第26話 天球倍書

 ガラスの砕けた窓から飛び降り、派手に登場したベフトは僕の隣へと降り立った。いつも通り、シルクハットを両肩に装着した奇妙な格好だが、その顔には静かな怒りを滲ませている。


「一先ず壁を作ったが……詳しい状況を説明してほしい」

「見ればわかると思いますが」

「わからない。特に、あの名状しがたい化け物はなんだ」


 壁の向こう側にいる魔人の正体を、僕は一言で告げる。


「ベメス教諭です」

「……なんだと?」


 流石に驚きを隠し切れないらしく、ベフトは目を見開いて壁を凝視している。まぁ、魔人書に関しては秘匿事項なので、彼が知らないのは当然だ。

 いや、例え知っていたとしても、学校の関係者が化け物になるとは思わないだろう。


「謹慎中に、何があった? 自責の念に押しつぶされて、自らを改造してしまったのか?」

「違います。はぁ、流石に話していいよね? フィオナ」

「えぇ。寧ろ、話さなくては駄目よ」


 シオン様たちに施していた風の防御結界を解除したフィオナがこちらに歩み寄り、魔人書について話す許可を出す。王族である彼女の許可が出た以上、もう隠しておく必要はない。


「少し前になりますが、僕はあれと同種の存在と戦いました。魔法士の心臓と魔導書を供物として捧げることで、自らを魔人に変化させたんです」

「魔人とは、大層な名前をつけられたものだな。しかし、なるほどな」


 ビシッ、と黒い壁に亀裂が走った音が鳴り響いた。


「私の壁に亀裂を入れる程の力とは、中々にやる」

「今回は心臓と魔導書を二つずつ捧げたようですからね。確か、ベメス教諭らの魔導書は主天書でしたか」

「うちの教員に座天書以上の魔導書を持つ者はいないからな──溶解炎岩ラフィアス


 ベフトが魔法名を呟き、右手を突き出した瞬間、黒い壁は炎と熱を発する溶岩へと変化し、魔人のゲル状物質と正面から衝突。

 高熱と炎を纏う溶岩に包み込まれたそれは、徐々に気化し体積を減少させていった。これだけみれば、こちらの優勢。しかし、実際に魔法を行使しているベフトは全く手ごたえを感じていなかった。


「強いな。本体まで溶岩を押し流すことができない」

「智天書の貴方でも押し込めないの?」

「いや、できるにはできるが……私の火山義書アカトリエルは少々威力が強すぎるのだ。流石に演習場を消滅させるわけにはいかんだろう」

「そうですね。ここには僕たち以外にも、まだ未熟な子たちがいますから」


 いつも僕たちに弄られているから凄さがわからないと思うが、ベフトは王国トップクラスの魔法士の一人なのだ。

 智天書──火山義書と契約し、高熱と炎を持つ溶岩を武器として戦うスタイルをしている。過去に挙げた多大な戦果から、「破壊の魔法士」とも呼ばれていた。僕はその心を破壊したわけだけど。

 

「ベフト、溶岩で魔人を外に出すことはできますか?」

「無論できなくはないが……演習場の壁の大半を溶かすことになる」

「また建て直せばいいでしょう」

「何をするつもりだ?」

「当然、魔人を倒すんですよ。僕とフィオナの二人で」


 それだけで、フィオナは何をするのかを理解したようだ。

 嬉しそうに口元を綻ばせ、やる気十分と言った様子で天球倍書を抱きしめる。


「あれをやるのね。確かに、あれは建物の中では使えないし、外に出る必要があるわ。それに……」

「彼女たちを護る役目を務める人がいる」


 二人で戦っている最中、シオン様たちに手を出されては守り切れないからね。


「ベフトには、魔人を演習場の外に追い出し、シオン様たちを護ってもらいます。ご安心を、すぐに終わらせますので」

「了解したが、学校への存在は最低限に抑えてほしい──炎岩大波エンテル


 魔人を抑え込んでいた溶岩が一気に体積を増し、圧倒的な質量で魔人を護るゲル状物質ごと演習場の外へと押し流した。

 高熱と炎で演習場の壁は溶解し、地面に向かって落下していく。

 黒煙が上がる中、僕は足に雷を纏わせ、フィオナを横抱きに抱えて外へと脱出した。


「シオンたちは学校長が護ってくれているし、次は全力で使うことができるわよ!」


 気合十分に意気込むフィオナを抱えた僕は石畳に着地。彼女を優しく下ろし、雷天断章をパタンと閉じた。


「勿論全力だ。でも、エラリアを使ったら、フィオナはしばらく動けなくなる」

「わかってる。だから、これは一発勝負。だけど、セレルは絶対に外さないでしょう?」

「勿論」


 外に押し出された魔人がゲル状物質の中で立ち上がり、同じく外にいる僕らに視線を向けた。その表情、目、姿はもはや人間とは形容できない。魔人……怪物そのものだ。

 涎を口から零す様子は、飢餓状態の獣と言ってもいいだろう。不相応な力を手にした代償なのか、人間を辞めてまで力を求めるのはアトスと同じらしい。


「ア……アアアア……」

「喋ることもできなくなっているらしい」

「汚いわね、涎くらい自分で拭いなさいよ」

「無茶を言わない。ほら、やるよ?」


 促すと、フィオナは僕の手を握り、天球倍書ガルガリエル雷天断章ラミエルに触れさせた。

 その瞬間、フィオナの身体を淡い紫色の光が包み込み、それは細い管を伸ばし、僕の身体に繋がった。


「天球倍書──保援増幅・Ⅴ」


 今、僕とフィオナは魔力的に繋がった。

 天球倍書の真骨頂であるこの力は、全員に対して効力を発揮するわけではない。魔導書自身が、フィオナ自身が心の底から信頼していなければ十分な力は発揮できないのである。

 湧き上がる充足感に満たされながら、僕は自分の身長と同じ程の長さを持つ、雷の槍を生成。激しい放電を繰り返すそれを、右手でしっかりと握った。

 槍先を魔人──その心臓部に向け、狙いを定める。

 アトスの前例を見る限り、魔人は致命傷を与えようとも再生し、決して死ぬことがない無敵の存在に見えた。

 だけど、改めて考えれば無敵はありえない。どんな攻撃を与えようとも再生してしまうのなら、今頃あの魔人は全世界に蔓延り、一部の地域を支配しているはずだから。

 

「あの力の源とも言える場所は、必ずある。それは、恐らく──」


 先程、瘴気を放出させていた奴の心臓部。正確には、人間とは違い右寄りの胸部。

 力の源ともいえる赤い瘴気が大量に放出された場所を攻撃すれば……賭けに近いが、確信は得ている。


雷投槍レムバン


 紫電を大放電させながら、僕は鋭利な雷の槍を魔人の心臓に向けて投擲。フィオナによって強化された槍は、魔人を覆っていたゲル状物質をものともせずに貫通。

 雷と同じ速度で宙を切り、瞬きを一度した時には既に目標地点に到達。パキン、と甲高い音を響かせて深々と魔人の心臓部に突き刺さった槍は、その場に留まり放電を繰り返す。

 だが、


「……」


 魔人はその場に膝を着くこともなければ、身動ぎ一つしない。ただ茫然と、槍の刺さった胸を見ている。

 やがて、魔人は胸部に突き刺さった槍を抜こうと手を伸ばした──瞬間。


 天から極大の雷が落下し、魔人に向かって降り注いだ。


 いや、もはや雷ではなく光線に近い。十数秒が経過しても光線は収まることはなく、魔人のいた地点を焼き続ける。

 断末魔は、ない。


「フィオナに強化してもらっているからだけど……オーバーキルが過ぎたかもしれない」


 視界を白く染める光線を見ながら、僕は頬を引き攣らせた。

 雷投槍が演習場内では使えない理由が、これだ。

 雷の槍自体も貫通力を考えればかなりの威力はある。だが、この槍は後に降り注ぐ極大の雷を落とす場所を決めるもの。目の前の惨状を見れば……外で使わなければならない理由は一目瞭然。演習場内で使えば、間違いなく建物が倒壊する。

 更に十数秒が経過した頃、光線は鳴りを潜めた。

 後には魔人の姿はどこにもなく、ゲル状物質も徐々に気化して消滅していく。あるのは……地下深くまで穿たれた、巨大な穴だけ。

 うわぁ、これ、絶対ベフトに怒られるなぁ……。でもまぁ、魔人を倒すためだし、しょうがない──うッ。


「ッ、……参った、な」


 心臓が締め付けられるような痛みに襲われ、一拍を置いて、口の端から血が零れた。

 天球倍書は他者の魔法を増強するが、魔法を使う魔法士のアレコアに干渉し、魔力生成能力を強化する作用がある。その後、アレコアである心臓に無理な負担がかかり、魔法の使用後には反動として強烈な痛みに襲われるのだ。具体的には、その場にのたうち回ってしまいたい衝動に駆られる程の痛みだ。

 けど、そんなことはしない。

 今は、疲れ切ったフィオナを介抱してあげないといけないからね。


「お疲れ様、王女様」

「……」


 聞こえていない労いの言葉をかけ、僕はフィオナの頭を撫で続ける。

 こちらに向かってくる、数人の足音を聞きながら。

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