そ。んで、キリサキさんは異界のどっかにいて、辿りつくことの出来た人の願いを叶えてくれる、とかなんとか!」

「最後あいまいなのかよ」

「人によって言ってること違うんだ。でも、異界に行ってキリサキさんに会うといいことあるってのは一緒!この間のエレベーターで異世界へ行く方法は駄目だったけど、ちょっと試してみようぜ!お前どうせ暇だろ!」

 また今回も誰かが作った噂だろうと思いながらも、疑問がわく。

「暇だし、いいけどさ。異世界へ行く方法より難しくないか?道の曲がり方利用してるってことは、あてはまる場所調べなきゃいけないじゃん」

「それが、よっしーがもう目星つけてる場所があるんだよ!」

 俺の言葉に宗太はにやりと笑って言った。

 さては色々準備したうえで俺を誘ってきたな、こいつ。

「まぁ、そこまで準備出来てるならいいけどさぁ……」

「詳しいことは決まったらメッセージ送るから!とにかくよろしくな!」

それだけ言うと「次移動教室だからまた後でな!」と宗太は勢いよく教室からとび出していった。

「……俺まだ返事してないんだけど」

 俺のつぶやきと共に授業開始を告げるチャイムが鳴った。


                ◆◆◆◆


 その後、メッセージでのやり取りを重ね、夏休みに入ってから全員空いている日に集まって噂を試すことになった。

 よっしーが目星を付けたという場所の地図を確認すると、電車で十分ほど離れた隣の市に目的の場所があった。言い出しっぺの宗太が言った「夜中の方が異界へ行きやすいし雰囲気がある」ということから、仲のいい他の友人数人も集めて、夜に試すことになった。

 その後もやりとりは進み、夏休みが始まってから数日たったある日に作戦決行に移った。

 夏休み中は羽目を外して遊ぶ者が多いため、警察の深夜の巡回は必然的に増える。全員で目的の場所へ行けば目立つことから、夜中の零時に該当の道から一番近い公園で集合し、そのあと全員で現地へ赴くことになった。

 夜中に家から出るのはそこまで難しくなかった。だが、見回りしている大人や警察に見つからないよう道を何度も迂回していると、思ったよりも時間がかかってしまった。

公園へ到着した頃には午前一時半になっており、全員が揃っていたようだった。

「すまん、遅れた」

「いや、俺らも時間かかったし」

 本来の集合時刻より随分過ぎてしまったが、何事もなく全員が揃ったので、よっしーが目星をつけた件の道へ向かうことにした。

「この公園から歩いてどのくらい?」

「二十分くらいかな」

「意外と遠いな」

「他に集まれそうな広い場所なかったんだよ。道端でたむろしてるの、ポリ公に見つかると面倒じゃん」

「たしかに」

 すっかり家の明かりが落ちた住宅街の道路を数人で歩きながら小声で話す。内容はキリサキさんについてだ。

「どんな外見をしているんだろうな、キリサキさんって」

「赤い傘さしてるらしい」

「他の特徴は?」

「身長高いとか、霧が出る中に佇んでるとか。ただ、結構あいまいというか。人によって言うことバラバラらしい」

「噂でっち上げているから話のつじつま合わないんじゃね?」

 俺の言葉に宗太が苦笑いする。

「そうかもしれないけどさ。ホントにいたら面白いだろう?萎えること言うなよ」

「それもそうだな。すまんすまん」

 軽口を叩きながら『ホラーな展開があったらどうするか』、『キリサキさんに会ったらどんな願いを叶えてもらうのか』なんて話もしながら歩いていると、あっという間によっしーが言った道に到着した。

「住宅街だけど、なんか寂れた感じあるな」

 あたりを見回しながら宗太が言う。先程の公園近くの家と比べると、どこも庭に草が生えており、懐中電灯で照らした壁は苔や蔦で深い緑色をしていた。

「ここら辺、人住んでないんじゃないの?めっちゃ廃墟じゃん」

「雰囲気あっていいだろ」

「ちょっとありすぎというか。不審者いそうで別の意味で怖いな」

「流石にいないだろ、こんな場所に」

 雰囲気たっぷりの周辺の様子に恐怖と好奇心が刺激され、俺たちのテンションはすっかり最高潮に達した。ついつい大きくなる声を抑えつつ、道順を書いたメモを見ながら、よっしーを先頭に異界に行く方法を試すべく道を進む。

「この曲がる順序で家に帰る人いたら大変だよな。毎回異界へGOじゃん」

「こんな複雑な道順で帰る人なんて、そうそういないだろ……」

「つか、あいつらもうちょっと声抑えた方がいいんじゃねぇの?」

「よっしーテンション高くなると声大きくなるからなぁ」

「ヤバそうだったら声かけようぜ」

「そうだな」

 俺と宗太は元々歩くのが少し遅かったこともあり、二人で少し離れたところを歩きながら話していた。

「……おっと⁉」

 半分まで来たあたりで油断していたからだろうか。急に何かにつまづいてバランスを崩しそうになった。俺の様子に、一緒にいた宗太が振り返りながらへらりと笑う。

「何してんだよ、大丈夫か」

「大丈夫。なんかに蹴躓いたっぽい」

足元を見てみると左の靴紐がほどけていた。ずっとまわりばかり見ていたせいか、解けかかっていることに全然気が付かなかった。

「わるい、靴紐結び直すからちょっとタンマ!」

 前を行くよっしー達に少し声のボリュームを上げて言うが、「早く来いよ」と言うだけで立ち止まってはくれない。

 宗太は俺の正面で立ち止まって懐中電灯で足元を照らしてくれて、「早く結べよ」と笑いながら前を行くよっしーを目で追ってくれた。

「おまえ、なんだかんだで良い奴だよな」

「俺はいつも良い奴だろーが」

 ぶすくれる宗太を適当にあしらいつつ、よっしーもちょっとくらい待てないのかと内心溜息を吐く。もたもたしていると置いて行かれるため急いでしゃがむと、今度は解けないようにしっかりと靴紐を結び直す。

 そして、早く追いつかなくてはと前を見た時───異様な何かがよっしーの前方にいることに気が付いた。

 異様な、と言っても恰好が変だとかそういうわけではない。様子がおかしいのだ。

前方にある十字路を横切る形で、一列に歩いている集団がいた。

全員が俯いたまま、疲れ切ったかのように足を引きずって歩くその様は、明らかにまともではないと遠目で見ている俺でもわかる。

 しかし、すぐ近くにいるよっしー達は全く気が付いていないようだった。こんな時間にふらふら歩いているおかしな奴がいれば、誰だってヤバいと思って逃げたり、刺激しないように道の端を歩いたりする。

だが、あいつらは道の真ん中で相変わらず抑えきれていないひそひそ声で、楽しそうに談笑しているのだ。

「な、なぁ……あ、あれ見えるか?」

 俺はよっしー達を見ている宗太に、震える喉を必死に押し殺して声をかけた。

「あれってなに?なんかあった?」

 俺の質問に首をかしげながら宗太は問い返した。その態度が何も見えていないという事実を裏付けし、一気に背筋に悪寒がはしる。言葉にするのが怖くて、それでもどうにか伝えようとわななく口を動かした。

「いや、あの……曲がり角のところ、さ」

「曲がり角ぉ?」

 宗太は眉を顰めながらも俺のただならぬ様子に何か思ったのか、俺の視線が向かう方へ視線を向ける。

「なんもいないけど」

 いぶかしげな声と態度に俺はいてもたってもいられなくなり、思わず言い放った。

「だから、いるんだってば!ほら、あそこに!」

 しゃがんだまま、前方のそれに向かって指を差す。

 その瞬間。


 ──────ぐるり


 異様なそれは人形のように水平に首を回し、こちらと目を合わせた。

 俺はその集団の異様さをしっかりと見てしまった。

見開いた双眸。半開きになった口。血の気の引いた土気色の肌。何よりもこちらを憎々しげに睨む表情。

 あれらは生きている存在ではない、この世のものではないと一瞬で頭の中に答えが叩き出される。

 意味もなく喉が渇き、それでも落ち着こうと存在しない唾を飲み込む。冷え切った空気が喉に触れ、少しだけ冷静になる。

 そのあとの行動は一択だった。

「宗太!逃げろ!」

 ぽかんとした宗太にそれだけ言うと、がむしゃらに足を動かし、縺れながらも今来た道へ向かって走り出す。

後ろにいる宗太がちゃんと逃げているか気になったが、またアレと目が合うのではという恐怖で振り返ることは出来なかった。

道もわからず走り続け、しばらくして息が続かなくなった頃。限界を迎えた足では先を進むことも出来ず、その場にへたり込む。

必死に息をつぎ、未だバクバクと脈動する心臓の鼓動を感じながら恐る恐る後ろを見ると、どうやらあの異様な存在はついては来ていないようだった。

 ほっとしたのもつかの間、宗太の姿もないことに気が付き息をのむ。携帯のメッセージアプリで連絡を取ろうとするが圏外になっており、連絡を取ることは出来なくなっていた。

「お、おちつけ……。落ち着くんだ、俺」

 周囲に警戒しつつ、ゆっくりと息を吐く。何度かそうしているうちに少しだけ落ち着いた。

 改めてまわりを見渡すが、がむしゃらに走ったせいか最初にいた住宅街の方向から外れているようだった。あたりには日本家屋が立ち並んでおり、ここがどこなのか全く見当がつかない。

 とにかく深夜でも営業している店を探して、ここがどこなのか教えてもらおうと歩くが、明かりの落ちた家ばかりでどこにもコンビニや深夜営業の店はない。

 途方に暮れながら、川沿いの道を歩く。疲れていたこともあり、近場の欄干に体を預けしばらく休むことにした。これからどうすればいいかと汗を拭いながら考えていると、何か匂いがすることに気が付いた。仏壇や神社仏閣でたまに香るお香の匂いに似ている気がする。

 藁にもすがる思いで匂いのする方向へ行くと、赤い和傘を差した人影が前方に見えた。男の自分が見ても背が高く思える。軽く百八十センチは超えているのではないだろうか。

 赤い傘を差しているという特徴に宗太との会話を思い出す。

「……もしかして、キリサキさん」

 思わずつぶやいた言葉に気が付いたのか、その人は振り返り、こちらへ向かって歩いてきた。

 近づくにつれ、傘で隠れた顔が見えた。不思議な雰囲気のする人で、年は自分より年上のように思えた。黒髪を後ろで一本に纏めており、紫色の瞳はじっと俺を見つめている。

少なくとも、先程の恐ろしい集団とは違い、願いを叶えてくれるという噂通りこちらへ害はない印象だ。

 他に頼るものもないため、藁にもすがる思いで声をかけることにした。

「あ、あの、すみません!キリサキさん、ですよね?」

「……確かに僕はキリサキと呼ばれているけど、何か用?」

 どこか眠たげな目で俺を見下ろしながら彼は答えた。男性にしては高く中性的な声は耳にすっと入り、焦った心を落ち着かせてくれる気がした。

「あの、願い事を叶えてくれるって本当ですか⁉俺、どうしても貴方にお願いしたいことがあって───」

「それは誰かが作った、都合のいい噂だよ」

 必死に言葉を繋げよう口を動かす俺に彼はぴしゃりと言い放った。それだけで俺は何も言えなくなり、能面のように無表情なキリサキさんを見つめることしか出来なくなる。

「まず僕に願いを叶えるような力はない。願いを叶えてくれる存在を探すなら、別の奴をあたったほうがいい。コックリさんで質問に回答してもらえるとか、何かのジンクスのように一定のルールで行動すると現実になるとか、こちら側はそういうものを好む。探してれば遭遇することも出来るだろうね」

でも、と彼は言葉を続ける。

「願いの叶った結果、どうなるかの保証は誰もしてくれないよ。叶えてくれる存在は大抵がお人好しでもないし、自信に何か益があるから願いを聞いてやるものだ。童話の魔法使いか何かみたいな、そんな都合のいいものではないよ」

 誰に願ってもどうなるかわからない。その言葉に何も言えなくなる。都合のいいことには大抵裏がある。そもそも、俺はそこまで噂話とか七不思議を信じているわけではない。

しかし、頭の中はあの恐ろしいものをどうにかしてほしいだとか、置いてきてしまった友人たちはどうなったのか教えてほしいだとか。そんな都合の良い願いばかりがぐるぐる回って仕方がなかった。

 これからどうすればいいのかわからず立ち尽くしていると、目の前でキリサキさんが深いため息と共に口を開いた。

「ごめん、ちょっと言い過ぎた」

「……え」

 想定外の言葉に顔を上げると、キリサキさんはどこかばつの悪そうな顔をしていた。

「願いを叶えるとか出来ないのに、気軽に『お願い叶えて下さい☆』ってテンションで僕の事探し回ったり、追いかけてくるやつがたまにやって来るものだから。流石に辟易しててね」

 面倒くさそうな顔に申し訳ない気持ちになる。

「いや、俺らもそうだったので」

「うん、まぁそれだけなら怒っていたけれども。君が僕に話しかけてきたのは、『良くないもの』に行き合ってしまったからだろう」

 こちらの事情をまだ一言も話していないにも関わらず、すらすらと話す彼にぞっとする。やはり、人の形をしていてもこの人も普通の存在ではないのだろう。じわりと背中に冷たい汗をかく。

 俺の思考を知ってか知らずか、キリサキさんは微笑みながらとってつけたように説明した。

「僕はちょっと眼がいいんだ。君達に見えないものが色々と視える。今の君の状況も、ちょっと視させてもらって、視えた要素を繋ぎ合わせてわかる範囲で言ったに過ぎないよ。悪い気分にさせたならごめんよ」

 だからじりじり距離をとるの止めてもらっていいかな、と苦笑いしながら彼は頭を掻いた。その言葉を信じて、とりあえず後ずさりするのはやめた。


◆◆◆◆


 その後、キリサキさんから「詳しく当時の状況を聞きたい」と言われた俺は、彼が暮らしているという場所へ招かれることになった。俺としては今すぐにでも、宗太やよっしー達が無事か確かめに行きたかったが、キリサキさんに「何があったのか原因を把握していなければ、うまく対処できない」と一蹴され、大人しくついて行く事にした。

 案内され着いた場所は、古き良き日本家屋の古本屋だった。しかし、店内の本棚は変な並び方で迷路のように入り組んでいるし、天井や壁、足元のいたるところに時計やカレンダーがあり、古本屋というよりも骨董品店か少し洒落た倉庫と言われた方が納得できる内装だった。

 店内ではお線香でも炊いているのか、最初に彼を見つけた時に嗅いだものと同じ上品な匂いが漂っていた。彼の趣味なのかもしれない。

「さて、落ち着いたところで改めて話を聞こうか。君が何に出逢ったのか」

 店の奥にある座敷に座ると、キリサキさんは俺にしゃべるよう促した。

 俺は、夏休み前の計画とキリサキさんに会おうと友人たちで試す中で遭遇した『異様な集団』の話を簡単に纏めて話をした。

 全て話し終えると彼は目を閉じて何か思い当たる節があるのか考えている。何か気になることがあったのかもしれないと思った俺は聞いてみることにした。

「今の話で何かわかったか?」

「君の話で割と視えてきた。まず確認したいんだが、その集団がいたのって四辻かい?」

 四辻と言われ、ピンと来なかった俺は首をかしげる。

「あー…十字路っていえば通じるかな」

 道のことを指しているのだとわかった俺は頷いた。

「あぁ、うん。十字路だった。俺達がまっすぐ進んでいる先の十字路で、右から左に横切っていく形で歩いていた」

「成程ね。で、しゃがんでいた君以外は誰も存在に気が付かなかった、と」

 言いながらキリサキさんは何かに気が付いたように目を見開く。

「もしかして、君、誰かの足の間からそいつらを見なかったかい?」

 その言葉に当時の状況を思い返す。あの時正面には宗太が立っていた。

「……そういえば、あいつの足の間から向こうを見てる」

「成程ね。今のでわかったよ。君の行き合ったものが」

 じゃぁ、簡単に説明しようか、とキリサキさんは椅子に深く座り直して語り始めた。

「君が出逢ってしまったのは、多分『七人ミサキ』あるいは『七人同行』と呼ばれるモノだ」

 彼は両手の指を使って七にしながら続ける。

「普通の人には視えないもので、牛には視えるとか、牛や人の足の間から覗くと視えるだとか言われている。七人がずらずら歩いているのが一番の特徴だね。君にしか見えなかったのはそのせいだ。遭遇した原因は、怪異やあの世との交差点になる四辻で、丑の刻あたりをふらふらしていたからだね。遭遇する条件をほぼ全部満たしている」

 一度息を吐いてから、固い声で彼は続けた。

「で、この存在の怖いところは、『遭うと引き込まれて死ぬ』とか『次の日から熱病にかかって衰弱死する』……という定説があることだね」

「死ぬ……」

 想像以上の言葉に背筋が凍る。俺以外の全員が今どうなっているのか気が気でない。

「そうだね。このままだと死ぬかな。視えていようが視えてなかろうが関係ないんだよ」

『遭ってしまった』時点で何かしら起きていておかしくはない。キリサキさんは真面目な顔で俺に言った。

「そんな……」

「まぁでも、運が良かったね」

彼の言葉に一瞬怒りが込みあがる。こんなの、一体どこが運がいいというのか。

「運がいいよ。本来であれば全員気付かず君含めて死ぬところだったんだから。君は気が付いたし、対処のできる僕に出会えた。今ならおそらく間に合うだろう。これを運がいいと言わなくて何になる」

 思ってもみない言葉に目を見開く。

「……助けて、くれるのか」

「見殺しにするのは流石にね。まぁ、その代わり約束してもらうけど」

「約束?」

「本当に何かで困って頼るわけでもなく、適当なうわさで僕を探しに二度と来るな。君も。君の友人も」

「わかった。俺はもちろん約束するし、あいつらにもちゃんと言う」

「後もう一つ。僕のことはでっち上げの偽物だって噂をばらまいておいてくれ。それが条件だ」

 その言葉に無言で頷くとキリサキさんは手を叩いて立ち上がった。

「じゃぁ、すぐ行こうか」


                ◆◆◆◆


 外に出たキリサキさんがまず最初に案内してほしいと言ったのは例の十字路だった。遭遇してから既に一時間は経過しているが、彼の考えではまだ奴らは近くにいるはずだということで先に元凶を対処することになった。

「ところで、なんで俺にこれ持たせてるんだ?」

 キリサキさんは店を出る際、俺に携帯できる金属製の丸い香炉と時代劇でよく見る行燈を渡してきた。

「悪いものから避けるためだよ。あと、君がどこにいるのかすぐわかるようにするため。対処が遅れると困るから」

 彼の言う意味はよくわからないものが多かったが、とりあえずそういうものなのだと納得することにした。

 しばらく二人で歩いていると、例の十字路の手前に到着した。あの時に見たおぞましい表情を思い出して足がすくみながらも、キリサキさんにあそこだと指を差すと、何かが視えているのか妙に落ち着いて頷いた。

「ちょっと追加でこれも持って、そこで待っていてくれるかな」

「俺、両手ふさがってるんだけど⁉」

 キリサキさんは持っていた赤い和傘を俺の肩に凭せ掛けるようにして無理やり渡すと、すたすたとあの時よっしーがいたところまで歩いていった。

 何をするのかと見守っていると、こちらには聞こえない声量で何かを呟きながら、じっと明後日の方角を見つめていた。あそこに例の『七人なんとか』がいるのかと固唾をのんでいると、急にぶわりと一陣の風が吹き荒れる。同時に先程まで指先が冷えるように寒かった気温が上がり、どこか空気がぬるくなったような居心地の良さを感じた。

 その後、キリサキさんはあたりをぐるりと見渡した後、何事もなかったかのようにこちらを向き、戻ってきた。

「とりあえず、元凶はどうにかしておいたよ」

 へらりと笑う彼の様子は、とても何かをしたようには見えなかった。

「いや、どうにかしたって……」

「まぁ、視えないならそれに越したことはないよ。二度と今回のようなことが起きないよう、退治しておいた感じだから、とりあえず大丈夫だよ」

「じゃあこれで終わりなのか?」

 俺に預けていた赤い和傘を受け取りながらキリサキさんは続ける。

「いや、まだだ。元凶を退治したのは、状況の悪化を防ぐためでしかないから。死なないようにするには君の友人に会って確認する必要があるね。今、全員がどこにいるかわかるかい?」

 その言葉に俺はスマホを確認する。いつの間に圏外でなくなったのか、メッセージには宗太やよっしー達から何件も通知が届いていた。


よっしー《お前らどこいるんだよ》

宗太ごめん。悠のこと追っかけたんだけど見失った

よっしー《えぇー…》

宗太三時までは最初に集合した公園で待っているからな

宗太三時になっても来ないから帰るからな

よっしー《夜意外と冷えるし、風邪ひいたかも》

宗太今度会ったら理由聞くからな


 今は何時かとスマホの待ち受け画面を確認すると、時刻は三時五十分になっていた。おそらく、全員が家へ帰ってそろそろ寝ている頃だろう。

 そのことをキリサキさんに告げると、彼は都合がいいと笑った。

「ちょっとお邪魔して、サクッと対処してしまおうかな。家の場所はわかるかい?」

「全員わかるけど、どうやって家の人に説明するんだ?こんな時間に……」

 絶対に怪しまれるだろう。それだけではなく、未成年がこんな時間に外出していることを注意してくるはずだ。

「あぁ、それは大丈夫だよ。気付かれないから」

「ま、窓から入るから、とか……?」

 その言葉にキリサキさんは吹き出してけらけらと笑う。

 真面目に心配したのに笑われ、むっと睨むと彼は理由を説明してくれた。

「あぁ、ごめんよ。物理的にどうこうするわけじゃないんだ。幽霊が誰にも気付かれないのと同じように、ちょっと別の世界から介入するんだ。だから、普通の人間には気付かれないよ」

「別の世界?」

「うん。今、君と僕がいるところ、この世でもあの世でもないから」

「はあぁ⁉初めて聞いたんだけど⁉」

 当たり前のように言われた言葉に驚き、キリサキさんに詰め寄ると彼は申し訳なさそうな顔をしつつ黙っていた訳を教えてくれた。

「言わなくて済むならそれに越したことはないからね。理解することで事態が悪化することもあるから。黙っていてごめんよ」

 しかしここまでの事態になってしまったならば、説明した方がいいだろう。キリサキさんはそう言いながら視線を先程の十字路の方へ向け、言葉を続ける。

「ここは四辻みたいなものなんだよ。あの世とこの世が交わる場所。だから、生者が迷い込むとあの世の影響を受けやすい。逆に死者も生者を見つけやすい」

 夢の中みたいなものだね、とキリサキさんは目を細めて困ったように微笑んだ。

 その言葉に理解が追いつかないなりに納得する。自分達が七人なんとかと遭遇してしまったのも、気付かず迷い込んでしまったからなのだろう。

「とりあえず、保護者に見つからないならいいや。それじゃ、案内するからついてきてくれ」

「うん。よろしく頼むよ」

 十字路に背を向けて、公園へ向かって歩き出す。手元のメモを頼りに来た道を戻るように歩いていくと、迷うことなく着いた。

同じ要領で家がある方向へ歩いていく。真夜中なこともあってか見回りも警察以外とくに見かけず、また、人とすれ違っても不思議と気付かれることもなく、しばらく歩き続けているとよっしーの家に到着することが出来た。

「ここが一人目の家だ」

「じゃぁ、お邪魔しようか」

 キリサキさんはそう言うと俺を手招きして近くに寄らせる。

「僕の手を握ってくれるかな」

「あ、あぁ」

 疑問に思いながらも言われた通り彼の手を握る。そして、キリサキさんがそれを確認し、一歩踏み出すと同時に周囲の風景がぐにゃりと変わった。

どうやって移動したかはわからないが、一瞬でよっしーの部屋の中まで移動したらしい。

 土足のまま人の部屋の中にいることに居心地の悪さを覚えながらキリサキさんを見ると、羽織の内側から糸切鋏を取り出してよっしーをじっと見つめていた。

その表情は嫌に冷たく、どこか怖い。

「な、何をするんだ?」

「……悪縁だけを切る」

どこか不穏な光景に思わず声をかけたが、集中したのかそのまま黙って動かなくなってしまった。

そのままキリサキさんを見ていると、目を凝らしてよっしーではない何かを見つめているように見えた。

そして、何もない宙に向けて糸切狭を持った右手を伸ばす。


───しゃきん


 金属が擦れ合う音が部屋に響いた。

俺にはわからないが、見えない何かを鋏で切ったらしい。まるで手術で難しい執刀を行っているようだと、呆然とその光景を眺めているとキリサキさんが振り返る。

「終わったよ。次、行こうか」

 彼は笑顔で手をこちらへ差し伸べてくる。その手を先程のように握り返すとぐるりと視界が反転し、先程まで立っていた家の外にいた。

「便利だな」

「一歩間違えると、変なところに迷い込むけどね」

 軽い口調で恐ろしいことをさらっと言いつつ、彼は手を放した。

 その後は同じことの繰り返しだった。

 公園で集合したメンバーは、全員が幼稚園の頃から付き合いがあったため、それぞれの家は近い場所に点在しており、移動にはそこまで時間はかからなかった。

 俺はただの道案内役のため、キリサキさんが何かをしている間はただ見ていることしか出来ない。だが、友人が生きていることを自分で確認出来て、内心とても安心した。

 最後の一人の家を案内し終えた帰り道。キリサキさんが俺の家の近くまで送って行くというので、その言葉に甘えることにした。

 全員分の対処をしたせいか、キリサキさんは言葉にはしていないが、とても疲れた顔をしていた。お互いに特に会話もせず、二人で歩いていると、やがて遠目に俺の家が見え始めた。

「キリサキさん。俺の家、あそこだよ」

「じゃぁ、送るのは此処までだね」

「うん。本当にありがとう。約束、ちゃんと守るよ」

 改めて彼にそう伝え、渡されていた香炉と行燈を返そうとする。

「ちょっと待った」

 その言葉によくわからず見上げると、彼の右手には先程仕舞ったはずの糸切狭。

 え、と声を出す間もないうちに右手があげられ、目の前に鋏の切っ先が向く。街灯に反射し光る鈍色に思わず目をつぶると、空気が動いた。


───しゃきん


 音が耳に届く。

特に痛みはなく、恐る恐る目を開くとキリサキさんはほっとした表情をして俺を見下ろしていた。

「び、びっくりするから、何をするのか言ってから行動してくれよ……」

 今になってばくばくと脈動する心臓を落ち着かせながら彼に詰めかかる。

「ごめんごめん。君の分をまだ切ってなかったからさ」

「お前絶対忘れてたかわざとだろ⁉」

「そんなことないよ」

 へらりと笑う彼を見て、足の力が抜けそうになる。

「はー、もー……びびった」

「ごめんよ」

「いや、いいけどさあ」

 息を整え、どうにか落ち着くと今度こそキリサキさんに香炉と行燈を渡す。そして、改めて彼へ頭を下げた。

「本当にありがとうな」

「こちらこそ、ありがとう」

 小さく、柔らかい声が聞こえた。

「え?」

 どうしてお前が礼を言うんだと言う前に、目の前にいる彼の姿が霧の中に佇んでいるようにぼやけ、やがて輪郭すらも掻き消える。

 そして、夜明け前の住宅街に立っているのは、俺ひとりになった。


                   ◆◆◆◆



 翌日、途中で帰ったことを詫びるためにメッセージで連絡した俺は、ほぼ全員から怒られた。

 唯一、あの時俺のただならぬ様子を見ていた宗太だけは、本当に大丈夫だったのかと個別に連絡をよこしてくれた。だが、キリサキさんのことは何も言わず、俺は大丈夫だとだけ返しておいた。

 あの晩、結局俺以外の全員は何を見ることもなく、勿論誰もキリサキさんに会うこともなく終わり、公園で三時まで俺を待った後、帰ったらしかった。

 途中でいなくなった俺が何かに出会ったのではないかと随分怪しまれたが、不審者が塀のところにいるのを見て、思わず逃げてしまったと嘘を言うと全員が黙った。これで友人たちがあの場所に行くことは二度とないだろう。

 学校でキリサキさんの話を持ち込まれることはその後もあったが、「不審者が未成年を待ち伏せするために作り上げたでっち上げのストーリーだ」という噂を広めるとあっというまに広がり、それ以降、肝試しがわりに試そうとする人はいなくなった。


 きっと彼に会うことはもうないのだろう。ただ、もしも会えたならひとつだけ聞きたかった。

 あの時「こちらこそ、ありがとう」と言った彼がどこか寂しそうに、しかしまるで同じ年の友人のように、楽しそうに笑っていた理由を。





                                  おわり

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【期間限定公開】此処は四辻、出口は此岸。 夜ノ間 @yorunoma

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