10-8

「大木か、どうだ、長野に入ったか」


「はい、先程諏訪南インターチェンジを過ぎましたので、諏訪インターまで10分程かと」


「世田谷署員と一緒なのだな、では諏訪インターで降りたら諏訪総合病院に向かってくれ。そこに椎名 徹郎氏が入院している。恭平がいたら身柄の確保を」


「諏訪総合病院ですね、承知しました。ところで警部達はどうされます」


「我々は諏訪湖近くに住む御光の家、元女性信者の自宅に向かう。この事件では物的証拠が少な過ぎる。恭平を落とす唯一の方法は彼の自白しかない。犯行の裏付けが必要なのだ、それを探しに行く」


「わかりました、病院に恭平が居なかった場合はそちらで合流しましょう。女性信者の住所を教えて下さい」

 手帳に住所をメモした後、大木は、

「警部は、マンハッタンにあるヴィレッジヴァンガードという、ライブハウスをご存知ですか」

 と尋ねた。


「ああ、知っている。開店した当初は、前衛芸術家の発表の拠点だったが、1940年代後半からジャズのライブを行うようになり、ジャズ界の名門クラブとして知られるようになった。ソニー・ロリンズがここで『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』を録音し、以後ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンなど著名なジャズ・アーティスト達が、優れたライブ録音を残した」


「流石です! 恭平はアッシュ・ハーパーなるミュージシャンと共に、12月のクリスマスウィークにヴィレッジヴァンガードでの公演が決まっております。ライブアルバムも収録されるそうです」


「ギタリストのアッシュか、こいつは凄いな。彼に認められたとなると、一躍国内でのジャズメンとしての評価が上がる、それどころか、世界に名が轟く」


「社長は相当意気込んでいました」


「…………」

(なぜだ、なぜそこまで将来を約束されていながら、人をあやめたのだ……)


「警部、あっ、警部聞こえていますか、そろそろ諏訪インターチェンジに入ります。また連絡させて頂きます」


「わかった、くれぐれも慎重に頼む」


 ・・・・


「さすがに此処まで来ると、9月と言えど肌寒い。警部は御神渡りをご存知ですか」


「おみわたり……いえ、知りません」


「御神渡り、神の渡る道。真冬になると、諏訪湖は全面結氷するのです。最低気温がマイナス10度前後の日が続くと、氷の収縮と膨張が繰り返されて亀裂が生じ、くねくねとした道のような御神渡りが出現すると言われています。 この神秘的な自然現象には、出来た道を伝って、諏訪大社の上社かみやしろ男神おがみ下社しもやしろの女神に会いに行ったという伝説が古くから言われているんです」


「女神と男神が出会う、なんだか織姫と彦星の、七夕のような伝説ですね」


「結氷が早い年は豊作、遅い年、できない年は不作、また下諏訪側にできた時は豊作、天竜川の河口方面にできた時は不作という、言い伝えがあります」


「原田さん、良くご存知ですね」


「へへっ、女房が諏訪の出でして、若い頃はよく真冬に、それ見たさに諏訪湖まで足を運んだものですから、なんだかあの頃が懐かしい」


 昨夜からの雨はすっかり上がり、南西から差す陽が、キラキラと湖畔の水面を照らしていた。知らずと郷愁を誘うその景観に、新見は息を呑んだ。


 ・・・・


「ごめんください、吉田 雅子さんはご在宅でしょうか、吉田さん、いらっしゃいますか」

 玄関の引き戸に手をやると、鍵がされているのか動かない。

「おかしいな、朝は電話に出られたのに……吉田 雅子さん、いらっしゃいませんか」

 原田は土塀で囲われた裏庭に向け、大きな声で呼んでみる。


「はいはい、おりますよ。裏で野良をしていたものでね、まったく大きな声で……聞こえていますとも」

 程なく、塀に沿って裏庭から藍色の作務衣さむえを着た60過ぎの女性が、険しい表情で現れた。

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