10-6

山梨県 甲府市某所


「温泉やジムまであるんですか、サービス付高齢者住宅。まるでホテルのようですね」


「加茂川様ご夫婦は終身プランを選択されておりますので、つい棲家すみかとして、最高級のサービスを提供させて頂いております。あの、ひとり掛けのソファーに座って外を眺めている方が勝様です」

 ソファーに深々と座り、足を組み、斜に構えながら窓の外を見つめる加茂川に、新見はなんとも言えぬ愁いを感じた。

 

「私が行きましょう」

 加茂川に歩み寄る原田を制し、新見は背後から近付くと、片膝をつき、静かに話し掛ける。

「今日は生憎あいにくの雨ですね。しかし、此処は自然が溢れていて良いところだ。あの白樺も、カラマツも、そろそろ色付いてくるのでしょうか」


 加茂川は新見をチラと見、直ぐに視線を戻すと、穏やかな口調で話し始めた。

「ああ、そうだな。10月になれば色づき始めるよ、あっという間にね。ここから見る景色が一番でね、妻と私の特等席なのだよ。まぁ、今日のような雨降りであっても、それはそれで風情があって良いが。ところで君は……」


「申し遅れました。静岡県警の新見 啓一郎と申します」


「静岡県警の……それで、私に何か……おっと、それでは申し訳ないな、こちらのソファーに座りたまえ」

 片膝をついたまま話をする新見に、加茂川は笑みを浮かべながら促す。


「失礼します」

 新見は加茂川に警察手帳を見せながら、対面のソファーにゆっくりと腰を下ろした。


「昨晩、古田芳郎弁護士を訪ねました」


「古田さん、懐かしい名前だな……」


「21年前の、御光の家破産解散ではご苦労されたようで、心中お察しします」


「あの件か、もう忘れてしまったよ……」

 加茂川は目をほそめ、ぼそっと答える。


「先日三島市で、御光の家元信者の女性が殺害されまして、加茂川さんが知っている範囲でお話しを伺えればと」


「……当時私は、御光の家の執行役員ではあったが、信者のことは何も知りませんが」


「存じあげております。産婦人科医院を開業されていたんですよね。教団に常駐していたわけではない」


「そこまで知っているのなら、今日は無駄足でしたな」


「天野 礼子、三島市で殺害された女性の名前です。彼女には、片方の卵巣がなかった」


「……あまの、れいこ…………」

 加茂川は新見から目を逸らし、窓の外を見詰めた。


「はい、司法解剖の結果、遠い昔、まだ彼女が若い頃に、卵巣を摘出した手術痕がありました。加茂川さんは産婦人科医をされてましたので、その件について何かご存知かなと思いまして」


「…………」

 加茂川の口角が僅かに震えた。


(明らかに何か知っている……)

「彼女は、若い頃妊娠の経験もあるようなのですが、それについてはどうでしょうか」


「……そんな女性は知りませんな。やはり無駄足になったようだ」


「この女性なのですが……」

 新見は天野 礼子が写る、愛明夫婦を囲む信者達の写真の拡大コピーを加茂川に見せた。


「こ、これは……」

 写真の一点を凝視し、肩を震わせる。

「……あぁ、美也子……こんな写真が、可哀想な美也子……あんな病気にさえならなければっ……」


「ん、病気……美也子さんは何かお体を患っていたのですか」


「……後天性筋強直性ジストロフィー症、難病でした。自分の力では立てなかった……」


「難病、ですか……」


 暫くうつむき、目を閉じたまま肩を震わせていた加茂川は、

「何もお話しすることはありません。お引き取り下さい」

 と言ったあと、外を見詰めたまま沈黙した。


「加茂川様、そろそろ入浴のお時間です」

 車椅子を押しながら、背後から介護職員が声を掛ける。

「あぁ、わかった」

 介護職員に介助されながら車椅子に座ると、加茂川は新見を無視するかのように、真っ直ぐ前を向き、その場から自走して行った。



「加茂川氏は、何か隠しているようですね」

 原田が声を掛ける。


「そうですね。これ以上は無理でしょう……しかし、おぼろ気ながら見えてきた……」

 加茂川の後ろ姿を目で追いながら、新見が呟いた。

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