第17話 玉座の守護者

 地下へと続く真っ暗な階段を、カツンカツンと高い靴音を鳴らしながら進む。反響した音が鼓膜を妙に大きく揺らし、普段では気にならない靴音がやけにうるさく感じた。

 魔法の効果範囲外の空気に触れた吐息が微かに白く染まり、それだけでこの地下空間が玉石を手に入れた場所よりも冷え込んでいることが窺える。外気温を調整することができる魔法を習得しておいて、本当によかったよ。

 心中で安堵しながら光球に照らされた周辺を見回す。

 まだ底は見えない。既に二百段以上は下りていると思うのだけど、螺旋状に下へ続く階段は全く途切れることがなく、未だ先には暗闇が広がっている。一体どれだけ地下深くまで続いているというのだろうか。

 僕は地下数キロまで続いているのではないかという最悪のパターンを想定し……僕の両手をそれぞれ握っている二人に声をかけた。


「えっと、二人とも、大丈夫ですか?」


 同時に、僕の手を握る力が微かに強められた。

 何とか大丈夫。ということだろう。つまり、怖いことに代わりはないということでもある。光球で照らしているけど、駄目か……。

 フィオナもシオン様も、狭くて暗い場所が苦手という可愛らしい特性を持っていらっしゃる。そういう場所が大好きな僕にはあまり理解できないことなんだけど、ここにいることは彼女たちにとっては夜の墓地にいるに等しいことなのだろう。夜の墓地も、僕は全く怖いと思わないけど。

 と、左手を握っていたフィオナが不意に手を離し、僕の腕を抱え込んだ。


「前に行った、修道院の地下空間よりも居心地悪いわ……。よくわからないけど、何だか怖い」

「あー、前のほうが距離短いからね」

「終わりの見えない暗黒の階段を下っているという状況が、凄く不安になるの」


 ムスッと拗ねた様子で言い、フィオナは僕の腕を抱える力を強める。

 最近、立て続けに無理をさせているような気がするな……ちょっと申し訳ない気持ちになってくる。ちゃんとお詫びとお礼は用意しておこう。

 勿論、頑張ってるシオン様にもね。


「シオン様も、申し訳ありません。こんなところに連れてきてしまって」

「い、いえ……私は自分でついてきているので。それに、セレル様がいらっしゃいますから、恐怖もそこまででは、ありません。今は、少し疑問のほうが強いです」

「この地下階段についてですか?」

「はい」


 シオン様は反対の手で、壁をなぞった。


「深い地下階段が今まで発見されなかった理由もそうですけど……誰が何のために、古文書やこんな仕掛けを用意したのか。これだけのこと、相当な労力がかかったはずです」

「確かに、そうですね」


 修道院の仕掛けも然り、遺跡にこれだけの地下空間を用意したりと、これほどのことができるのは当時の権力者だけだと思われる。権力を持った人間でなければできないことは確実なのだが……その理由は現時点では全く不明。しかし、何かしらの目的がなければこんなことはしないはずだ。

 古文書を作った者の目的……この探索の果てに、それは知ることができるのかな。


「それに……この壁の絵も」


 シオン様が触れていた壁には、先程の場所とは違い、古代文字ではなく絵が描かれていた。人間の姿形をしており、背中には一対の蝙蝠の羽を携えている。このような生物が実在していた、という記録はない。

 だが、実在ではない物語の中には存在している。


「悪魔ね。この特徴的な姿は」


 フィオナが光球の明かりに照らされた壁画を見て呟く。

 この姿は、正しくそれだろう。天に君臨する天使と対を為す堕落と絶望の権化である、悪魔。人間を悪の道へと誘うとされる。

 見れば、蝙蝠の羽を持つ者だけではない。異形の形をした無数の人型が描かれているのがわかった。


「天使や悪魔の起源がいつなのかは、わかっていないわ。ただ、六千五百年以上昔に書かれた古文書にそれらしい記述があることから、それより前には提唱されていたと思われる」

「世間的には天使は崇高で輝かしく、人を導く存在だと言われている。けど、実際のところ天使の救済とは死であり、悪魔は人を誘惑するだけで殺しはしない」


 命を奪う天使を崇め、殺さない悪魔を悪として貶めるのは、今でも少し疑問に思うね。


「過去に起きた天上大戦てんじょうたいせんでは、悪魔は天使に敗れて地獄へと幽閉されることになった。だけど、悪魔が齎した誘惑は人間の中に残り続け、今のように悪事を働く者がいる……って、昔セレルに教えてもらった記憶があるわ」

「その通りだから、捕捉することはないよ」


 僕が説明したかったんだけどなぁ……フィオナの記憶力には、素直に脱帽するよ。魔法士の悪い癖というべきか、彼らは自らの魔法を磨くことに執着して、不必要な知識を切り捨てる傾向がある。だから、特に歴史などは一切学ばない人が多いんだ。今のは歴史じゃなくて神話だけどね。


「もしかしたら、地下にあるここは悪魔が眠る地獄を表しているのかもしれないね。地下深くまで続いているのは、そういうことなのかも……お?」


 その時、いつまでも続いていた階段の終点が見えた。段差が消え、灰色の石が敷き詰められた広大な空間が出現。

 ようやく終わりか、と最後の階段を下り、石畳に足をつけた──瞬間。


 電磁網に、尋常ではない程の魔力を感知。

 

 濃密で膨大、魔人書を手にしたアトスの十倍とも言えるだろうか? 宮廷魔法士でも指折りの実力者が束になって相対しなれば手も足も出ないような、絶対的な強さを感じる。

 古文書に書かれていた最後の言葉──ガーリアスの守護する玉座への道が開かれん。

 つまりこの先には、ガーリアスと呼ばれる存在が玉座を守護している、ということだろう。

 なるほど確かに、玉座を守護する最後の敵と言った感じだ。


「何だか……肌がビリビリするわね」

「はい。それに……水天慈章サキエルも何か訴えているようです」


 二人も魔法士として、圧倒的な存在を感じ取っているらしい。

 僕はともかく、二人を危険に晒さないためにはどうすればいいのか……それを考えた時、異変が起きた。

 暗黒に包まれていた空間に無数の赤い火が灯り、巨大な主柱が無数に鎮座する神殿のような空間へと成り代わった。四方八方には幾つもの燭台が火を灯して直立し、部屋の中央はまるで絨毯のように色が変わり、奥へと続いていた。

 玉座のある空間。

 そう表現するのが最も適当に思える空間に、僕は不思議と心が冷静になった。

 まるで……自分がこの空間、否、権力の象徴とも呼べる場所にいることに落ち着きを覚えているように。

 この感覚は、一体……。

 と、そこでフィオナが僕の腕を離して言った。


「玉座に至る前の、最後の試練。そんなテーマがお似合いの場所ね」


 見ると、フィオナは真っ直ぐに視線を向けたまま笑っている。対照的に、シオン様は何かに恐れ慄いているような様子だ。


「あれは、駄目です。危険すぎます……」


 直感から危険を感じ取っているらしい。思わず僕のほうへ近寄り、先程のフィオナのように僕の腕を抱えた。

 二人がそんな反応を見せる正面に、僕は視線を向けた。

 騎士。

 その単語が脳裏を過ったと同時に、僕は理解した。


「遺跡の前にあった巨像は、彼らを表していたのか」


 巨大な空間の奥にいたのは、遺跡前にあった巨像の完成形だった。

 全身を白い甲冑で覆った騎士であり、それぞれの手には剣と槍、共に盾を持っている。武具防具全てが魔力を帯びた魔道具であり、簡単には破壊できない。同時に、二人の手から落とすこともできない。

 魔法士にとっては天敵とも呼べる、魔法に対する防御態勢を持った、巨大な騎士。

 彼らは暗かった瞳を赤く光らせ、まるで本当に生きている人間のような動作で立ち上がった。次いで、背後の階段が落下してきた柵によって閉じられ、逃げることもできなくなった。

 残された選択肢は、戦うことだけ。


「せ、セレル様ッ! どうなさいますか! あの騎士たち、こっちに向かって来ていますよ!!!」

「魔法が効かない騎士……絶体絶命、ね。セレル、あれに勝つこと……セレル?」


 二人が口々にいう中、僕は接近してくる巨大な騎士を注視して……笑みを浮かべた。心の底から知的好奇心が湧き上がってくる。巨像を生み出した存在に対して敬意を称する。あれは生きているのではなく、魔法で創り出した存在だ。あれだけの強さを要する騎士は、現代では生み出すことができないだろう。

 調べたいし、叶うならば欲しい。

 だが、彼らは強い。とてつもなく、強い。それこそ──雷天断章ラミエルでは勝つことができない程に!


「決まっているよ」


 僕は呟き、雷天断章を消した。

 騎士の動きを止め、二人に確実な安全を提供する。この二つを叶えるための方法は、既に僕の手元にあったんだ。なら、それを使うだけ。


「セレル様、もしかして──」


 雷天断章を消滅させたことで何をするのかを察したシオン様が途端に目を輝かせ、興奮気味に両手を胸の前で組んだ。

 それに片目を瞑って返した僕は右手の紋章に魔力を流し──直後、黄金の粒子を纏う魔導書を召喚し、黄金の焔を身に纏った。

 支配する全能感を感じながら、背中に携えた六枚の翼を二・三度羽ばたかせる。

 あぁ、先程まで強敵に感じていた騎士たちが今は、小物に感じてならないよ。

 自分を超える魔力に動きを止めた騎士たちに笑いかけ、僕は呟いた。


「行こうか──暁星王書ルシフェル

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