神獣グリフォン

 サジタリアス王宮の正面入口には、グリフォンに跨がった初代王肖像画が掲げられている。

 グリフォンは魔獣ではなく神獣として崇められるので、空から舞い降りてきたグリフォンを見た人々は恐れより感動の方が勝る。


「私、本物のグリフォンを初めて見たわ。なんて色つやの良い羽根でしょう」

「グリフォンは絶滅したと思っていたが、辺境の森で生きていたのか」

「このグリフォン、眼がとても大きくて可愛らしい顔をしている」


 そして人々の視線は、グリフォンの背に跨がる青年に注がれる。


「グリフォンを騎獣にするには魔力五つ星以上、そして神獣を上回る気迫が必要だと言われる」

「燃える炎のような赤毛、それにとても勇ましく凜々しい顔立ち。本当にあの地味で目立たなかった第五王子なの?」

「ダニエル殿下の御姿は、初代サジタリアス王若かりし頃の肖像画そっくりではないか」


 暴れ馬状態のグリフォンに振り落とされないように必死で、髪は乱れ鬼気迫る表情で王宮にたどり着いたダニエル王子を、人々は大いに勘違いする。

 肩で荒く息を吐きながらグリフォンから降りたダニエル王子に、アザレアが駆け寄った。


「アザレア、俺は大丈夫だ。これでやっと叔父上との約束が果たせた」

「ああダニエル、無事たどりついて良かった。ひどく汗をかいているわ、髪もボサボサね」


 ダニエル王子の額の汗を白いハンカチで甲斐甲斐しく拭うアザレア、周囲の人々にその関係は一目瞭然だった。

 その時、ガランッ。と騎士のひとりが手にした槍を取り落とす。


「アザレア様とダニエル殿下は姉弟同然の関係だったはず。あんな役立たず王子と俺のアザレア様が、まるで恋人みたいな……」


 フレッド王子側近マックスは、ダークムーンウルフのレイドバトルでアザレアに助けられて以来、彼女に恋い焦がれていた。

 マックスの知るダニエル王子は、フレッド王子の従者・小間使い程度の男。

 だから次期国王の呼び名高いフレッド王子側近に出世した自分の方が優れていると、マックスは勘違いする。

 神獣グリフォンの降臨に人々が沸き返る中、マックスは暗い眼でアザレアを見つめていた。


「豊穣の女神に初代サジタリアス王、そして王獣グリフォンまで揃って、まるで伝説の出来事だ。しかしそれなら余計に、呪われたシャーロットはこの場にふさわしくない!!」


 馬車の影から出てきた准神官が声を荒げながら、先に派手な装飾の施された笏杖をシャーロットに向けた。

 高位の神官が笏杖を向けるのは、背教徒や魔物。

 普通なら平民はおろか貴族でも恐れおののくが、一般常識の無いシャーロットは相手が攻撃すると判断して、護身用土砲丸を握ると投球フォームに入ろうとした。


「シャーロットちゃんは呪われてなんかいない。この子は毒殺されかかった私を助けてくれたのに、私の天使シャーロットちゃんを悪く言うなんて……酷いっ」


 アザレアはシャーロットを抱きしめながら、マカライトグリーンの瞳から一粒ホロリと涙を零す。

 優柔不断ダニエルを射止めた演技力を発揮して、豊穣の女神になりきる。

 自ら信仰する豊穣の女神に「酷い」と断罪された准神官は、膝から崩れ落ちると床に蹲りガクガクと震えた。


「第五王子は半年前、呪われたシャーロットをさらって辺境に連れ去ったと聞いた。老化の呪いが本当なら、今頃ダニエル殿下は百歳のじいさんだ」

「それにアザレア様も、以前お会いした時より肌の色つやも良くて、まるでミューズのように美しい」

「シャーロット様は光輝く金色の髪にとても可愛らしいお顔で、まるで女神の天使だ」


 人々が騒然とする中、ダニエル王子は蹲って動けなくなった准神官の前に立つ。


「クレイグ伯爵家令嬢シャーロットは、国王から直々に舞踏会へ招かれた。俺の言葉を疑うなら、国王へ直接問うがいい」


 その時王宮の中から、華やかな音楽と舞踏会の始まりを告げる鐘が鳴り響く。

 貴族達は蹲ったまま震える准神官に見向きもせず、ぞろぞろと王宮の中へ入っていった。



 *



 王宮の中に入ると、透き通ったクリスタルの柱が等間隔で並び、床に赤いビロードの絨毯が敷き詰められた長い廊下が続く。


「ダニエルはグリフォンを移動させて、服を着替えてから来るから、それまでシャーロットちゃんは私と一緒にいましょう」


 メイドのエレナはここから中は入れないので、シャーロットはエレナと別れアザレアと手を繋いで歩く。

 壁には歴代の国王・王妃の肖像画が飾られ、一区画ごとに有名彫刻家が彫った豊穣の女神像が飾られている。 

 長廊下の突き当たり、グリフォンのレリーフが描かれた黄金の両開きの扉が開き、舞踏会の行われる大広間に到着する。

  部屋の正面の壁には巨大な王旗が掲げられ、一段高くなった黒曜石の上に置かれた玉座には、光り輝く頭頂部に宝石のちりばめられた王冠を乗せた、でっぷりと太った貫禄のある体型のサジタリアス十七代国王、その隣に痩せて伏し目がちの王妃が座る。

 両脇に第二王子マーチ・サジタリアスと第三王子フレッド・サジタリアスが立ち、何故かフレッド王子の後ろに銀髪の少女がいた。

 王座真下に置かれた巨大な燭台には黄金色に輝く聖火が灯り、サジタリアス王国・聖教会大神官が呪文を唱え神事を行う。

 秋の豊穣と国家繁栄を祝うサジタリアス王家主催の舞踏会は神事を兼ね、俗世を離れたとされる聖職者も招待された。

 大神官の祭事が終わると、先頭の貴族から順番にサジタリアス国王への挨拶を行う。


「ふぅ、一体何人並んでいるんだ。この調子じゃ、俺が国王陛下に御挨拶する頃には深夜になるぞ」

「例年より、参加者が三倍も増えたそうだ」

「私はフレッド殿下がお連れになった、豊穣の聖女候補シルビア様の治癒魔法で怪我を治してもらう」


 小声で呟いた貴族の男は、片足を引きずり身体を大きく揺らしながら国王の前に進み出る。

 男に気付いたフレッド王子は軽く頷き、後ろで眠たそうに眼をこする少女に合図をする。

 貴族の男はサジタリアス国王への挨拶を賛辞を宣べていると、突然身体を揺らし膝から前のめりに倒れた。

 その時一段上の黒曜石の舞台から、フレッド王子と銀色の髪の少女シルビアが倒れた男に駆け寄る。


「大丈夫かラカイユ伯爵。我々に忠誠を誓うため、大怪我を押して豊穣祭に参加したのか」

「フレッド殿下に、無様な姿をお見せして申し訳ございません。一月前に赤大魔熊の襲撃を受けて何とか追い払いましたが、その戦いで脚を怪我してしまいました」


「凶暴な魔物を退けたとは、なんと勇猛果敢。しかしその傷では今後まともに戦えない。貴君の怪我は、豊穣の聖女シルビア・クレイグが癒やしてくれる」


 芝居がかった二人のやりとりの後、銀髪の少女が床に倒れたままのラカイユ伯爵に近づく。

 腰まで流れ落ちる銀色の光り輝く髪に雪のように白い肌、可愛らしい顔立ちに神秘的な紫色の瞳のシルビアは、顔を上げた伯爵を一瞥するとプイと顔を背けた。


「顔中汗をかいて、額にブツブツが出て嫌、触りたくない。仕方ないから手を出して」


 王族の遠縁に当たるラカイユ伯爵に、格下のクレイグ伯爵家シルビアは露骨に嫌がる。

 貴族達は外の広場から王宮までパレードさせられ、さらに長い廊下を歩いて、汗をかくのは仕方ないこと。

 しかし王宮の中で待機していたシルビアは、そんなことわからない。


「聖女シルビア様、私は足に怪我をしているのですが」

「シルビアは汚い足に触りたくない。手にキスをするから、ちゃんと綺麗に拭いてちょうだい」


 声は愛らしいが礼儀知らずな物言いに、ラカイユ伯爵は内心不愉快に思いながらも床に倒れた状態で手の甲をハンカチで何度も拭く。

 シルビアは眉をしかめながら、伯爵の手の甲に軽くキスをした。

 呪文もない、ただそれだけの行為に周りの貴族たちは興ざめの表情になるが、ラカイユ伯爵は激しく身体を震わせると、突然雄叫びを上げる。


「うぉおおっ、なんだこれは!! 足が痛くない、普通に動くっ。娘が手のひらに触れただけで、赤大魔熊にかみ砕かれた私の左足が治った」


 床に倒れたラカイユ伯爵が勢いよく立ち上がると、その場で足踏みをして何度も跳び上がった。

 動く、痛くない、元通りだと歓喜の声をあげ、涙を流しながらフレッド王子の前にひれ伏す。


「聖教会の上位治癒魔法使いにも治せなかった私の怪我を、豊穣の聖女シルビア様が癒やしてくださいました。フレッド殿下、ラカイユ伯爵家は殿下の御慈悲に報いるため、永遠の忠誠を誓います」

「ハハハッ、大げさだな伯爵は。俺は忠誠を誓う臣下を大切にする。しかし聖女シルビアはきまぐれだ」


 気安い調子で話したフレッド王子の言葉を、貴族達は理解した。

 五十年ぶりに出現した豊穣の聖女シルビアの恩恵に授かるには、聖教会ではなく、王位継承権争いから脱落しそうなフレッド王子に忠誠を誓う必要がある。

 フレッド王子の周囲に殺到する貴族達を、一段上の黒曜石の舞台から眺める第二王子は、悔しそうに歯ぎしりした。

 王族の権力争いの道具にされたシルビアは、フレッド王子の背中にもたれて眠たそうに目を伏せる。 

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