第4話 御礼にお供を

 女はゆっくりとした動作で布団から身体を起こした。身体が動くか確かめているのか、肩や首を触ったり膝を曲げている。

 常世は静かに立ち上がり、女のそばまで行くと無言でお茶を差し出した。


「毒は入ってない。なんなら飲んでみせる」


 女は躊躇ためらっていたが、常世の言葉を信じたのか湯飲みを受け取った。


「ありがとう」


 女は一度口をつけると、よほど喉が渇いていたのか入っていた全部を一気に飲み干した。


「ケホッ……ん、ふぅ」

「そんなに喉が渇いていたのか」

「最後に飲んだのはいつだったか、覚えていない」

「あんた、役人にでも捕まって拷問されたのか。その身体のあざ、簡単じゃないぞ」

「えっ、えっ……み、見たのですかっ。わたしのっ、わたしのっ……はだか……!」


 女は顔を真っ赤にして両腕で自分の身体を抱きしめた。それを見た常世も大慌てだ。

 あくまでも怪我の程度を知るためで、決してやましい気持ちがあったわけではない。そこに嘘はない。


「ち、違うっ! その、もし大怪我でもしていたら手当てが必要だろっ……だから、見たくて見たわけではないっ。勘違い、するなっ」


 常世は突っぱねるような言い方しかできなかった。

 これがもし、土方や原田なら赤子が手をひねる程度のことなのだろうが、常世にとってはそうではなかった。

 女の扱いは、いまだ会得していない。


「ごめんなさい。わたしの身体はあまりきれいじゃないから」

「だから、そういう意味ではない。痣だらけなんだから仕方がないだろう。治ればきれいになる」

「はい」

「それより、具合はどうなんだ」

「具合は……不思議なくらい良いです」

「そうか、効いたんだなあの薬が」

「くすり?」


 常世が飲ませたおじじの秘薬。何十年も寝かせた薬草が配合されたものなのだ。常世も飲んだことはなく、どれくらいの効能があるのか知らない。


「悪い、ちょっと脚、見るぞ」


 膝の内側に見えていた痛々しい痣は、見事に消えていた。


「すごいな……消えている! なあ、あんた自分で確かめてくれないか。腹、脇腹、肩、自分で見えるところ全部」

「はい」


 常世は女に背を向けた。脚の痣が消えていたことに常世は驚きと興奮を隠せなかった。あの薬は内傷によく効くようだ。


 ―― ということは、土方も助かったな。


「あの」

「おう、どうだ」

「なにもありません。痛みも、なくなってる」

「本当か⁉︎」


 常世は振り返って女の身体を見た。暗い中でもわかるほどだった痣はきれいに消えている。それどころか、女の肌は白く艶やかだった。

 常世は思わず指先で、女の肩を撫でていた。


「きゃっ」

「うわっ! すまないっ」


 女の肌は滑らかで柔らかくて、温かい。思っていもいなかった感触に、常世は自分の指を内側に強く握り込んだ。


 ―― なにやってんだよ! 馬鹿か!


「わたしこそ、すみません。男の人から触れられたのが初めてで、その……」

「初めて? えっ!」


 女ははだけた着物を整えながら、恥ずかしそうに小声で言った。


「ずっと、男のふりをしていたので」

「新選組隊士として、だろ」

「ご存知でしたか。とっくに戦争は終わったのに、わたしだけ取り残されてしまいました。みなと散るはずだったのに、どうして」


 女は鉢巻をぎゅっと握りしめた。その鉢巻がたった一つの己の存在の証なのだろう。


「十番隊なら、組長は原田という男だろ。確か、新選組から離隊して彰義隊とやらに移った」

「はい。原田先生がわたしを拾ってくれました。ずっと共に戦うと誓ったのに、なのに先生は……っ。わたしを捨てた」

「拾ったはいいが、足手まといになったら捨てる。戦場ではよくあることだ」

「違います。原田先生は、そんなんじゃっ」

「でも、いらねって言われたんだろ」


 そこまで言って常世は後悔をした。女を責めるつもりで言ったわけではない。けれど、苛立ちを覚えたのは否定できない。男のふりをした元女隊士を見ていると、なんとなく妹の常葉を思い出してしまうからだ。


「言い方が、悪かった」

「いえ。まったく、その通りなので仕方がありません。大坂から江戸に入ったときに何となく察していたので」

「新選組は劣勢だった。それでも後に引くことができなかった。運はすでに尽きていた。もう、終わったことだ」


 常世は自分に言い聞かせるように話を切った。戦争は終わったのだ。常葉も土方と生きる道を見つけた。生かされた者に与えられたのは、この先も生きていくということだけだ。


 女は顔を上げ、常世に問う。


「女の幸せって何でしょうか。原田先生は女が女らしく生きられる時代が来るから、お前は女として生きろと言いました」

「どんなにうまく化けても、女は女だ。男にはなれない。武器を捨て男に嫁ぎ子供を産む。子供を育てて日々を営むのが女の役目だ。男は女と子供が生きていけるように金を持って帰る。それを世間では幸せと言う」


 常世は今でも、常葉が市村鉄之助という男に化けてまで土方について行ったことに腹が立っている。どう考えても女であることを隠し通せるわけがないのに、それでも常葉は男であることを願った。

 常葉は女を捨ててでも、土方の近くにいたかったのだ。


 そして、常葉を止められなかった自分に更に腹立たしさを覚えていた。

 いくら血を分けた兄妹でも、心までは縛れない。あっという間に妹は兄の手を離れてしまった。


「あんた、惚れていたんだろ。原田のことは残念だったと思っている。上野は誰にも止められなかった。あの男も分かっていたはずだ。だからあんたを捨てたんだ」


 だから常世は会津に忍び込み、斎藤の下で刀を振った。いつでも常葉を連れて逃げ出せるように。


 ―― 土方は常葉を、離さなかったけどな


「く、うっ……」


 女は奥歯を噛み締めて、泣き声を殺した。

 それを見た常世は、胸の奥が痛くなり拳を畳に押し付けて誤魔化した。どうしても常葉とこの女が重なってしまうのだ。

 もう、戦争は終わったのだから、皆、好きに生きればいい。


「泣けよ。もう全て、終わったんだ。あんたは自由だ。好きに生きていいんだ」


 常世は俯く女の頭にそっと手のひらを乗せた。行くあてもなく彷徨い、残党狩りに巻き込まれ、不逞な輩に絡まれた女。

 ずっと誠の鉢巻を握りしめ、苦しみを耐える姿はあまりにも痛々しかった。


「もうっ……くそったれ。新選組のくそったれ……私もあの旗のもとで散りたかった。原田先生のくそったれ……何がっ、何が誠だっ……ううっ、ううううっ」


 それでも女は泣き喚くことはなかった。ただ静かに声を殺しながら涙を流した。



 ◇



 朝になり、店主がやって来た。

 女が生きていることに内心ほっとしたのか、湯浴みをすすめる。


「では、風呂をお借りします」


 店主から浴衣と手ぬぐいを受け取った女は部屋を出た。常世は女を見送ると、店主を呼び止めた。そして、そこそこの金を握らせる。


「あまりはそのまま納めてくれ」

「へぇ。ありがとうございます。では、すぐに手配いたします」


 その後、常世は素早く身支度みじたくを済ませると、女が風呂から戻る前に宿を出た。


 ―― 女の命は助かった。もう用はない。こんな所で足を止めるわけにはいかないんだって。


 常世はふところに入れた玉簪たまかんざしに触れた。これを大坂にいる、椿という女の医者に渡さねばならないのだ。そうすれば常世の勤めは終わり、本当の自由を得ることができる。

 もう守る者もいない、ただ自分のためだけに生きればいい。


 ―― 国に帰るか。いや、異国に渡ってもいいな。なにか商売を始めるのもいい。


 常世は自分の生きる道を探していた。そうでなければ自分の存在や価値を見失いそうになる。まだ二十歳にも満たないというのに、余生を悩む老いた浪士のようだった。


「飯でも食うか」


 常世は朝餉あさげも食べずに宿を出た。女を拾ったせいで夕飯にありつけぬまま今に至り、さすがに腹が減った。ここは田舎ではないから、歩いていれば何か食わせてくれる店が見つかるだろう。

 常世は少し歩く速度を落とした。

 その時だ、後ろから何やらせわしげな声がする。


「あのっ、もしー! わたしを助けてくださった、名も知らぬ若旦那さまぁー!」


 どこの誰か知らぬが、礼も受け取らずに去るなど粋なことをする奴がいるもんだ。常世は心の中でそう呟いて歩みを進める。

 しかし、その声が常世を呼び止めている声だと知ったのは、目の前を通り過ぎようとした猫が常世を見るや否や毛を逆立てて逃げ出した時だ。


「お待ち下さい! あのっ、若旦那さま!」


 常世は息を切らせながら駆け寄って来た女に、突然腕を掴まれた。


「うおっ」

「やっと、追いついたぁ」

「若旦那って、俺のことなのかっ! って、おまえっ」


 常世の腕をしっかり掴んで離さないのは、常世が昨日助け、今朝何も告げずに宿に置いてきた女だった。

 宿の店主に頼んで女のために揃えてもらった着物を着ており、それは思った以上に似合っていた。

 髪は結い上げ、こざっぱりとした顔立ちは昨夜のズタボロの浪人ではない。控えめに言っても、目の前の女は可愛らしかった。


「なんで来た」

「わたしはあなた様に助けてもらった上に、薬をいただき、宿代もお着物代までも出してもらいました。なのにまだ、お礼の一つも言っておりません」

「礼が欲しくて助けたわけではない。みくびるな。俺は俺、あんたはあんた。もういいから、去れ」

「そんな……」


 本当はこんな突き放した言い方をするつもりはなかった。どうしてか口が勝手に動いてしまう。常世は自分の中で危機感を覚えていたのかもしれない。


 ―― 女と関わっていいことは、ない!


「わたしの名はとわ。とうに羽という字を書いて十羽とわと申します。女という名ではありません。どうぞ十羽とお呼びください。それから若旦那さま、お供をお許しください」

「おまえ、読心術ができるのか! 待て。最後、なんと言った」

「お礼に、お供させていただきます」

「お供、お供だとぉ! はぁぁぁ!」


 まさか、拾った女が旅の共になる。

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