10-7

「ここから諏訪湖まで、丁度一時間ですね。私が運転しましょう」

 吉田 雅子の実家は諏訪湖のほとりにある。新見は後部座席に座ると、直ぐ様三島署に電話を入れた。時間は10時を回っていた。川村に確認すると、大木からの連絡はまだ入っていなかった。


「天野 礼子は、御光の家時代に卵巣摘出と、出産の経験があるということでしょうか」

 中央自動車道に乗ったところで、原田はバックミラー越しに新見に尋ねた。新見は腕を組み窓の外を眺めている。先程までの雨は止み、南東の空が明るく抜けていた。


「なんとも言えません。ただお局、吉田 雅子さんは知っているかもしれませんね」


「出産の経験があるとしたら、相手はやはり、片桐 浩一なのでしょうか」


「…………」

 原田の問いに、新見は目を瞑り、介護施設での加茂川との会話を振り返る。丁度その時、胸ポケットのスマホが振動した。大木からのダイレクトである。


「警部、お疲れ様です。今、大丈夫ですか」


「ああ、お疲れ様、構わない。それでどうだ、何かわかったか」


「ルナ・ルプスはやはり、ヴォルフガングでした。コンサートパンフレットの最終頁に載せた新曲は『朔月』でした。尚、椎名 恭平は現在行方不明で、音楽事務所社長の話では長野に居るのではないかと」


「『朔月』を……そうか、間違えないな。恭平と長野の接点はなんだ」


「以前、長野に住んでいました。本籍を調べましたが、もともとは諏訪の児童擁護施設に居たようで、その後8歳の時に、椎名 徹郎なる人物の養子となっております」


「児童擁護施設……何と言う施設なんだ」


「諏訪南修道院という、カトリック系の施設です。椎名 徹郎の本籍は茅野市になっております」


「茅野市、諏訪湖の手前だな……詳しい住所を教えてくれ。ところで捜査本部には連絡をしてあるか」


「はい、川村警部補には全貌を伝えてあります。大木はこれから茅野市に飛べと、只今、世田谷署の車両を借りて、署員と二人で長野に向かっているところです」


「そうか、あとどのくらいで着きそうだ」


「はい、今しがた中央自動車道に入りましたので2時間程かと」


「はい解った、現地で落ち合おう。着いたら連絡をくれ」

 大木から茅野市の住所を確認すると電話を切った。


「原田さん、先に茅野市に向かいます。諏訪インターで降りたら茅野市方面にお願いします」


「承知しました。茅野市になにか……」


「ルナ・ルプスとヴォルフガングは同一人物です。恭平は今長野に来ている……運が良ければ身柄を確保できる」


 ・・・・


「椎名 徹郎。この家ですね、しかし、人が住んでいる様子がないが……」

 インターホンを鳴らしても反応はなかった。


「椎名先生は、ここにはおりませんよ」

 隣家から出てきた中年女性が、訝しげに声を掛ける。


「先生……ああ、そうなんですね。どちらにいらっしゃるのでしょうか」


「どのようなご用件かしら」


 原田は警察手帳をかざしながら、

「失礼しました。富士吉田署から参りました。それで徹郎さんはどちらに」


「あぁ、ご、ごめんなさいね。椎名先生は今年の春から入院しております」


「入院、どこかお悪いんですか」


「胃ガンだそうですが、諏訪の総合病院に」


「そうなんですね、もし……息子の恭平さんはご存知ですか」


「恭平くん、懐かしいわねぇ。どうしているかしら……16の時に家出してしまってね。あれ以来、先生随分と力を落とされて」


「先生といいますと、教師か何かを」


「いいえぇ、ピアニストですよ。長野では有名なね。恭平くんはピアノの才能があるからと、先生が養子になさったのよ。でも、ショパンコンクールを目前に家出してしまって」


「ショパンコンクールですか、そいつはすごいな」


「国内の予備予選は通過していただけにねぇ、先生暫くは寝込んでしまってね」


「……ありがとうございます。諏訪の総合病院ですね」

 女性に頭を下げると、二人は直ぐに車を出した。

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