第8話 蛇の懐
「……なるほど、そういうことか」
聖杯が放つ光に当てられた天井を見て、僕はあの本に書かれていた内容を思い出して納得する。ここに来るまでは理解していなかったけど、清血の儀式を執り行ったことで、ようやく理解したよ。
「一人で納得してないで、説明してもらえるかしら」
「あぁ、ごめん。清血の儀式の後に続く言葉、憶えてる?」
「えっと……確か、蛇の懐だったわよね。その意味はいまいち理解できていないけど。あ、もしかして、その意味がわかったの?」
「まだ、推察に過ぎないけどね」
とは言いながらも、恐らくは確定だと思う。実際、聖杯はそこに向かって光を放出しているわけだし。回りくどいやり方だとは思うけど、確かにこれなら、簡単には知られないかな。
「恐らく、聖杯から伸びる光が示しているのは、天井ではなく屋根裏だ。蛇は暗くて狭い場所を好む生き物だから、昔はよく屋根裏に蛇が住み着いていることがあったんだよ。その空間は完全に住み着いた蛇のテリトリーになるわけだから、蛇の懐と言い表したんだと思う」
「へぇ……でも、屋根裏に何かを隠しているのだとしたら、この教会を調べ上げた時に見つかってしまいそうだけどね。一応、専門家が屋根裏を含めて隅々まで調べ上げたんだし」
確かに、歴史的な建造物となれば一度隅々まで調べられるだろう。あの隠し通路だって、多くの人が知らないだけで、一部の人間には知られているのだし。だけど、そこはこんな儀式をするという過程を踏ませたこともあるし、しっかりと対策が練られているのだろう。
「でも、専門家は屋根裏で何かを見つけることはなかった。となれば、屋根裏に隠された何かは用意されたプロセスを踏まないと見つけることができないようになっている。ということも考えられるね」
「態々回りくどい儀式を設けたのは、そういう理由もあるってことか……。となれば、儀式を完成させた今、光が指し示す屋根裏には私たちが求める何かがあるってことね」
「恐らくは」
ただ、問題は別にある。どうやって屋根裏に入るか、だ。
過去に屋根裏へ足を踏み入れた専門家は、天井の一部を切り取って中に侵入したらしい。その侵入経路は、当然の如く今はしっかりと塞がれている。
どうやって入るべきか……。
「天井の一部に穴をあける……というのは、どうだろう」
「ねぇ、一応この教会は国の重要な宝だってことを失念しているんじゃない?」
「冗談だよ。それにそんな強引な方法を取ったら、音で外にいる兵士にもバレてしまうからね。ただ、そうなると、何処かに入り口があるんじゃ──」
と、そこで気が付いた。
聖杯が放つ光に当てられた天井の一部に、正方形の線が入れられていることに。面積は人が一人通り抜けることができる程。真っ白な石で構築されている天井では、かなりの異彩を放っている。
もしかして……。
「儀式を完成させたことで、屋根裏への道が開けたのか?」
「どうしたの?」
呟きを零した僕にフィオナが尋ねるので、彼女にも天井に浮かび上がった不自然な正方形のことを伝える。
「本当だ。あんなところに……しかも、丁度中央に聖杯の光が当たっているわね」
「儀式を執り行ったら、そこに入り口が出現する仕組みなのかもね。とりあえず、ちょっと調べてくるよ」
空間遊泳で光の当たる天井に近づき、正方形の一部に触れる。すると、一瞬バチッ、と紫電が放電。次いで、触れた箇所は徐々に存在を抹消していき、やがて何もない暗闇の屋根裏へと続く空洞ができあがった。
なるほど、中々面白い仕掛けだ。今の放電は、儀式を執り行った者と天井に触れた者が同一の人物であるかを魔力によって確認したのだろう。そして、同一人物であると確認した場合、屋根裏への道が開かれる。いいね。トレジャーハントにおいて、こういう仕掛けは醍醐味そのもの。少し手を伸ばせば届くところに宝がある、ということを実感させるよ。
道ができたので、すぐに宙に浮いていたフィオナを引き寄せる。
「これが屋根裏への道ってことね。聖杯が放つ光線も、屋根裏の中に入っているというのも、何かの仕掛けがあるのかしら?」
「中に入れば、答えはわかるよ」
光球を出現させ、僕はフィオナの手を取りゆっくりと屋根裏の中へと侵入する。
光に照らされた屋根裏の中は、現代建築の構造とそう変わらないものだった。屋根を支える複雑な木の骨組みに、石と木材の香りが合わさった奇妙な匂い。防虫防湿加工の施された木材は、建築された当時のままの姿を成している。加えて、陽の光が入らないためか、祭壇のあった部屋よりも何度か気温が低く肌寒い。隠し物をするには、うってつけの場所とも言えるだろうね。
落ち着いて周囲を観察していると、不意にフィオナが手を握ってきた。
「隠し通路よりもマシとはいえ……ちょっと苦手ね」
「さっさと探し物を見つけて、帰ろうか」
「そうね。使用人たちには今夜は帰らないと伝えたけど、心配しているだろうし」
「……え」
フィオナの発した言葉に、僕は思わず絶句した。
「え? なに? どうしたの?」
「いや、その……使用人の人たちに、今夜は帰らないとだけ伝えたの?」
「? 勿論、セレルも一緒とは言ったけど」
「うっぷす」
僕は衝動的に、目を伏せ片手で顔を覆った。そうか……そういう言い方しちゃったのか。フィオナ自身は、それが何を意味するのか理解していない様子だけど。
帰ったら絶対に変な勘ぐりされるよ。
「な、何よ。何かまずかった?」
「いや、別にまずくはないよ。実際、僕とフィオナが今晩帰らないというのは間違いじゃないし。ただ、仮にも僕らは年頃の男女で、尚且つ同姓までしている関係。そんな二人が、朝帰りをしたとなれば」
「? …………………ッ!!!!!!」
意味を理解したらしいフィオナは一瞬で顔を沸騰させ、僕の腕に顔をぐりぐりと押し付けた。
「そ、そそそそんなこと一々言わないでよ!!!」
「いや、マジかと思ったからさ。考えてなかった?」
「……考えてない。ああ、帰ったら、そういう目で見られるってことなのよね」
「まぁ、一々口に出して聞いてくることはないと思うけどね」
流石に王族であるフィオナに、そんな下世話なことは聞いてこないだろう。ただ、視線には何か含むものがあるかもしれない。多分、大人になられましたね! みたいな、親が子供成長を喜ぶような視線だとは思うけど。
「……今更気にしてもしょうがないから、目的のものを探そうか」
「そ、そうね。もう、どうしようもないものね」
大きく溜息を吐いたフィオナの頭を撫で着け、再度周囲を注視する。数秒程視線を巡らせ、何か見落としているものはないかと探り続ける。が、特に物らしい物は何も見つからない。
「妙だな。何もないなんて」
「次の文言は、遺骸に道標、だったわよね。今のところこれの意味は全くわからないけど、きっと何かしらの意味があるのよね」
「ひっかけを記載するとは考えられないし、多分──ん?」
と、僕は左斜め上の支柱──聖杯が放つ光線が当たっている部分で目を留めた。
正確には、光線が当たっている箇所のすぐ隣にある、小さな鏡の破片を。こんなところに鏡の破片が? 昔の専門家が持ち込んだものを落としたのか? いや、流石にそんなヘマはしないと思う。彼らは自分の持ち物管理は徹底しているし、そもそもこんなところに鏡の破片を持ち込む意味がわからない。
つまり、あの鏡の破片は意図的に置かれたものであり、あれ自体に何らかの意味を持っていることになる。鏡の使い道……普通に考えれば、自分の顔を確認することだけど……。
「ねぇセレル」
鏡を見つめて長考していると、同様にそれに気が付いたフィオナがぼそりと告げた。
「もしかして、光線が当たっている窪みにあの鏡の破片を嵌め込むんじゃない?」
「ぁ」
言われて、気が付いた。
僕は鏡の破片に気を取られて気づかなかったけど、よく見ると光線が当たっている箇所には奇妙な窪みがあった。それは丁度、あの鏡の破片と同等のサイズをしている。
人間の視野はこんなに広いのに、見えているのは本当に一部分なんだなぁ。
他人事のように思いながら、僕はフィオナの手を引いて鏡の元に歩み寄る。そして──それを手に取り、光線の当たる窪みへと嵌めこんだ。
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