第4話 教会へ
すっかり陽が沈み、無人になった図書館を閉じた午後七時。
明かりを灯した司書室の中で着替え──と言っても、ローブとネクタイを外しただけだが──を済ませ、例の謎が示された本に再度目を通していた。
推測は果たして正しいのかわからないけど、正誤は行けば確かめられる。正解なら素直に喜べばいいし、間違っているのなら再び探せばいい。寧ろ、間違っていた方が長く楽しめるまである。
「何を一人でニヤニヤしているのよ」
パタン、と本を閉じたタイミングで、先程からソファに座って僕の様子を伺っていたフィオナが呆れながら声をかけてきた。彼女の眼前にある机の上には、白い布の袋が置かれている。
そんなにニヤニヤしていたつもりはなかったんだけどな。
「ちょっと楽しみでね」
「ちょっとどころじゃないでしょ。ここ最近では稀に見るくらい、瞳を輝かせているじゃない」
「かもね。で、ちゃんと素材は用意してくれた?」
「集めましたよ。言われた通りにね!」
布袋の中に入っていた物を取り出したフィオナは、次々に机に並べていく。薬包紙に包まれた馬の白い鬣に、小さな瓶に入れられた果実酒、岩塩。
そこまで手に入れるのが難しい代物ではないにしても、ちょっと無茶を言い過ぎたかな。
「ありがとう。今度、何か一つ言うことを聞いてあげるよ」
「二言はないわね?」
「あぁ。フィオナになら、僕は何を差し出しても構わないよ。それにしても、この馬の鬣……」
僕は薬包紙に包まれた馬の鬣を一本手に取り、フィオナに問うた。
「もしかしなくても、リシーナのものを取ってきたのかい?」
「えぇ。丁度ブラッシングをしようと思っていたから、その時に抜けたものを持ってきたのよ。無理矢理引き抜くなんて、できるわけないでしょ?」
「切るとか……」
「折角毛並みを整えているんだから、アンバランスになってしまうじゃない。馬の鬣なら抜け毛だろうとなんでもいいでしょ? 大丈夫よ、あの子は手入れを欠かしていないし、綺麗だから」
……まぁ、問題ないか。触媒の質が影響するのかはわからないけど、きっと大丈夫だろう。
ちなみに、リシーナとは王宮の馬小屋で飼われている白馬で、フィオナが自ら世話をしている彼女の愛馬だ。とても人懐っこく、顔を合わせれば僕にも甘えてくれる、とても可愛い馬なんだ。性別は牝。欠点をあげるとすれば、甘えたがりで中々離れてくれないことかな。そこが愛らしい部分でもあるんだけど。
「今度、彼女の好きなリンゴでも持って行ってあげようかな」
「そうしてあげて。あの子も、貴方に会いたがっていると思うし。それで……本当に行くの?」
言って、フィオナは不安そうに僕を見上げた。
彼女の心配も理解できるけど、僕はやめる気などさらさらない。
「当然。素材も準備してもらったことだし。不安?」
「不安よ。出かけた先で家の鍵をかけたか憶えていない時くらい、不安」
「よっぽどだね……あと、君王宮に住んでいるんだからそんな時ないだろ」
「あるわよ。私の部屋にある秘密の箱が空いているんじゃないか、って思う時がね。冷や汗を掻くわ」
「その箱の中身が気になるところではあるけど……まぁ、今はよしとしよう。話が長くなりそうだ」
無理矢理話を中断し、フィオナが机の上に出した儀式に用いる素材を袋の中に戻しながら、僕は彼女に訴えかける。
「僕はどうしても、この本に隠された謎を解き明かしたいんだ。だから、どんな言葉をかけられても、止まらないよ」
「……取り返しのつかないことになるかもしれないわよ?」
「それはそうなった時に考えるよ」
「……もう」
フィオナは盛大に溜息を吐いた。
僕に意思を曲げる気がないことは、最初からわかっていたんだろう。付き合いも長いし、僕が結構意固地な性格をしていることも知っているだろうから。
「これは、あれね。小さい子が後先考えずに悪戯を決行するのと同じね。どれだけ危険性を伝えても、駄目だと言っても聞かない駄々っ子と一緒」
「おっと僕を幼児と一緒にしたのか」
「同じよ、同じ。冒険心のある男の子なんて、幾つになっても変わらないんだから。で、そんな男の子の傍にいようとする女の子ができることと言ったら、一緒に悪戯をすることくらいでしょ。だって、言っても聞かないんだから」
「いや、悪戯は周囲の大人を頼るとかあると思うけど……いや、この場合頼れる人なんて誰もいないか」
「二人しか知らないんだからね。一人で行かせるなんて、余計に不安で出来っこないし」
立ち上がったフィオナは僕が手に持っていた袋を取り、空いていた手で握り拳を作って僕の胸に当てた。
「だからまぁ、今回は付き合ってあげる」
「……ありがとう、フィオナ」
「いいえ。その代わり、何でも言うこと聞いてあげるってやつ、二つに増やして。流石に割にあわないから」
「それは勿論、二つどころか三つにしてもいいくらいだよ」
「決まりね。でも、本当に見つからないようにしてよ?」
「安心しなよ」
二人並んで司書室を出て、裏口から図書館の外に出る。
僕はすぐにフィオナを横抱きにかかえ、召喚した
目的地は、南方の街テテン。その中心にあるエリシアード教会。
その道順を思い浮かべながら、家々の屋根を駆ける足を速めた。
◇
目的の街──テテンに到着したのは、およそ一時間半後のことだった。
街を模る建物の多くは白い石造りで年季の入ったものばかり。その大半は築三百年を超え、今も多くの人々がそこで暮らし、生活を営んでいる。
教会を中心に造られた街というだけあり、街全体が神聖な雰囲気を漂わせている。
そんな王都とは一風変わった雰囲気の街の中心──街のシンボルであるエリシアード教会の傍に造られた広場で、僕とフィオナは並んでベンチに座っていた。当然紫電は霧散させ、雷天断章も消している。
「思ったより、警備が手厚い」
「そうね」
夜の散歩を楽しむ恋人のように振舞いつつ、教会の扉の前に立つ兵士を注視する。彼以外にも、教会周辺を歩く者が複数人おり、彼らに見つからずに中に侵入するのは至難の業だ。
「考えてみれば、あの教会には価値のある遺物や像が多く保管されているんだもの。警備が手厚いのは当然よ」
「まぁ、多少人数は多かったけど、ここまでは想定通りだよ」
「っ」
そこで、フィオナが突然僕を軽く睨んだ。
「さ、さっきから妙に距離が近くない?」
「仕方ないだろ? 僕らの会話を他の人に聞かれるわけにはいかないし。それに──」
緊張からか、身体を微かに強張らせているフィオナに対して悪戯心が湧き上がってきた。自分から身体を寄せる時は平気なくせに、僕から行くと固まってしまうんだよね、フィオナは。
そんな彼女をからかうのは、僕の楽しみでもある。
「周囲を見てごらんよ。カップルが何組もいるだろ? 彼ら彼女らと同じようにしていれば、僕らが教会に入ろうとしている、と察知されずに済むんだ」
「周囲と同じように……って」
フィオナが周囲を見回したタイミングは悪かったようで、左斜め後方で腕を組んでいた男女が、情熱的なキスをする光景が目に映ってしまった。流石にあそこまでのことをする気は……っていうか、凄いな。街中でそこまで大胆にするんだ。羞恥心とかないのかな……。
と、思わず呆れながら凝視している時、フィオナが僕の唇を見つめて固まっていた。顔を赤くし、喉を鳴らし、胸の内で葛藤しているらしい。
大変魅力的なことではあるけど、それはまだ早い。
僕はフィオナの頬を指先で軽く押した。
「っ!?」
「僕らには早い。それに、あそこまですると逆に目立つ」
「わ、わかってるわよ! ただ、その、目に入っただけで……」
恥ずかしそうに視線を逸らすフィオナは、本当に可愛らしい。見ていて飽きないし、傍にいるだけでこんなに面白い人はそうそういないんじゃないかな。
このまま見ていたいところだけど、残念ながら今日やることは決まっている。
「フィオナ、ちょっと移動するよ」
「移動って、何処に?」
立ち上がり、歩き出した僕に慌てて追従するフィオナ。
何処に行くって? そんなの、決まってる。
「勿論──抜け穴だよ」
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