第25話 二人の相性

 ガラス片が直撃し、血が流れている額を乱暴に拭いながら、僕は後方にいる少女たちの様子を確認する。

 よかった、彼女たちに怪我はないらしい。大変マヌケな話だけど、僕は前回も同じような場面に出くわしておきながら、全く反省を生かすことができなかったからね。これで彼女たちが怪我でもしていようものなら……自責の念に堪えられない。

 と、フィオナが血の流れる僕の額に手を当てた。


「一先ず、軽症でよかったわ」

「飛び散ったガラス片が風の防御壁を突き破ってきたんだ。失明しなくてよかった──」

「でも! 私の前ではなるべく血を流さないで!」

「善処するよ。御免」


 フィオナが手を離した時には、額に感じていた鋭い痛みは完全に消えていた。

 流石に、絶対に怪我をしないとは言い切れない。だから、善処するとしか言えないかな。でも、フィオナを悲しませるのは僕も嫌だから、彼女の不安顔や涙を見ることがないように、最善の努力をするよ。

 僕は雷天断章ラミエルを片手に、小声でフィオナに耳打ちする。

 当然、あの怪物の対処法について。


「恐らく、あれは雷天断章では勝てないよ。前回の反省を踏まえれば、心臓と魔導書を一つずつだけでも手強かった。だけど、今回はそれよりも多いんだ」

「……何が言いたいの? って聞くまでもないわね」


 フィオナはちらりと、背後の三人を見た。

 シオン様は別だが、シセラとリーロがいる状況では、流石に使えないのはわかっているけど……。


「もしもの時は、命には代えられないかなって」

暁星王書ルシフェルは駄目よ? 以前は誰もいない古城だったからよかったけど、ここは生徒も教員も多くいる学校なの。誰が何処で見ているかわからないし、学校長は確実に異質な魔力を感知するわ」

「それは、わかっているけど……」


 もしもそうなった場合、変質した魔人を倒すことは簡単だ。罪の天秤アストライヤーを使わずとも、神信焔ゼラフだけで焼き尽くすことができる。その後のことは……まぁ、大問題になるだろう。


「けど、僕は未来を担う若き魔法士の卵を、こんなところで無駄に死なせるわけにはいかない。それに、これは王国の危機でもある。僕の未来を犠牲にしても──」

「何度も言わせないで!」


 僕の両頬を掴んだフィオナは、はっきりとした口調で告げた。


「私にとっての一番は貴方なの。王国が危険になろうと、他の子たちが皆消えようとも、貴方だけは絶対に守り抜く。セレルの身も心も、未来も、全て」

「……ありがとう」


 フィオナの真っ直ぐな気持ちは、本当に嬉しいし、元気づけられる。

 勿論、僕の中でも、優先順位は常にフィオナが一番だ。だけど、だからと言って他を簡単に捨てられるわけではないんだ──演習場の壁が破壊され、紅いジェル状の物体を纏った魔人がこちらに向かってくる。


「気体を液体に……いや、ゲル状物質に変化させたみたいだ。あれに飲まれれば、命はないだろうね」

「気持ち悪い姿ね……シオン、シセラ、リーロ!」


 フィオナは三人の元に歩み寄った。


「貴女たちは、もう少し下がって、ここでジッとしていなさい」

「そんな、私たちも──」

「シオン、自分の力を過信し過ぎよ。あんな化け物の相手……魔法士の卵である貴女たちにできるわけがないでしょう?」


 即座に制されたシオン様は悔しさに歯噛みする。

 彼女には、前回は僕を助けられたから今回も、という気持ちがあったのだろう。だが、はっきり言って前回はまぐれだ。偶々、彼女の水天慈章サキエルが力を貸してくれただけに過ぎない。土壇場ではあるが、今回も無事に発動するかはわからないのだ。


「それで、フィオナ様はどうするっすか?」

「ここに防御壁を構築して、貴女たちを護りながらセレルを援護するわ」

「それは、あまりにも無茶では──」

 

 攻撃と防御を同時にやることは、実際不可能に近い。全く違う系統の魔法式を同時に構築、展開することは、脳一つでは処理が追いつかないからだ。

 だが、フィオナが言っている援護とは、何も一緒に攻性魔法をぶち込む、ということではない。


「言っておくけど、私の天球倍書ガルガリエルは本来サポート用なのよ? だから、安心して──」

「フィオナッ!」


 魔人がゲル状物質を八つ首の大蛇に変化させ、一斉に僕らへと向けて襲わせる。口腔を開いた蛇は先ほどの紅い瘴気を吐き出しており、明らかに吸ってはならない類のものだろう。

 僕は雷天断章に魔力を込めて式を展開。加えて、フィオナも僕に手を伸ばし、魔法を叫んだ。


「天球倍書──保援増幅レキレルベル

「雷天断章──雷鳴天偽鳥ガルザドーラ


 極限まで魔力を込めた巨大な雷の鳥が八羽出現。しかしそれは、以前アトスに向けて放ったものとは桁違いの大きさと威力を持っていた。轟音を轟かせる雷鳴は演習場内に響き渡り、雷の鳥の翼が羽ばたくと同時に凄まじい放電が起きる。


「やっぱり、援護があると凄いな……」

「当然でしょ!」


 僕の呟きに、少女たちを風の防御壁で護りながら返すフィオナ。どうしてこの雷鳴の中聞こえるのか、不思議に思うよ。

 雷の鳥は八つ首の大蛇と衝突し、凄まじい雷鳴と赤い瘴気を噴出させる。

 一体あの蛇は何系統なのかはわからないが、雷との相性は悪いようだ。その証拠に、魔力抵抗増幅作用によって両者の大きさが半分以上も小さくなっている。

 いや、僅かに大蛇の方が大きい。


「これでも威力不足か」

「私はまだまだいけるわよ!!」

「駄目だ。防御結界を展開したままだと、天球倍書の固有能力はⅡまでしか使えないだろう」

「う……そうだけど」


 わざとらしくそっぽを向くフィオナから目を離し、僕は先ほどの攻撃で分裂した小さな蛇を雷で消滅させていく。

 座天書スローンである天球倍書の固有能力は、保援増幅レキレル。使用者が決定した他の魔法士と魔力を連結させ、その魔法士が用いる魔法を増強するという、支援に特化した能力だ。

 通常増幅幅は五段階にわかれているのだが、当然上位に行くほど消費魔力は大きくなる。しかも、これらは他に魔法を使用していない状態での話。今のように他の魔法を行使している状態だと、二段階までしか増強することができないのだ。


「アアアアアアアア────ッ!!!!」

「──ッ」


 蛇を相殺されたことに怒ったのか、魔人は身体から更に瘴気を噴出させ、それをゲル状物質へと変化させる。

 あの瘴気は一体何なんだ? 身体──奴の心臓部から放出されたように見えた。アトスのように、多彩な魔法を使ってくるわけでもなければ、大胆な戦法を繰り出すわけでもない。

 もしかして、魔導書と心臓を二つ取り込んだ代償で、思考能力が著しく低下しているのか?


「いや、そんな思考は必要ないってか……」


 魔人が出現させたゲル状物質は膨大で、まるで巨大な波が押し寄せてきていると錯覚してしまう程。

 そりゃあ、それだけの質量があれば、思考なんて必要ないよな。圧倒的な量の暴力で押しつぶせばいいんだから。しかも厄介なことに、魔人はあのゲルに全身を覆われているので、今の僕では雷を届かせることができない。

 このままでは、あのゲルに押し潰される。


「セレル、どうするッ!?」


 流石にフィオナにはあれをどうにかする術が思いつかないようで、僕に指示を求めるが……どうしようか。

 フィオナのサポートを借りて雷脚を用いて、一気にここを脱出するか? いや、流石に僕でも四人を一度に運ぶことはできない。ならば、あのゲルの大波を相殺する?  いや、無理だ。量が多すぎて、とても雷天断章では消し去ることはできないだろう。

 となれば……もう、覚悟を決めるしかない。

 僕は雷天断章を消し、左手を眼前に突き出した。


「セレルッ!? 待って!!!」

「君たちの命には代えられないだろっ!!!」

「でもッ!」


 僕は心臓の心拍が急激に上昇するのを実感しながら、禁断の熾天書を召喚しようと魔力を込めた──瞬間。


『──待たせたッ!!!』


 演習場内にそんな声が響き渡り、突然出現した熱を持つ黒い壁によって、押し寄せていたゲル状の大波は防がれた。

 全く、タイミングいいんだか、悪いんだか……。

 僕は確かな安堵を覚えながら、声が聞こえた方へ叫び返した。


「遅いですよ、ベフトッ!」

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