聖女と女神と天使

「ダニエルはまだ来ないのね。国王様へのご挨拶の列も全然進まなくなったわ」


 国王への挨拶よりフレッド王子のご機嫌取りを優先する貴族達のせいで、列の後方に並ぶアザレアたちは長い間待たされる。

 大広間の右側は全面硝子張りで、中庭で咲き誇る花々が眺められ、左奥には立食パーティ用のワゴンが並び、挨拶を済ませた貴族達が優雅に食事をしている。

 昼前に馬車に出発して中で軽い食事をとり、夕方に王都に到着したシャーロットはお腹を空かせていた。


女神アザレア様、私が前を見てきます」


 そう言うとシャーロットは、挨拶列に並ぶご婦人のドレスの影に隠れながら、玉座の近くまで進む。

 列の先頭は国王に挨拶を済ませて立ち去る第二王子派と、シルビアから治癒魔法を受ける第三王子フレッド派の二手に分かれていた。

 シャーロットは、つまらなそうな顔で治癒魔法を行う妹シルビアを見ても何の感情も湧かず、きびすを返しアザレアの元へ戻る。


「女神様、左の列の方が早く進みます。わたしもうお腹ペコペコで、早く王様のご挨拶を済ませましょう」

「左に並べばいいのね。シャーロットちゃん、私もお腹ペコペコよ」


 周囲の貴族達は、豊穣の女神シルビアと天使シャーロットの微笑ましい会話に思わずほっこりする。

 ふたりは左列に並び直し、残り五組で玉座の前に来たところで、まだ長い列の右側から騒ぎが起こる。


「ラドクリフ伯爵は王国最西端の領地を治めているのか。随分遠くから来たのだな。聖女シルビアに、心臓を患う妻を助けて欲しいと」

「はい、フレッド殿下。妻は王都まで二週間の長い道のりを辛抱して、やっとこちらにたどり着きました。どうか聖女様の御慈悲を……」


 フレッド王子の前で片膝を付く伯爵の隣に、同じ茶色い髪の青年に支えられ具合悪そうに顔を伏せた女性がいる。

 しかしフレッド王子と伯爵と会話の途中、シルビアは大あくびするとその場を離れる。

 国王の座る玉座の前を横切り、黒曜石の舞台後ろに帰ろうとする。


「どうした、シルビア。まだラドクリフ伯爵との話は終わっていないぞ」

「シルビアはとても眠たいの。十五人も癒やして疲れました、今日は終わりです」

「そうか、シルビアは気まぐれだ、仕方ない」


 フレッド王子はやれやれと肩をすくめると、目の前で苦しそうに胸を押さえる夫人を無視して、自分も黒曜石の舞台に戻ろうとする。


「お、お待ちくださいフレッド殿下。このままでは妻の心臓が持ちません、どうかシルビア様の治癒魔法をお願いします」

「シルビアは五十年ぶりに出現した奇跡の聖女。だが聖女はとても気まぐれで、王子の俺が頼んでも言うことを聞かない」


 普通の治癒魔法使いなら五人がかりで完全治癒するのを、シルビアひとりで十五人も完全治癒させた。

 しかし九歳の子供の魔力は無尽蔵ではない。

 フレッド王子は支持集めのために、シルビアが病気怪我を治してくれると宣伝してたが、予想以上に人が集まりすぎた。

 確実にシルビアから治癒魔法を受けたければ、フレッド王子に袖の下を渡したり工夫が必要だった。

 お願いします助けてください、と残された人々が悲痛な声をあげても、いつもの事なのでフレッド王子は涼しい顔でシルビアを連れて大広間から出て行く。


「何が聖女だ。妻は命がけで王都まで来たのに、眠いから今日は終わりだと!!」


 苦しげに胸を押さえ蹲る妻を介抱しながら、ラドクリフ伯爵は思わず怒りの言葉を投げつける。

 大広間にいる神官たちも、聖女に見放された夫人を助けようとしない。


「奥様、大丈夫ですか。この気付け薬を飲ませてください」


 後ろから声をかけられてラドクリフ伯爵が振り返ると、目の前に小さな硝子瓶に入った金色の液体が差し出される。


「もう無駄だ。どんなに高価な薬も使っても、妻の胸の病は治せなかった」

「でも奥様、とても苦しそうです。気休めかもしれませんが、少しは胸の痛みが和らぐでしょう」


 声をかけた女性の柔らかな優しい声に、ラドクリフ伯爵は妻の身体を起こし口に薬を含ませた。

 最愛の妻が苦しんでいるのに、自分は神に祈りながら抱きしめることしか出来ない。

 妻の死を覚悟して悲しみに暮れるラドクリフ伯爵の腕を、誰かが何度も叩いた。


「こんな時に、なんだ、俺はこいつを離さないぞ」

「あなた、腕をゆるめてください。私のあばら骨が折れてしまいます」


 えっ、と思わず声をあげて腕の中の妻を見ると、さっきまで痛みで震えていた身体は力が抜けて、穏やかな呼吸を取り戻していた。

 夫人の青白かった顔や紫に変色した唇に血の気が戻り、隣に付き添った息子もあっけにとられた表情で母親を見た。


「良かったわ、私の気付け薬が効いたみたい」


 再び女性から声をかけられ、その姿を見た夫人が驚いて目を見開くと、女神様と呟く。


「あの金色の飲み物はいったい。あ、貴女は豊穣の……辺境伯令嬢アザレア・クレイグ様っ!!」

「ラドクリフ伯爵、これは気付け薬。ただの強いお酒です」


 返された小瓶を受け取った手は滑らかな陶器のように白く美しく、艶やかな長い黒髪に赤い深紅のドレス姿のアザレアは、まさに豊穣の女神そのものだった。

 身体を起こしたラドクリフ夫人は、感謝の涙を流しながらアザレアを拝む。


「ありがとうございますアザレア様。私の胸の苦しみ、水の中でもがくような息苦しさと針を千本飲み込んだような痛さが、瞬く間に消えてしまいました」

「ふふっ、お酒を飲んで痛みが紛れたのね」


 アザレアは軽く笑って誤魔化したが、ラドクリフ夫人の胸の病が癒えたのは明らかだ。


「あの金色の飲み物、たった一口で胸の病が治るなんて」

「辺境伯領の深い森に、上級薬草が群生しているという噂は本当だった」

「しかし上級薬草を扱うには聖教会の許可が必要だ。辺境伯でも自分勝手に出来ない」


 苦しむ夫人に見向きもしなかった神官達が、媚びた笑いを浮かべながらアザレアの周囲に集まってくる。


「辺境伯アザレア・トーラス様。その金色の液体は、まさか上級薬草を使用して作ったモノですか?」

「残念ですが、これはハチミツ100%のお酒。上級薬草は一片も入っていません。確か聖職者は飲酒禁止、酒の匂いを嗅ぐのも禁忌でしたね」

「そんな言葉に誤魔化されないぞ。どうやったかは知らないが、その酒に上級薬草を混ぜたのだろう」


 取り囲んだ神官のひとりが詰め寄ると、アザレアは小瓶の蓋を開けて鼻先に持ってくる。


「これに上級薬草が混ざっているか、どうぞお調べください。でもただのお酒なら、貴方は聖教会の禁忌を破ることになります」

「ふっ、俺はそんな脅しには騙されない」


 神官はアザレアの手から小瓶を奪い取ると、僅かに残った中身を一気にあおった。


「うっぷ、げほげほっ、なんて強い酒だ。喉か熱くて……とても甘い?」

「そんな馬鹿な。上級薬草はクドいほど苦くて渋みがあって、他の飲み物に混ぜても渋みは残る」

「この酒はサラリとした甘さで苦みも渋みも無い。しかし上級薬草、いやそれ以上の治癒効果がある!!」


 他の神官が小瓶をひっくり返し最後の一滴まで飲んで、瓶の蓋まで舐めたが上級薬草の味はしない。

 それもそのはず、このハチミツ酒は特別製だった。

 シャーロットは昆虫採集で捕えたユニコーンビーの女王蜂を、上級薬草の花が咲き乱れる温室に離した。

 女王蜂は温室に巣を作り、ユニコーンビーは上級薬草の花の蜜を集める。

 そのハチミツで、ジェームズは特別なハチミツ酒を作った。 


「アザレア様、とにかくこの酒は聖教会が、ヒックッ、没収します。ぜんぶのさけを、ていしゅちゅ、してくらさい」

「このおじさん、みんなが国王様にご挨拶する前で、お酒を飲んで酔っ払って、とても失礼じゃない」


 アザレアに難癖を付けて詰め寄る神官を、小柄な可愛らしい美少女がたしなめる。


「なんだ、この娘は。聖女候補シルビア様とよく似た顔に金色の髪、まさか《老化・腐敗》呪いのシャーロット!!」

「うわぁ、シャーロットの姿を見てしまった。俺の寿命が一年縮むっ」

「なぜ呪われた娘が神聖な豊穣祭に参加しているんだ。早く追い出せ!!」


 王宮の豊穣祭には、聖女候補シルビアに近しい神官達が招待されていた。

 彼らはシルビアの母親から、シャーロットの呪いを散々聞かせれている。

 シャーロットの姿を見て腰を抜かし、四つん這いで逃げようとする神官達を周囲の人々は冷めた目で見る。


「シャーロットちゃんのお酒を飲んだくせに、よくそのような事が言えますね。このお酒で、私の毒に冒された身体は健康を取り戻しました。彼女は私の天使なの」


 アザレアが冷めた声で神官達に告げると、貴族の間からクレイグ家のハチミツ酒だ。と声が上がる。

 見栄っ張りの母親がシャーロットの誕生会に招いた上位貴族たちは、ハチミツ酒を覚えていた。


「なんと、あの酒は上級薬草以上の治癒効果があるのか」

「聖職者にハチミツ酒は禁忌の飲み物だったはず」

「私、シャーロット様の誕生会で飲んだ美味しいハチミツ酒の味が、ずっと忘れられないの」


 一部の貴族がアザレアとシャーロットの味方をして、シャーロットを罵った神官たちは面目が丸潰れになる。


「シャーロットちゃん、こんな連中は無視して国王様へご挨拶しましょう。タイミング良くダニエルも到着したわ」


 その時、中庭を眺める全面硝子張りの窓が大きく震えた。

 バサバサと羽ばたきが聞こえ、上空から巨大な神獣グリフォンが現れる。

 中庭に着陸したグリフォンの背から、アザレアの髪と同じ紫黒色の礼服姿のダニエル王子が降りてくる。

 神獣グリフォンお披露目の派手な演出に、サジタリアス王は王座から腰を浮かせた。

 硝子張りの窓が開け放たれ大広間と中庭がひと繋ぎになり、アザレアとシャーロットはダニエルに駆け寄る。


「まさかダニエル、中庭にグリフォンを連れてくるとは思わなかったわ」

「アザレア、これから俺と一緒に、国王へ挨拶しよう」


 ダニエル王子はアザレアの両手を取り、そのまま国王の前に向かう。


「えっ、ダニエル、ちょっと待って。シャーロットちゃんも一緒に……」


 アザレアがシャーロットを探すと、シャーロットはグリフォンの手綱を握ったままアザレアに手を振った。

 アザレアは状況が飲み込めないままダニエル王子と手を取り、壇上の王族の前に進み出ると臣下の礼をとる。


「面を上げよ」


くぐもった声が聞こえ、ダニエル王子は凜とした声で答える。


「お久しぶりでございます、偉大なるサジタリアス十七代国王ジェフリー陛下。本日は豊饒と国家繁栄を祝う晴れの席で、第五王子ダニエル・サジタリアスと辺境伯アザレア・グレイクとの婚約を承認していただき感謝します」


 突然の出来事にアザレアは声をあげそうになるのを堪え、隣のダニエル王子を凝視する。

その時。


「はぁ、なんだこのグリフォン。それにアザレア姫が結婚って、俺はそんな話聞いてない」


 壇上に戻ってきたフレッド王子の罵声が、大広間に響いた。

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悪ノ令嬢シャーロットの中の人は、彼女を勇者から護りたい なんごくピヨーコ @nangokupyo

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