王女殿下の憂鬱
プロローグ
新学期を翌日に控えた晴天の日。
僕はベルナール公爵の屋敷内にある庭園にやってきていた。手入れが行き届いた素晴らしい景観と花開いたばかりの綺麗な花弁が彩る花壇は、この場でお茶でもしたくなる。噴水の傍で羽を休めている数羽の小鳥たちは並んでこちらに視線を送っており、まるで催し物の見学者みたい。
いや、見学者であることはあながち間違いでもないか。
小鳥たちの視線の先では、栗色の髪を後ろで一つに縛った一人の少女が、とても真剣な様子で魔導書を片手に魔力を練り上げている。
その周囲には、ティーカップ一杯分の水の塊が幾つも浮遊している。
「意識を全て魔法に向けて……感覚を研ぎ澄ませる」
僕の教えたコツを呟く少女──シオン=ベルナール様は、他の何ものにも意識を向けず、素晴らしい集中力で周囲の水へと魔力を伝えた。
ここまでは順調。あとは、最後の最後まで意識を研ぎ澄ませたまま、且つ緊張しすぎずにいられるかどうかだ。
少し心配を胸に抱きながら僕が見守る中、シオン様は右手を前方に掲げ──。
「
魔法を発動。
周囲の水は一拍空けた後に霧状へと変化し、陽光を反射してキラキラと瞬く。うん、上出来だ。
白い水蒸気となったそれが風に乗って虚空に消えていく様を見届けた僕は、集中しすぎて疲れた様子のシオン様の元へと歩み寄った。
「お疲れ様です。お見事でした」
「あ、ありがとうございます。けど……まだまだ粗削りですね。一つのことに集中しないと発動できませんし、時間もかかります」
「最初はそんなものですよ。寧ろ、一週間足らずで僕の支援なしに魔法を発動できたことに称賛するくらいです。残り一日にして、課題はクリアですね」
「え? でも、完璧には……」
「僕が課したのは、完璧に発動できるようにしろ、ということだけです。どれだけ時間がかかろうが、意識を割こうが、一人で発動することができればそれでいい。ですので、僕の課した課題は合格ですよ。よく頑張りましたね」
優しく頭を撫でつけると、シオン様は嬉しそうに魔導書を抱きしめる。
うん。大したものだ。僅か一週間というあり得ない程の難しい課題を、ギリギリとはいえこなすことができるなんて。正直僕も無理を言った自覚があったので、まさかやれるとは。
魔法士と名乗るにはまだまだ実力も知識も経験も足りないけど、将来有望なことは間違いない。いずれは、王国最強格の魔法士になれるかもしれない。エゼルと同格の魔法士は、ほんの一握りしかいないし、楽しみだ。
と、シオン様が少し視線を逸らし、若干頬を赤く染めた。
「その、セレル様。課題をクリアすることができたので、その……ご褒美の権利をいただくことが、できるのですよね?」
「えぇ。と言っても、僕にできることだけ、ですが」
流石に今すぐ上級魔法を教えてくれ、なんてことはできないけど、ある程度のことならやってあげるつもりだ。
シオン様くらいの歳の女の子なら、可愛い装飾品が欲しいとか?
あんまり高いのは無理だけど、出来る限り努力はしないとなぁ。
「あの、ですね……」
「大したものね、シオン。魔導書の力を十全に掌握した後が楽しみだわ」
シオン様の言葉を遮る声が聞こえ、僕は背後に視線を転じる。
何でこのタイミングなのかはわからないけど、言い終えるのを待ってあげればいいものを……。
シオン様は一度溜息を吐き、淡い紫色を含んだ白髪を揺らす僕と同い年の少女に苦言を呈した。
「……なんでいるんですか。フィオナ様」
「セレルと一緒に来た時に出迎えてくれたじゃない……。今日はセレルに用事があったから、そのままついてきただけって説明もしたわよね?」
「覚えていません」
「ちょっと性格変わりすぎじゃない? セレル、何をしたの?」
「何もしてないよ。強気でいられることは、魔法士としてはいい傾向だね」
「はい!」
弱気でいるとなめられるし。お前には絶対勝てるっていう自信がある方が、魔法の発動も安定するんだよ。魔法士としていい性格になってきたね、シオン様は。
「……まぁ、いいわ。それより、一週間で一人で発動できるようになるなんて、大したものだわ。後でベルナール公爵にも見せてあげなさい。飛ぶように喜ぶわよ、あの人」
「はい。早く、御父様に見せたいですけど……まだ、御父様は陛下との謁見があるので」
「そうね。ちょっと最近物騒になっているし、それ関連のことでしょうね」
二週間ほど前にあった、魔人書の事件。
国の新たな脅威になり得る可能性があり、その問題は見過ごすことはできないだろう。警備の強化や、国家間の連携のために、数日前から陛下は貴族たちを集めて会議を繰り返しているということだ。勿論、陛下の信頼を受けている家に限るけど。グランツ伯爵のような例もあるし、貴族とはいえ安心はできないんだ。
「しかも今回は座天書の位階を持つ魔導書まで失われているし、事は重大なのよ。魔導書の損失は国力の低下に直結するから、このことを知る上層部もかなり心配しているみたい」
「低位の魔導書ならともかく、高位の魔導書は代替が効かないからね。今回だって、下手をすれば数少ない智天書が消えていた可能性もあったんだ。流石に対策をしておかないと今後に響く」
高位の魔導書を狙って再び誰かが動き出したら……そう考えると、まだまだ脅威が去ったとは言えない。少なくとも、アトスの言動からして、裏に何か大きな存在が隠れているのは確かだ。先人と同じになるとか、そうとしか思えない。
「一番狙われるとしたら、まだ未熟で高位の魔導書を持っている存在よ。シオン、貴女は一刻も早く魔法を上達させて、自分の身は自分で守れるようになりなさい。目標としては、宮廷魔法士第一部隊隊長のエゼルくらいかしら」
「そうだね。彼と同等になれば、敵も早々近づいてこない。まぁ、流石にあのレベルになるには実戦を幾つも重ねないといけないけど」
「が、頑張ります」
僕らからの期待を寄せられ、少し縮こまった様子のシオン様。
最終的な目標だから、そこまで焦らなくてもいい。一人前になるよう、僕もサポートしていくからね。
「それで、フィオナ。話っていうのは何なんだい?」
「あ、そうだった」
と、フィオナは一枚の書状を取り出した。
「御父様──国王陛下からよ。一週間後の日没時に、王宮の宮廷司書室に来てほしいって。何か頼み事があるって言っていたけど、詳しくはわからないわ」
「頼み事、ね」
受け取った書状を見ると、確かに国王陛下の印が押されている。
けど、文の最後に「頼むわ」と書くのはどうなの? 気さくなのは好感が持てるけど、大臣に見られたら怒られるんじゃ……。
「頼み事って……十中八九今回の魔人書に関わることだろうね」
「でしょうね。このタイミングだし、何より仕留めた張本人だから。現場に立ち会った人物として、参考意見を聞きたいんでしょう」
「うん。まぁ、話せることは全て話すよ。無理なこともあるけどね」
「よろしい」
それが何を示しているのか、流石にわかるだろう。
この場には僕の魔導書──
陛下ですら、このことは知らない。
「まぁ、了解したよ。一週間後、ね。図書館を早めに閉めるとしよう」
「お願いね。時間になったら迎えに行くわ」
「うん。わかったよ。それと、シオン様。ご褒美を聞きそびれましたね。何がいいですか?」
フィオナに遮られてうやむやになっていたけど、何かを言いかけていたようだし、決まってはいるんだろう。
今度はちゃんと聞くから、と構えているが、シオン様は少し考えてから首を横に振った。
「いえ、まだにしておきます。いずれ、ここぞという時にお願いすることにしますね」
「何を要求されるか怖いですけど、わかりました」
「ねぇ、そのことについては異論があるんだけど」
後ろから僕の頬に手を添えたフィオナが冷たいを笑みを浮かべながら囁く。
あぁ、うん。嫉妬するのはわかるけど、せめて二人の時にしてほしいな。
すぐにシオン様も口喧嘩(?)に参加し、白熱した議論の末シオン様に軍配があがるという結果で幕を閉じた。
負けたからって憂さ晴らしに僕の背中を殴る癖は直そう。と、何度目かわからない提案をしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます