第11話 夜と悩み

夜。

国王陛下から住むように強制……もとい命令された屋敷の書斎で、僕はハーブティーを片手に雷天断章ラミエルを顕現させていた。

本の表面から微かに滲む紫色のオーラ。淡く輝く僕の魔導書は、蝋燭だけで照らされた薄暗い室内でも存在感を放つ。


今は食後で、入浴も済ませた後の時間。

同棲することになったフィオナは自室に籠っているし、騒がしく忙しい毎日の中でも貴重な一人の時間。誰かに気を遣うこともなく、疲れた身体を休めることができている。誰かと一緒にいる時間も好きだけれど、一人でいる時間もいいものだ。


その貴重な時間を謳歌している最中、雷天断章を召喚したのは、僕が近頃思っていることを整理するためだ。


「本当に、能天書パワーズでよかったのか」


ティーカップを置き、僕は一人呟く。

この雷天断章は、通常の魔導書とは違う。僕が契約を交わしている本当の魔導書──最高位階熾天書セラフィムの位階を持つ暁星王書ルシフェルが持つ固有能力の一部を分け与え、僕が自ら作りだしたものだ。

僕が熾天書を持つ『天神』であると周囲に知られないために。

それ自体は間違いではないし、熾天書を隠すことは正解だと思っている。僕が少々思い悩んでいるのは、位階についてだ。


「……失敗、だったのか──」

「何がよ」

「──っ」


突然響いた声に、僕は驚いて肩を震わせ、雷天断章から手を離す。

宙に浮いたままの魔導書から視線を外して机の方を見ると、僕の顔を覗き込むようにこちらを見ているフィオナの姿が。

微かに纏われていた魔力が消滅したことから察するに、音を消して入室してきたようだ。電磁網でもわからなかったのは、単に僕が集中していなかったからだろうね。


「フィオナ、心臓に悪いからノックを……というか音を立てて入って来てくれ」

「音を立てたら、どんな時でも入っていいのね?」

「そういうわけじゃないけど、言ったところで入ってくるだろうからこれ以上は言わないよ。何の用?」

「用がないと来たらいけないの? 一緒に暮らしている仲なのに」

「そういうわけじゃないけど……」

「ふふ、意地悪はこのへんにして──何を悩んでいるの?」


真面目な表情に変わったフィオナは、誤魔化すのは許さないと真っ直ぐに僕を見据える。悩んでいる素振りなんて一切見せていなかったはずだけど、この子は何かを察したみたいだ。

フィオナに隠し事はしないと決めているし、話すとしよう。


「雷天断章の位階について、少し悩んでいたんだ」

「セレルが位階を気にするなんて、らしくないわね。いつもは位階に関係なく強くなれる、って言ってるのに」

「その考え自体はおかしくないよ。ただ、今回のことがあると、どうしても考えてしまうんだ。雷天断章を、もっと高位の位階にするべきだったんじゃないかってね」


その気になれば、僕は智天書でさえ作ることができたんだ。暁星王書ルシフェルの力をもっと強く分け与えていれば、高位の魔導書が出来上がる。

たった一つの固有能力で智天書以上の力があるというのに、それを幾つも保有している。それが、熾天書を最高位たらしめる由縁でもある。


「あまり高位の魔導書を持っていると騒がれると思ったんだけど、もっと高位の魔導書にしていれば、シセラやリーロがあんな目に遭うこともなかったんじゃないかな。智天書まではいかなくとも、座天使スローン主天書ドミニオンにしておけば」

「魔法士はどうしても魔導書の位階で上下関係を構築するからね。セレルの考えもわからないでもないわ。自分が高位の魔導書を持っていれば、あの馬鹿教師共ともいざこざを起こさなかったと」

「どれだけ言っても現実は変わらないけど、トラブル続きの今ではそう思わなくもないんだよ」

「なるほどね。セレル」


なに? と言おう口を開きかけた時、フィオナは僕の両頬を挟みこみ、顔を近づけ至近距離で視線を合わせた。

時折見せる、慈愛に満ちた優しい表情だ。


「一人で思い悩まなくていいの。貴方の雷天断章ラミエルが能天書で、馬鹿教師たちより位階が低くたって、関係ないわ。貴方には位階の差をひっくり返す知恵と戦術がある。それに、条件付きとはいえ、貴方は魔法士の頂点に立つ存在なんだから」

「……」

「それに、例え貴方が高位の魔導書を持っていたとしても、馬鹿教師共は変わらない。寧ろ、唯一セレルに勝っている部分が消えて、もっと陰湿なことをしたかもしれないわね。勿論、位階が上なだけで、実力は下の下だけど」

「そう、かな」

「そうよ。だから、一人で色々と抱え込まない。何かあったら、私が助けてあげるから」

「優しいね、君は」

「悩んでいる貴方に向ける優しさなら、幾らでもあるわよ。最近は魔人書に関しても、色々と警戒してくれているし。疲れてるでしょ?」


僕のかけていた眼鏡を取り、彼女は自分に装着。いつもより知的に見える。

新鮮な眼鏡姿のフィオナに、僕はハーブティーを注いだティーカップを彼女に手渡す。先程お湯を注いだばかりなので、まだ十分に熱い。


「疲れている、のかな。シオン様の病気を探すために大量の本を読んでいた時の方が疲れたから、あんまり実感がないや」

「あの時の疲れは異常だから、あれを基準にしたらダメよ。しっかりと休んで、ご飯食べて、寝ること。わかった?」

「護衛は休む時間がないんだよ」

「どうせ危険が迫ってきたら眠っていても起きるでしょう? しかも、味方でさえ震えあがるような殺気を発しながら」

「寝起きっていうのは警戒心が跳ねあがるからね。冷静に理性を失うんだ」

「頼もしい限りじゃない。とにかく、少なくとも今は危険が迫っているわけでもないし、馬鹿教師共の件も学校長に任せればいいし、明日は図書館も閉館日。せめて今日くらいはゆっくりしなさい」

「うん。シオン様が習得するべき魔法を纏めたら眠るよ」

「今すぐ寝るのよ!」


フィオナは強引に僕の腕を引っ張り、書斎を出る。途中すれ違った使用人に「書斎のカップを片付けておいて」と言い、寝室に入った。同時に、僕をベッドの上に放り投げ、上から毛布を被せる。完全に寝かせる気だね。


「まだ寝るには早い時間だと思うんだけど」

「うるさい。ゆっくり休んで、明日は買い物に行くわよ。リフレッシュも必要なんだから」

「わ、わかったよ。でも、何を買うんだい?」

「色々よ。色々」


誤魔化し、フィオナは蝋燭の灯りを消して僕の隣に寝転がった。

一緒に寝る気満々のようだ。いつもは隣にあるもう一つのベッドで眠っているだけど。


「自分のベッドに行きなよ」

「いいでしょ、今日くらい。人肌恋しい気分なの」

「仮にも王女なんだから──ん?」


僕の手を握っていたフィオナから、微かに魔力が流れ込んでくる。決して不快な感覚ではなく、寧ろ、身体の芯に蓄積していた疲労が取れていくような感じ。

なるほど、一緒に寝るのはそのためか。よく見たら、フィオナの傍には天球倍書ガルガリエルが微かに輝いている。


「ありがとう。疲れを取ろうとしてくれて」

「一週間頑張ったご褒美よ。一晩中発動しておくから、いつもより疲労は回復すると思うわ」

「フィオナは辛いんじゃない? 明日起きたら、魔力切れでフラフラになっているかもしれないよ」

「その時はセレルが看病してくれるでしょう? 問題ないわ」

「買い物に行くんじゃなかったの?」

「それはそれ。これはこれよ」

「理由になってないよ……」

「うるさいわね。こうなったら──」


ぎゅっと強く手が握られたと思うと、すぐに眠気が襲って来た。

疲労回復魔法と睡眠誘導魔法を使うとは……でも、嫌じゃない。寧ろ心地いい。

なるほど確かに、疲れは溜まっていたようだ。なら、彼女の好意に甘えて、今日はこのまま休むとしよう。


「おやすみ、フィオナ」

「えぇ。おやすみセレル。良い夢を──」


短い言葉を交わした直後、僕は目を閉じ眠りの世界へと旅立った。

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