第14話 いざ、吉原遊郭へ

「黒川田蔵」

「うむ。黒川は元忍びであり、元野盗だった男だ。腕利きの部下を従えて遊郭に女を売っている。しかも、明治政府との繋がりもあるようだ」

「政府と繋がってるって、いったいなんで」

「おおかた、女を売った金の一部は政府に流れているのだろう。そうすることで過去のお咎めをなしにしてもらっている」

「汚えらつらだな」

「吉原は金のある男の社交場でもある。単に女を漁るための場所ではない。黒川が得た情報を政府は買っているのだろう。近頃は異国の者も遊郭に出入りしていると聞くからな」


 そんなところに十羽をいつまでも置いておくわけにはいかない。常世の中で怒りと焦りが込み上げてくる。

 できるなら今すぐにでも飛び込んで、十羽を奪い返したい気持ちがある。しかし、それは容易でないことは常世にも分かる。なんにせよ相手は元忍びなのだ。


「心配するな。すぐにどうこうはならん。あそこには厳しいしきたりがあってな、いくら別嬪でもすぐに男を取らせたりせん。花魁の身の回りの世話や、客相手の芸事を身に付けてからだ」

「しかし、それでも男の相手をさせられるのですよね」

「だから、今日明日にもという話ではない。よく話を聞け。とにかく知らせを待て。あそこに顔の効くものがいる。動くのはそれからだ」

「はい」


 山口を改めて藤田となった男の話を聞くと、また歯痒さが増してくる。自分は何一つ役に立っていないではないかと。それどころか、自分一人では十羽の救出さえできそうにない。

 新選組なんてくだらない。世の中、何もかもくだらない。俺は一人で生きていくのだと、言ったところで常世は目の前の藤田にも勝てないのだ。

 勝てないのは剣術だけではない。常世に圧倒的に足りていないものそれは、経験である。


 世の流れは人々の生活のありさま、流行りの遊び、金の稼ぎ方を教えてくれる。それに目を背けては生きていけないのだ。自分だけの誰にも邪魔されない世界など、この世には存在しない。

 いっそ山に入り、僧侶になった方が理想に近いかもしれない。いや、今や僧侶も世間から断つことはできないのである。信仰を支えるのは人だからだ。

 人なくしては、世の中は成り立たない。


「鉄之助」

「……」

「おい、鉄之助」

「はっ、はい!」

「難しく考えすぎるな。使えるものは使え。一人でやろうとするな。おまえはまだ若い。これが解決したら、おまえはおまえの人生をあゆめ。鉄之助の役目をとっとと終わらせろ」

「俺の、人生」

「なんでまだ、鉄之助を演じているのかは分からんが、もう十分に役目は果たしたであろう」


 その言葉を聞いて、鉄之助は懐にある簪に手を伸ばした。それは妹から託されたものであり、土方から託されたものでもある。


「鉄之助の、役目……ああ、まだ果たせておりません。それが終わったら、俺は、俺に」

「うむ。さて、今日はおまえが飯を作れ。俺は出てくる」

「分かりました」

「夕刻には戻る」


 藤田は立ち上がりざまに常世の背中を軽く叩いた。

 そう落ち込むな、俺が手を貸してやっているだろと、そう言われた気がした。



 ◇



 それから幾日か過ぎたが、十羽に関する新しい情報はまだない。そして、藤田五郎は毎日どこへ行くとも言わず、朝の決まった時間に出かけては、夕刻には戻ってくる。しかも、なぜか常世は晩飯を作る係になっていた。

 常世は竈門の前でたまらず声を出した。


「俺はいったい、なにをしているんだ!」


 いい加減に腹立たしさが込み上げてきたのだ。


「威勢がよいな。若さであろう」

「帰っていたのですか」

「うむ。鉄之助にいい知らせを持ってきた。とりあえず、上がれ」

「それはっ、吉原のことでしょうか」

「そうだと言ったらどうする」

「すぐにでも、お聞きしたいです! もう、いい加減に限界です」

「わかった、わかった。まあ、そこに座れ」

「はい!」


 待っていましたと言わんばかりに常世は、囲炉裏を挟んで藤田の前に正座をして姿勢を正した。

 それを見た藤田は鼻先で軽く笑い、腰をゆっくりとおろした。藤田にとって常世の真っ直ぐな様は少し面映おもはゆいものであった。

 疑いのない眼差しは、藤田の心理を良くも悪くも刺激してくる。


明日みょうにちの晩、十羽という女が見世に出されるという情報を得た」

「みせ」

「うむ。最下級から上級の女郎、いわゆる遊女が買える場所だ。多数の男を取り、身銭を稼ぐ場所だ」

「そんなところに放り込むなんて!」

「花魁のような花のある仕事は誰でもできるわけではない。選ばれしものが、頂点に立つ場所だ。普通の女ならば、小見世か中見世が妥当であろう」

「でも、他の男が十羽を買う前に助け出せばいいんだろ!」

「そうだ。作戦は明瞭で簡単だ」

「ならば、問題ないな」

「問題がないわけではない。お主、遊女としての化粧を施した幾人ものの中から十羽を見つけ出せるのか」

「見つけ出すもなにも、そうするしかっ」

「先日の芸妓とは様相がまるで違うぞ。確実にその女を買わねば意味がない」

「匂いで!」

「香袋の匂いに騙されて終いであろうよ」

「じゃあいったい、どうすれば!」


 常世は藤田に、子供には見つけられないと言われているような気になった。

 遊郭での遊び方も知らない、女のことを何一つ分かっていないお前に、どの女が十羽であるかどうかなど見分けをつけられるはずがない。

 経験が足りないのだ。場数が少なすぎる。考えも単純で浅はかだ。

 そう、言われているように思えた。

 だから常世は拳を握りしめる以外になかった。それについて少しの反論もできないからである。


「そう嘆くな。手は打ってある」

「え……」

「明日、夕刻にある男とおちあう。三人で吉原に行く、よいな」

「はい」


 藤田はこの数日でさまざまな情報を集めた。そして、ある男の力を借りて十羽を救出しようというのだ。

 常世は黙って藤田のいうことに従うことにした。ここは、経験値の高い大人に任せた方がいい。


 ―― くそ! 今回だけだからな! 十羽を助け出したら、そしたら俺はもう!


 好きにさせてもらう。

 これが片づけば、常世はこれ以上ひとの手を借りずにすむ。そして簪をさっさと届ければ、晴れて自由の身になるのだ。


 市村鉄之助の身分を捨て、常世として生きていく。妹のことも気にしなくともよい、新しい人生だ。


「刀は置いて行くが、護身用の小刀は隠し持っておけ。事がうまく運ぶとは限らんからな」

「暗器を懐に、仕込んで行きます」

「うむ」


 その晩常世は、最小限の暗器を着物に隠した。夕刻からとはいえ、いつなん時に何が起こるか分からない。その得体の知れない何かに警戒をしなければならない。

 常世がいる東京は、そんな街でもあった。



 ◇



 吉原へ向かう途中、藤田がいうある男と合流した。その男を見た常世は思わず顔を歪めた。男とは二度目の再会になる永倉新八であった。


 ―― なにが、ある男だよ! 勿体ぶるようなやつじやないじゃないかっ!


 極めて失礼であるが、常世としてはできることなら避けたかったのであろう。


「鉄之助、久しぶりだな。一段と男らしくなったんじゃねえのか。吉原での下調べがそさせたのか、あん?」

「そのような事は、ありません!」

「威勢はいいね。まあ、この新八にまかせろって。ちゃあんと、調べはついている。十羽って名だったよな。ありゃ、いい女郎になるぜ。いや、花魁もゆめじゃねえな」

「十羽は花魁になどなりませんよ!」

「おい、永倉。それくらいにしておけ。鉄之助をいじめるな」

「すまない、すまない。惚れた女をみすみす知らねえ男に差し出すわけにはいかねえよな」

「ほ、惚れたっ、女⁉」

「まかせとけって。久しぶりに腕がなるねぇ」


 永倉は勝手に合点して、勝手に意気込んで腕まくりをする始末。藤田にいたってはとくに何を言うふうでもなく、「行くか」と歩きだしてしまった。

 常世だけが落ち着かず、口を開けたり閉じたりと忙しい。


 ―― 惚れたってなんだよ。誰が誰に惚れたんだよ! 俺か? そんなわけ、ないだろう!


「鉄之助。考えるな。足を動かせ」


 なんとなく察した藤田が振り返ってそう言った。常世は、隣で大きな口を開けて下品に笑う永倉を一瞥し足を踏み出した。

 藤田が言うように、今考えることではない。先ずは、十羽を遊郭から連れ出すことだ。


 ―― とにかく、十羽を助けるのが先だ。話はそれからで……は、ああっ⁉


「それからって、なんだよ!」


 混乱はまだおさまらない。


「鉄之助」

「はい!」


 藤田の落ち着いた声を聞いて、我に帰った常世は二人の後を慌てて追った。

 常世は真っ直ぐに前を見て、唇を噛んだ。余計なことは考えまいという表れであろう。

 そんな常世の横顔を見た藤田はおかしくて仕方がない。しかし、笑ってはならぬと腹に力を入れた。

 己の気持ちに何ひとつ気づいていない愚直な少年が、羨ましくもあり、可愛らしくもあったのだ。

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