8話目 スーパースター

 結果としてタクミのオレンジサンシャインは叶わなかった。



 一回の延期を経て、あっけなく開催中止になった。

俺たちの街にもコロナウイルスがやってきたんだ。

 感染はあっという間に広がって俺たちの世界はまるでドラッグが抜けたように静かになった。



 カズさんは体面上店を閉めて、友達に会いに行ってくると言い、スイミングの闇営業を俺に任せてどこかに行ってしまった。

 タクミはオレンジサンシャインの中止が決まってから、行方がわからなくなった。延期のときは特に変わった様子もなく、しばらくはスイミングに顔を出していたが、中止の情報を知った俺がタクミの家へ行くと、タクミはいなかった。


 近くに寄る度に玄関を覗くが、ドアのポストに正体不明のDMが突っ込まれまくっているだけで、なんの前触れもなくタクミは俺の前から姿を消した。




 タクミやカズさんだけでなく、様々な人達が河岸かしを変えるように俺の前から消えていった。

 マサさんやハッシーさんは家族が増え、あまり夜のミナミに近づかなくなり、ある人たちは、よりアングラにもぐったきり帰ってこなかった。


 闇営業中のスイミングは、よどみきった水槽の栓が抜かれ、水位がどんどん低くなり、逃げ遅れた魚達が息苦しそうに泳ぐように、ゆっくりと静かになっていった。




 わけもなく寂しかった。


 少し前まで、こんなやつらどうなっても関係ないと思っていたが、突然の大きな力が俺の世界を理不尽にあっけなく塗り替えた。

 みんなどうしようもなく、生きるために引き離され、居心地のいい水槽から、いきなり外に投げ出されたのだった。

 人の命を奪うコロナウイルスが、強制的にチキンレースを終わらせ、行き場を失ったジャンキー達の狂気が清潔な空へ吸い込まれ、溶けて消えていったような気がした。


 そしておれの生活は突然変化した。




 コロナ禍のミナミは刺激なく、生活の張りを失ったようにただただ憂鬱だった。

 女といる時間も長くなり、二人して台風の日に家の中でガラス越しに外を眺めているような、退屈な日々が永遠に続くような気がした。



 それでも破局を思った。


 関係がもはや惰性で、お互いに心が離れ始めているんじゃないかと疑い、

未練はあるが女のいない生活も多分すぐに慣れるだろうと、傷つく準備をし自分に保険をかけた。

 ただ、同じバス停でともに雨宿りしていただけだ。




 クリスマスが近づき、いつもなら浮足立つミナミも、自主規制の風潮が流れ、街に出ても一つも面白くない12月、俺は家でネトフリを垂れ流しながら、セックスの最中だった。


 波が、段々と高くなるように女の輪郭りんかくが段々クリアになる。

脳がしびれるほど離したくない感覚。30秒後には忘れてしまう感情とデジャブで口が歪む。



「 わたし こどもできた 」


 瞬間の逡巡しゅんじゅんがあった。

女のすべてが俺の中で突如出現した。

 もうその関係はリセット出来なくなった。

熱を帯び、質感を持ち、その声が鼓膜と心臓を激しく揺らし、俺は絶頂を迎えた。


 これは世間に存在しない幽霊のように、その場から消え続けた俺を打ち消した、人生に打ち込まれたクサビだし、どんな行為もこれを無かったことにできない、真理に近いものに触れた気がした。


 俺に家族ができた。




 それからは転がるように生活は変わった。

 女と籍を入れミナミから出た。

 北加賀屋きたかがやでアパートを借り、カズさんに連絡を入れ俺はスイミングを離れた。後のことは拍子抜けするくらい勝手に進み、知り合いを頼り市内の工場に就職した。




 あの夏の終わりから三年経ち、街も徐々に動きを取戻していった。

 タクミのことも、スイミングのことも遠い記憶になり、ブラウン管のように世界を見ていた自分をたまに思い出す程度になった。


 仕事にも慣れ、嫁も子供を預けまた古巣のアパレルで働き出した。

 1日のほとんどを仕事に拘束されるなんて死んでもごめんだと思っていたが、いざ始めると生活が俺を包み込み、ただの歯車になって働くことも悪くないと思えるようになった。


 音楽にも遠くなり、新しい事と出会う体験も少なくなったけど、家族がいるだけで、生きることを許されたような気がした。

過去を知るやつに『お前終わったな』と言われても気にならなかった。

 誰かのために生きることがこんなにも楽だなんて思わなかった。




 昼飯時、付きっぱなしのテレビが昼のバラエティを流していた。職場の誰も真剣に見ているやつはいないが、急に衝撃が飛び込んできた。

 ありがちな中古車販売の地方cmだが、音楽が俺の耳を伝い、遠い記憶をフラッシュバックさせた。



 中東音階のキャッチーでいて、重く鋭い8ビート。リバーブのかかった控えめなギターのコード進行は、、、あの時は確かシタールだった。


 完全にあの部屋で聞いた、タクミのトラックだった。

オレンジサンシャインでぶつけるはずだったあの曲を聞いた光景が蘇る。


 アメリカ人みたいなラップじゃなくて、本当の自分の現実を大切にリリックに投影していたタクミはいつも、

『スーパースターは残酷な方がリアリティがある。』と言っていた。

 あの時のトラックを丸めたタクミは変わったのか、それとも変わってないのか、自然とcmの曲があの部屋にトリップさせ、記憶の隅にあった感動を呼び起こさせた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


金を節約しな 食糧を節約しな

使わずに貯めて

もっと節約しな スーパースター


ほら弾き出された猫が飛び出してきたぜ

ゲームは 次はあんたの番だ

準備するヒマなんかないよ


このために生まれてきたんだろ?


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



タクミは生きていて今も音楽を作り続けているんだ。

何の根拠も無かったが、思い込みじゃない確信があった。

俺の中の信号が高速で点滅して今変わろうとしている。


テレビの中の作業着を着たcmの男の満面な笑顔を、俺はいつまでも口を開けて泣きそうな顔で見ていた。


終わり

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高速で点滅する光 牧場 流体 @liftdeidou

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