第24話 演習場内の様子

「大丈夫かしら……」


 セレルが奇妙な魔力を探知し、確認してくると言い残して演習場を出て行ってから数分。私は彼が出て行った扉を見つめながら、天球倍書ガルガリエルを胸に抱きしめていた。

 当然セレルが暁星王書ルシフェルを使わなくても強いことはわかっているし、誰かに負けるようなことはないとも信じている。

 でも……胸騒ぎがする。

 何か、よくないことが起こるような気がしてならない。


「ちょっと心配ね……」

「セレル様のことですか? フィオナ様」


 ベンチでセレルに言われたことを復習していたシオンが傍に歩いてきて、私と同じ方角を見据え始めた。独り言だったのに、聞こえていたようね。別に聞かれても問題はないけど。


「えぇ。ここ最近は変なことが立て続けに起きているし、セレルが変な魔力を探知した時は大抵碌なことがなかったから」

「……私も嫌な予感がしているんです。理由はわからないんですけど、何だか胸騒ぎがするというか」

「シオン、女の勘は当たるのよ。理由付けなんていらないわ」

「で、では、今すぐに追いかけた方が──」

「それは得策ではないわ」

 

 シオンの焦った声を遮り、彼女に説明する。


「学校長がここに到着するまで、まだ少し時間がかかる。今私がここを離れたら、まだ魔法士として未熟な貴女たちだけを残すことになってしまう。その間に、ここに危険な人が来たら誰が貴女たちを守るの?」

「それは……」

「いい? セレルに教えを受けて成長しているとはいえ、貴女たちはまだ子供なの。一人前の魔法士として認められている私たちが、護ってあげなきゃいけない子たちってことを自覚しなさい。大丈夫よ、きっとセレルは──」


 と、言い聞かせている時、シオンが今までに見たことがない程不安そうに顔を歪め、ぐっと水天慈章サキエルを胸に抱いていることに気が付いた。


「シオン?」

「でも……セレル様がボロボロに傷ついているところを、私は間近で見たんです。どんなに凄い人でも絶対に大丈夫とは言えない。それに、条件が──」

「──ッ」


 その可能性に気づいていなかったことに、私は息を飲む。……いや、違う。気づいていなかったんじゃない。最悪の事態を考えることを、放棄していただけだ。

 シオンが言う条件とは、セレルが暁星王書ルシフェルを召喚するための条件のことだろう。即ち、雷天断章ラミエルでは勝つことができない、と魔導書自身が判断した時。

 言葉ではシンプルに聞こえるが、この条件を満たすには、雷天断章では勝つことができない相手と対峙しなければならないということ。下手をすれば……暁星王書を召喚する前に死んでしまう可能性もある。


「あの時も、水天慈章が力を貸してくれなかったら、セレル様は──」


 瞬間。


「ッ、皆!!!」


 私が咄嗟に風の防御壁を構築した瞬間、何かが叫ぶ声が響き渡り、演習場の窓ガラスが砕け散った。

 頭上から降り注ぐガラス片を一つも残さず吹き飛ばし、私はすぐにシオンを連れ添ってベンチに座っていたシセラとリーロの安全を確認する。見た所、怪我はしていない様子だ。


「怪我はないわね?」

「は、はい! びっくりしましたけど……」

「一体何があった……って言われても、わかんないっすよね。けど、明らかに普通じゃないっすよ。多分、学校中の窓ガラスが砕け散ってるっす」

「? そんなことがわかるんですか?」


 耳を澄ませただけのリーロにシオンが不思議そうに問うと、彼女は照れくさそうに説明。


「セレル先生がやってる電磁網の簡易版っす。魔力じゃなくて、空気を振動させる音を微弱な雷で感知して集音してるだけなんで、そこまで難しくないんすよ。最近、セレル先生に教えてもらいました」

「電磁網は普通の人がやると脳の回路が焼き切れるから、それを教えたのね」

「そんなものをセレル先生は使っているのですか?」

「だから、異常なのよ。そこが凄く魅力的なところでもあるんだけどね」

「皆さん! 今は談笑している場合では──」

「そうね。今は、セレルの無事を確認しないと」


 誰も怪我をしていなかったことに、少し安心してしまった。緊急事態なことに変わりはないし、警戒はしておかないと。念のため、風の防御壁は展開したままで。

 

「あの、セレル先生は今、外に出ているんですよね?」

「えぇ。シセラも話は聞いていたでしょ?」

「は、はい。で、その……私、咄嗟に今の叫びの発生地点を逆探知したんですけど……」


 シセラは瞳に不安を宿し、俯きながら言った。


「近くに、セレル先生が……」

「……驚いたわね、どうしてセレルの居場所が?」

「別に変な意味はないんですけど……先生がここを離れる直前に、微風を起こして私の魔力を微かに足に纏わせたんです。数分で消える程度の、弱いものですけど」

「シセラが着実にストーカー技術を身に着けていることに恐怖を覚えたっす」

「シセラさん、一線だけは越えないようにしてくださいね? いや、もう結構線を踏みつけている状態だとは思いますけど……」

「ひ、酷いです皆さん! 私はただ……セレル先生が何処にいるのかを把握しておいた方が安心できると思って!」

「「立派なストーカーです(っす)」」


 学生組(一応私も学生だけど)が緊張感を無くしているのに呆れつつも、少しばかり安堵する。錯乱して騒がれたりしたら、こっちまで冷静さを欠いてしまうから、こっちの方が幾分かはマシ。もう少し緊張感を持ってほしいと、思わなくもないけど。


「一先ず、学校長とセレルが来るのを待つわよ。念のため、全員魔導書を召喚……してあるわね。いつでも身を護ることができるように準備はしておきなさい」

「「「はい!」」」

「よろしい。さて、どっちが先に来るかしら」


 セレルがガラスを砕いた叫び声の発生地点にいたというなら、恐らく原因は探知したという奇妙な魔力の持ち主。つまり、害意のある人物が学校内に紛れ込んでいたということになる。学校の警備は一体どうなっているの? 生徒を危険に巻き込むような穴だらけの警備をしていることを、学校長に問いたださないと──ん?


「赤い……煙?」


 ガラスが砕け散った窓から見えたのは、上へと立ち込める赤い煙のようなもの。方角的に、叫びがあった場所だと思う。絶対に吸ってはならないことを示しているかのような色であり、時折、火山雷のようにバチバチと紫色の雷が迸っている。


「あれは、何ですか?」

「わからない。けど、あの雷は──」


 と、その時。

 空洞になっていた窓枠をすり抜けるようにして、演習場内に何かが侵入。それは放物線を描きながら何度も宙で回転を繰り返し、地面にぶつかる直前に体制を整え、摩擦でブレーキをかけながら鮮やかに着地した。

 柔らかな微風と、微かな紫電を身に纏って。


「クソッ、情報不足過ぎたな……」


 ゆっくりと立ち上がったその人は、額から溢れる血を乱暴に拭い、眼鏡を外してケースに仕舞いながら悪態を吐いていた。

 あぁ、良かった。多少の怪我はしているけど、愚痴を零すことができるくらいには元気だということが、確認できて。

 私は風の防御壁を維持しつつ、立ち込めている赤い煙を見据える、彼の元に駆け寄った。


「無事だったのね、セレル」

「僕はね。けど、学校は無事じゃないみたいだ。この惨状、ベフトが見たら大泣きするんじゃないかな?」

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