第5話 情けは有用

「ついてくる、なっ!」

「若様、そのような冷たいことはおっしゃらないで下さい。どちらに向われるのか存じ上げませんが、一人より二人の方が」

「俺は若様じゃないし、一人を好む」

「若様でなければなんとお呼びしたら? 一人は寂しいです」

「俺のことは呼ぶな! 寂しいのは俺じゃなくておまえだろ!」


 通りを行く人は二人を振り返る。中には立ち止まって二人の成り行きを見る者が現れた。野次馬はしだいに増え、気がつくと二人は人集ひとだかりの中心にいた。


「情け容赦ないねぇ。こんな治安の悪い中、置いていくのかい」

「ひどい話だねぇ……女はいつもお荷物扱いかい」

「おい、若造。情けはねえのかい」

「やっちまって満足したら、もういらねえってか!」

「汚えやつだ」

「男の風上にも置けねえな」


 そして、町人たちは常世を寄ってたかって責め始める。縋る女を冷たくあしらい、捨てていく身勝手な男だと、印を押されたのだ。


「俺はそんな男じゃねえし!」

「若様は、そのような人ではありません。見ず知らずのわたしを助けてくださって……」

「だから若様じゃねえからっ」


 二人がどんなに言い訳をしても、周りの大きな声には敵わない。いっこうに非難の声は収まらず、たまりかねた常世は女を横抱きにしてその輪から飛び出した。


「あー! くそっ。動くなよ!」


 それは見事な跳躍で、輪っかの中からひと蹴りしただけでたかる人の垣をひょいと飛び越える。


「おお!」


 人々の驚く声を背に、常世は女を抱きかかえたまま走り去った。



 ◇



 どれくらい走ったか、景色はずいぶんと一変した。

 常世は十羽を抱えたまま、辺りを見渡す。


 ―― もう野次馬はいないな?


 十羽は、なにが起きたのか把握するのに時間を要した。いきなり抱き上げられたかと思うと、景色も見えぬ速さで移動を始めた。それは馬よりも速く、落とされないように男の首にしがみつくのが精一杯だった。


(この人は、忍びなの?)


 ようやく止まったことに気がつくと、十羽は安堵の溜息をついた。


「ここまで来れば安心だな。下ろすぞ」

「え、あっはい」


 常世は十羽を足から地面に下ろして立たせた。が、十羽はなぜかよろけて地面に座り込んでしまう。


「きゃっ……やだ」

「おい、大丈夫か」

「あの……腰が、抜けてしまいました。こんなこと、初めてです。わたし、どうしたのかしら」


 特に、惑わすような術を使ったわけでもない。ただ、疾風はやての術で駆けただけだ。しかし、普通の人間にはそのような術は備わっているわけではない。共に修行に励んだ妹の常葉が、特別なだけなのだ。


「腰が、抜けたって……」

「は、はいっ」


 女はあまりにも非力なものだ。そんな女を常世は一人宿に置いてこようとしたのだ。本来、女とはか弱き生き物である。


「はぁぁ……なんなんだよ……くそぉ」


 女が小袖姿で腰を抜かしてへにゃりと座る姿は、あまりにも可愛らしい。

 常葉と二人で国を離れ、男だらけの倒幕争いに身を置いていた常世は、妹も含めて女らしい女を知らない。


「もうしわけ、ありません!」

「それよりあんたさ」

「と、十羽とわと言います。あんたじゃ、ありません」

「はーったく。十羽は、本当に俺と行くつもりなのか」

「はい。救われた命は、救ってくださった方のために使うと、決めました」

「決めましたって……」


 ―― とんでもないやつを助けたもんだな……


 どういう経緯いきさつで原田に拾われたのか分からないが、色恋の関係があったようには思えない。かといって、剣術が優れているとは思えない。


 ―― どうすんだよ。連れていくったって、どこまで!


「あの、原田先生とはそういう関係になったことはありませんから。それに、原田先生は他に想いびとがいらしたようですし。あと、わたしは剣を買われたわけではなくて……」

「おいっ、心を読むな!」

「すみません。読もうとしてなくとも、若様の声は自然と聞こえてくるので」

「若様じゃないと言っただろ。本当に読心術ができるのか。俺には得られなかった術だぞ」


 人の心を読むのは、能力の高い証拠なのだ。常世が知る限りでは、おじじくらいしか知らない。おじじは読心術に加え、先読さきよみの力もあった。


「若様でないのであれば、お名をお教え下さいませんか」

「俺の名は……」


 常世は迷った。本当の名を言うべきか、それとも市村鉄之助を名乗るか、はたまた会津でなりすました沢忠助を名乗るか。しかし、どれをを名乗っても面倒なのは変わりない。

 倒幕直後の世はあまりにも乱れている。新選組狩りが行われるほど、人々の鬱憤うっぷんは溜まっているのだ。


「鉄之助。市村鉄之助と言う」


 常世は本当の名を伏せた。

 まだ土方為次郎にしか教えていない、世に知られていない名をこれ以上は晒したくない。


「鉄之助、様」

「様はいらない。年もあんまりかわらないだろ?」

「十八です」

「俺はもうすぐ十九だ。で、お供するって言われても、はいそうですかとはいかない。俺とあんたは他人だ。そんで、俺は男なんだよ」

「はい」

「俺は昨日の奴らより、酷いことをするかもしれない」

「鉄之助殿はそのような事はしません。わたし、分かりますから」

「だーかーらー! 分かんないのかな。男女が二人きりで、昼夜共にいるって事を」


 常世はそこまで言って口を閉ざした。

 だからといって、こんな山の中に女を置いていくのはいけない。今の女はどこからどう見ても、可愛らしいのだ。まさに、山賊に襲ってくださいと差し出すようなものだ。


「とりあえず、次の町までだからな!」

「ありがとうございます!」


 常世も人の子。こうみえても情けは有り余るほど持っているのだ。


 ―― それしにても、腹が減ったな……。山越えるのに何日かかるんだよ。


 町を通れば何かありつけたかもしれないのに、よりによって山の中に逃げてきてしまった。


「はぁ……」


 常世が深いため息をついたとき、十羽が弾けるような声を上げた。


「あっ、いけないっ!」

「なんだ。急に」

「あの。お宿のご主人から握り飯をいただいておりまして。鉄之助殿と合流したら一緒に食べなさいと」

「は? どれ」


 十羽は風呂敷を下ろして広げて見せた。白い米の握り飯と、青菜の漬物が添えられてあった。

 朝炊いたものなのか、まだ艶がある。


「うまそうだな……」


 そう言ったとたん、腹の虫がグゥと鳴った。


「ふふふっ。わたしの分も差し上げますから、食べましょう?」

「あんたの……十羽の分までとって食うほど卑しくはない。俺の分だけ、よこせ」

「はい、どうぞ」


 十羽の笑顔があまりにも眩しくて、常世はぶっきらぼうに握り飯を受け取る。昨日の夜とはまるで違う十羽に常世は戸惑っていた。

 きちんと身なりを整えてやれば、女は女になるのだ。


 常世はどかっとその場に腰を下ろした。

 十羽は常世の隣に座ろうとする。


「おい、まて。これの上に座れ」

「え、でも」

「いいから。せっかくの小袖が汚れるだろ」


 常世は自分の手ぬぐいを広げ、その上に座れと言ったのだ。


「手ぬぐいなら、わたしも持っていますから」

「俺がいいって言っている。黙って座れ」

「ぁ……はい」


 常世は十羽とは反対の方向を向き、握り飯を口の中に押し込んだ。遠慮気味に座る十羽の気配をひしひしと背に感じながら、指についた米粒をねぶった。

 そして、すぐに立ち上がり木の枝に飛び乗った。


「見張ってるから。ゆっくり、食え」

「ありがとうございます」


 こんな調子でどうするのかと、常世は心の中で愚痴る。

 十羽の隣にいると、心を全部読まれてしまう。なにより、己の不器用さを突きつけられたようで気分が悪い。それもそうだ。常世は妹以外の女を知らないのだから。

 それにしても新選組にいたはずの十羽は、予想外に非力であった。弱くとも、剣術の一つでもできるものと思っていた。


 ―― なんの取り柄もない女を、なんで原田は新選組に入れたんだ。


 握り飯を頬張る十羽を盗み見て、常世はまたため息をつく。常世を待たせまいと急いで食べようとしている姿は、なんとも哀れに見える。


「おい! 水をんでくるから、そこから動くなよ。いいな!」


 十羽は分かったとうなずいた。


 ―― 手間かけさせやがって……


 どんなに悪態をついても、放ってはおけない。

 常世は自慢の耳で聞きつけた沢まで跳んで、腰に下げた竹筒に水を入れた。


「調子が狂う」


 とりあえずは山を越えるまでだ。

 常世はそう言い聞かせて、十羽のもとへ急ぎ駆け戻るのであった。

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