夜のパーティー

なの

夜のパーティー

「あら、今日は青なんですか。」

 同じ職場の人は、ときどきいつもと違う仕事をしにこの職場にくることがあります。

そういう日は青い制服を着ているのです。

「はい、そうなんです。」

 Mさんはゆっくり頷きました。

 彼らしい頷き方です。ゆっくり、おおきく、最後はすこし頭をそらせます。

 Mさんは落ち着いた人です。すらっと背が高く、いつもゆっくり動きます。彼をみていると私も落ち着きます。

「ところでカワミチさん.今夜ぼくたち、ええと、ぼくと数人の同僚で夜ご飯を食べるんです。魚料理なんです。よかったらご一緒しませんか。とても大きな魚を買ったので、みんなで夜ごはんを作って食べるんです。」

 Mさんは、ニヤリ、と笑いました。彼はいつも笑い方はニヤリ、です。

「いいですねえ!ぜひ!そういえばこの前も魚料理を作ったと話してましたね。お魚、好きなんですか?」

と、わたし。

「ええ、よく食べます。料理もします。今夜の魚はぼくが捌いたんです。ぼく、魚を捌けるんです。」

 Mさんはすこし得意げに喉をゴロゴロさせました。

 おや?気のせいかしら。

「へぇ、すごいですね!魚が捌けるなんて!」

 私は料理が苦手なので、Mさんを素直に褒めました。

「そんな、すごくはないですよ。慣れれば誰にでもできることです。」

 ニヤリ。

「それでは今夜、ぼくのうちに来てください。場所はわかりますか?」と、Mさん。

「いいえ。」と、わたし。

「でしたらお仕事が終わる頃に迎えにまいります。」

「わかりました。」

「それでは。」

 また、ニヤリ。そしてMさんはゆっくり歩きだしました。

「あ、ちょっと待ってください。そのお魚パーティーには何か持っていくものとかありませんか?」

 飲み物や食器やちょっとした手土産を持っていこうと思った私は、Mさんを呼び止めました。

 Mさんはゆっくりと振り向いて、またまた、ニヤリ、と笑って言いました。

「いいえ、特に何もいりませんよ。あ、そうですね。まぁ僕たちの会なので、しっぽはあったほうがいいと思います。」

「しっぽですか?」私はびっくりしました。

「ええ、しっぽです。」

 Mさんは、ニヤリ、として、ゆっくり歩いていきました。


 さて、困ったことになったぞ、と私は考えました。

 しっぽとは!私にはもちろんしっぽなどありません。残念ながら。

 Mさんにからかわれたのだろうか?いや、そんなことを言う人ではありません。でも、もしかしたらそういうこともあるかもしれません。なんといってもしっぽとは!

 冗談だったのだろう、と思うことにして、私は仕事を終えました。


「こんばんは、カワミチさん」

「こんばんは、Mさん。わざわざありがとうございます。」

「いえいえ。では参りましょう。」

 そう言って私たちはゆっくりと歩きだしました。

 晴れた夜でした。月はたった今さやから出てきたお豆のようにつやつやと輝いていました。

 私たちは仕事場を出て、坂道を川に沿ってゆっくりくだっていきました。

 歩きながら私は、やっぱり、しっぽについて考えていました。

 私は少し歩く速度をゆるめて、Mさんの後ろ姿をチラッと見ました。すると、Mさんはゆっくり歩いていたのを、さらにゆっくりと足をうごかして私のちょうど隣に並ぶように歩きます。なので、後ろ姿を見ることができたのはほんのちょっとでした。

 やはり、しっぽはありません。

 私たちはしばらく坂道を川に沿ってくだりつづけました。とてもゆっくりと。

 坂の途中、温泉の湯けむりがもうもうとたつ岩があります。私たちがその横を通った時に、風がふわっとふき、あたり一面が湯けむりに包まれました。

 隣にいるMさんの姿は、ぼんやりと暗い影になりました。


「ところで」

 ぼんやりとしたMさんの影が立ち止まりました。

「カワミチさん、しっぽはありますか?」

 もうもうとした湯けむりの中から、Mさんの声がしました。

 私はいくらかびくびくしましたが、はっきりとこたえました。

「いいえ。冗談だと思っていました。私にはしっぽはありません。にんげんですから。」


「なんですって!!」

 Mさんの驚いた声が湯けむりのなかにひびきました。

 すると、もうもうとした湯けむりのあちらこちらから、

「おやまぁ!」「なんてことでしょう。」

「にんげんですって!」「みゃーお」

と、たくさんの人が口々に話す声がしました。

 私はなんだかよくわからなくなって、そのまましばらく立っていました。

 話し声はやがてやみ、もうもうとした湯けむりの中は静かになりました。

 すぐそばからMさんの声がしました。

「カワミチさん、すみません。どうやらぼくの間違いです。あなたはぼくたちとは、ほんの少しだけ、違うようです。

ほんとうにすみません。今夜はこれで失礼します。さようなら。」

 そして私の足もとを小さな暗い影がすっと通っていきました。


 また風がふわっとふき、もうもうとした湯けむりは空へ消えていきました。

 私はひとり、湯けむりがなくなった岩のそばに立っていました。

 月はたった今さやから出てきたお豆のようにつやつやと輝いていました。

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夜のパーティー なの @nanohakawamichi

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