第1話 王女と二人
翌日。
いつも通り図書館にて、僕は多くの仕事に忙殺されていた。必要な書類を通常の数倍の速度で片付け、尚且つ一部魔法を行使しながら慌ただしく、しかし確実に業務をこなしていく。集中力の他に少しとはいえ魔力も使うので、普段以上に疲れはするけど。
国王陛下との謁見を一週間後に控えているので、今の内から可能な限り仕事を終わらせておきたいんだ。別に一日空くだけなので、それほど大きく予定がずれるわけではない。けど、国王陛下から何か厄介なことをお願いされたときのことを考えて、こうして行動に移しているわけだ。ちょっと遺跡の調査してきてくれない? みたいなことを平気で言う人だからね、あの王様。
そんなこんなで忙しくも順調に仕事を終わらせ、一息つこうと司書室に入って、僕は一度固まった。うん、誰だってこんな反応をすると思う。
「なんでいるの?」
司書室のソファの上に、何故か当たり前のようにフィオナが座り、勝手に紅茶を飲んでいた。その隣には、護衛で竜人族の女性であるルーナさんの姿が。貴女も護衛なら止めてくださいよ。何を当たり前のようにフィオナの傍に立ってるんですか。
「あら、何処に居ようと私の自由でしょ?」
「だとしても、ここに来るなら事前に連絡くらい欲しいんだけど。ルーナさんも、護衛なら勝手に動き回る王女殿下に一言注意をお願いしたいです」
「私はフィオナ様の護衛ですので。彼女の行くところが、私の行くところです」
「……まぁ、いいですけど」
フィオナの対面のソファに座り、僕は身体を弛緩させて脱力。
あぁ、まだ昼過ぎなのに、結構疲れたな。
「ちょっと頑張りすぎじゃない?」
「陛下との謁見があるし、それまでに揃えておきたい資料もあるしさ」
「魔人書に関することね。正直言って、私は貴方から教えてもらうまで聞いたことのない代物だったんだけど。何処で知ったの?」
「禁書室に魔人書について記された書物が一冊だけあるんだ。とはいっても、記されている頁は十数頁だけ。結構印象的だったから、よく憶えてる」
絶対にこんな儀式は行いたくないとも思ったね。
あれは人間が足を踏み入れてはいけない領域だよ。アトスは文字通り、魔人のような存在になってしまったわけだし。
「人の枠から外れてまで、力を追い求めると身を滅ぼす。目の前にして、良く実感したよ」
「それでも貴方には──ルーナ。少し席を外してもらえる?」
「? 何故──」
怪訝そうにするルーナさんに、フィオナは視線を向けることなく淡々と告げる。
「ここから先の話は、機密事項に多く触れるわ。これは、国王陛下から直々にお達しを受けていることなの。私を含めた、特定の人物以外には話してはならないというね」
「……了解しました」
渋々と言った様子で、ルーナさんは頷き司書室の扉──裏口方面──へと向かう。
フィオナが言ったことは嘘ではない。魔人書に関することは関係者以外に話してはいけないということになっているし、彼女が陛下から通告を受けていることも事実。だけど、今回はそれ以上の秘密事項に触れる
ドアノブに手をかけたルーナさんは一度振り向き、僕を見据えた。
「セレル様。私がいないからといって、くれぐれも──」
「大丈夫よ。彼は紳士だし、そんなことする度胸もないから」
「──安易にフィオナ様に襲われることのないように」
「なんで私が襲うことを前提にしてるのよッ!! 普通逆でしょ!!」
フィオナの抗議を完全に無視して僕はルーナさんに一度頷き、それを確認した彼女は静かに扉を閉めて退室していった。
流石に大丈夫。僕にそんな気がないように、フィオナにも僕を強引にどうこうしようとする度胸があるわけないから。やったら大問題だよ。
「まったくルーナは……何よ」
「ありがとう。気を遣ってくれて」
「当然でしょ? 流石に、貴方の魔導書のことをルーナに聞かせるわけにはいかないし──
フィオナは片手を上げ、自らの魔導書を召喚した。
僕の雷天断章とは明らかに違う、文庫本程度の大きさである小さな魔導書。微かに緑色の瘴気を放つそれは、フィオナが持つ
僕は貴族の知り合いが多いので高位の魔導書を目にする機会が多いけど、本来座天書も滅多に見れるものじゃないんだよね。
「一応、外部に私たちの声が漏れないようにしたわ。外のルーナに聞かれることもない」
「悪いね」
「いいのよ。それで、魔人書がどういう代物なのか、詳しく教えてくれる? 報告書では、アトスという男が持っていたものに関する報告しかなかったわよ」
「そうだね。じゃあ、簡単に噛み砕いて」
先ほど用意した紅茶を一度啜り、話す。
「魔人書は、太古の戦時下で生み出された産物だよ。術者の持つ魔導書よりも高位の魔導書と、人間の心臓を供物として捧げ、融合させることで作られる。
完成した魔人書の強さは、供物とした魔導書の位階の少し下くらいかな。どうやら、魔人書にも位階があるらしい。確かに強くはなるけど、意識を乗っ取られる可能性が高い」
「まともに扱える代物ではないということね」
「勿論、全員が書物に呑まれるわけじゃない。でも、作り方といい性能といい、手にしない方がいいのは間違いないよ」
魔導書と魔法士はあくまでも対等な関係だ。
一方的に服従させられるような書物には手を出さない方が吉。けど、その危険性を理解した上でも力が欲しいと求める者は多いだろう。魔法士は強さを求める生き物でもあるからね。
「強さを求める、となると、低位の魔導書を持つ魔法士が飛びつきそうね。己の強さに劣等感を抱いている人も多いだろうし、全員が全員、セレルみたいに持ち前の魔力と工夫で位階の差を覆すような強さはないから」
「やっぱり、このことについては公にしない方がいい。死人が出るよ、確実に」
強さを求める魔法士たちが共に殺し合いをするなんてことになれば、国中がパニックになってしまう。それに、互いに互いを牽制しあって、治安が悪化するかもしれない。
現状維持で、関係者にしかこのことを知らされないようにするのが賢明だね。
と、フィオナは笑みを浮かべて僕をみやった。
「強さを求めるなんて、セレルには関係のない話ね」
「どうして?」
「だって、魔人書を作るには自分の持つ魔導書よりも高位のものがいるんでしょ? なら、
「そうだね。そもそも魔人書が欲しいとも思わないけど」
「同感」
強くなるためには近道なんてないんだ。
地道に知識や経験を増やし、少しずつ強くなるしかないんだから。
「そういえば、アトスが持っていた魔人書はどうしたの?」
「あるけど、取り出すには
罪の天秤によって門の中に引きずり込んだものは、僕の意思で取り出すことができる。但し、命のないもの限定。門に閉じ込められた亡者たちは、対象の敵と一緒に掴めるものを全て掴んでしまうので、結構色々な物が入ってる。昔は人体実験を繰り返していた魔法士の研究室となっていた屋敷を丸ごと引きずり込んでしまったこともある。止めるべきだったけど、別にいいやということでそのままやってしまった。後にフィオナにしこたま怒られたね。許してもらえたけど。
「そう。じゃあ、仕方ないわね。また今度にしましょう」
「そうだね。流石に図書館の中でやるわけにはいかないし」
「もっと人のいない、二人きりの時に、ね」
何処か色っぽく言うフィオナ。
なんでそんな言い方をするのかはわからないけど、とにかく肯定するしかない。他に人がいる建物内では、危険な真似はできない。
「さて、そろそろ仕事に──ん?」
腰を持ち上げて立ち上がった時、不意に図書館側の扉が叩かれ、僕が返事をしない内に勢いよく開け放たれた。
次いで、二人の少女が室内に入り、その内の一人──淡い水色の長髪をした少女が、涙目になりながら僕へと走り、勢いよく胸元に抱き着いた。
「セレル先生ッ!!」
「し、シセラ? どうしたんだ?」
半泣きになりながら顔を押し当てる少女は、返事を返すこともない。
この子が普段こういう姿を見せることはないんだけど……とにかく、何かあったみたいだね。
次から次へと問題は湧いて出て来るな。なんて思いながら、もう一人の赤髪の少女に手招きをしてこちらに呼んだ。
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