第31話 裁定

「ルシ、フェル? なんだ、その姿はぁ……」


シオン様が生み出した渦の効力が消え、中から姿を現したアトスは僕の姿を見るなり訝し気な声を上げた。


「人間じゃ、ねぇ」

「君に言われるのは心外だけどね。少なくとも、君よりは人間味があると思うよ。翼を携えているけど、そんなグロテスクな肌の色もしてないし。それより、かかってこないのかい? この暁星王書ルシフェルは、君が欲していたシオン様の魔導書を超える代物だ。手に入れば、君は更に強くなれると思うんだけど」

「智天書よりも、上の魔導書だと? ……まさかッ!!!」


理解したアトスは血相を変えて魔導書を凝視する。

開けっ放しの口からは涎が垂れ、己の欲を隠す素振りもない。まぁ、そうだろうね。あれだけ強さを求めていたんだから、これを見て手に入れたいと思わないわけがない。


熾天書セラフィムの魔導書ッ!!! 馬鹿な、世界で六つしか確認されていないはずッ!!」

「とある古代の文献には、熾天書は全部で七つあると明記されている。つまり、僕は残る一つと契約を交わしたということさ。で──」


腕を組み、アトスを挑発するように嘲笑う。


「どうだい? 散々低位階だと馬鹿にしていた相手が、実は最高位階の魔導書を持つ人間だった。位階を絶対視していたのなら、勝ち目がないことくらいわかるだろう?」

「け、ケヘへへ……」


肩を震わせて笑い声を上げたアトス。

この期に及んで笑うだけの余裕があるとは。いや、状況が理解できていないだけか?

首を傾げていると、アトスは身を屈め、両手に爆炎を生み出し飛びかかってきた。


「寄越せえぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

「はぁ」


短絡的な行動に、思わずため息が出る。

魔人書に侵食されたのは、頭もだったようだね。

確かに、両手に生み出した爆炎の威力は申し分ない。先ほどまでの満身創痍な状態だったなら、僕もその一撃で身体を消滅させていたことだろう。

炎系統の中でも、最上級といって差し支えない。


けど、今の僕にはそんなもの通用しないよ。


神信焔ゼラフ


呟き、拳を合わせると、背中の六翼が一度はためき、僕の身体は黄金の焔で包まれた。

この焔は、アトスの熱量だけに重きを置いた赤い炎とはわけが違う。神への信仰心で燃える、聖なる黄金の焔はあらゆるものを焼き尽くし、燃やした全てを灰へと変えていく。

加えてこの焔は、僕が悪だと断定した者に対して、絶大な威力を発揮するのだ。


「ぐ──ギィアアアアアアァアアッ!!!!??」


神滅の焔はアトスの炎を侵食し、同種の黄金色へと塗り替えていく。

その焔に触れた彼を焼き尽くさんと、神信焔は腕をどんどん呑みこんでいく。

焦ったアトスは自身の両腕を触手で切断することによって難を逃れ、同時に後方へと跳躍。荒い呼吸を吐き、血走った目を向ける。


「この焔は、あらゆる炎を黄金の焔へと作り変え、同化させる力もあるんだよ。これは全ての熾天書が持っている、通常能力。魔人書を持つ君によく効くみたいだね。それだけ、君を悪だと焔自身が認識したということさ」

「う、腕が戻らねぇ、だと」

「当然、消滅させた腕が元に戻ることはないだろう。このまま焔で消滅させてあげてもいいけど……君は罪を重ね過ぎた」


僕が一言命じれば、神滅の焔は速やかにアトスの身体を焼きつくすことだろう。その名の通り、魂すらこの世界に残ることはない。

けど、消滅させてしまうなんて、甘すぎると思うんだ。シオン様に苦しい思いをさせ、剰え刃を立てる。呪詛魔法を扱い悪事を働いたことも、殺害したレベスの遺体を喰らったこともそうだ。

例え神が許したとしても、僕は絶対に許さない。こう見えて、かなり頭に来ているんだよ。


だから、死よりも辛い神罰を下す。


罪の天秤アストライアー


僕の眼前に、黄金の天秤が出現。

金の光沢を持つ支柱の左右に乗せられた皿には、二つのものが乗せられていた。

一つは、闇を圧縮したかのような黒い玉。丁度、色合い的には魔人書が放つ瘴気と同等だろう。禍々しく、如何にも悪意に満ちた色だ。

そしてもう一つの皿には──一枚の鳥の羽。


天秤は数度の傾きを繰り返した後、黒い玉の方が下がり、重いということを示す。

一見すれば、ただお互いの重さを計っただけ。

しかし、僕の罪の天秤アストライアーにおけるこの事象は、一つの判決を意味する。

即ち──。


「──有罪ギルティ


判決を言い渡した瞬間──アトスの背後に巨大な門が出現した。

扉には幾つもの天使や悪魔が模られ、天井部には眼前にあるそれと同じ天秤が。

振り返ったアトスは、呆然とその門を見上げる。


「な、んだ──」

「有罪判決が下されたよ、アトス。君の罪はこの鳥の羽よりも重いことが証明された。よって、神の審判に従い、君には死ぬ方が断然マシな程の神罰を受けてもらうことになる」

「有、罪?」

「あぁ。まぁ、簡単に言えば──」


ビッと親指を下に向け、最高にいい笑顔を作って告げる。


「君は──地獄行きだ」


大きな音を立てて門が開き、その中から無数の亡者たちが手を伸ばし、アトスの身体を掴んでいく。何百という腕に捕まれたアトスは咄嗟に触手で攻撃しようとするも、その触手すらも掴まれ、門の中へと引き摺りこまれていく。


「アガガアアアアアアァッ!!!!」

「抵抗しても無駄だよ。その亡者たちは掴んだ者の魔力を吸収し、抵抗力を奪う能力を持っている。そして、一度掴んだものは引きずり込むまで決して離さない」

「ど、何処へ──ッ!!」

「悪いがそれは僕にもわからない。門の向こうは完全なる地獄だ。死ぬこともできないし、中がどうなっているのかもわからない。ただ、まともな場所ではないということは保証してあげるよ。せいぜい、苦しんで罪を償い続けてくれ。永遠にね」


断末魔を叫ばせる間もなくバタンッ!! と扉は閉じ、出現した門は粒子となって虚空に消えた。

訪れるのは静寂と、天井の破片が水面に落ちる音だけ。

巨大な門も天秤も、悍ましい姿をしたアトスも既にいない。


決着は、あまりにもあっさりと終わってしまった。


熾天書の力の一部を見せただけで、簡単に彼は消えてしまった。

いや、そもそも熾天書に対抗できるのは同格の熾天書だけなんだけどね。堕天すると少しだけ強くなるみたいだけど、誤差の範囲だ。

最初から暁星王書を使っていれば秒殺できたんだろうけど、それはできなかったからね。

さて、そろそろ成り行きを見続け、僕に説明を求めているお嬢様の元へ行こうか。


「シオン様、もう大丈夫です。早く公爵様の元へ帰りましょうか」

「……熾天書」


会話は当然聞かれていたわけで、彼女は僕の持つ魔導書の位階についてもわかっている。目の前で力を見せたし、そもそも誤魔化すつもりはない。

どうせ、もう誤魔化し何てできないし。

でも、一応念押し。


「今の力のことは、どうかご内密にしていただけませんか? 知られると、かなり面倒なことになりますので」

「は、はい! 誰にも言いません!」

「よろしい」


言質が取れたので、シオン様に僕が持つ魔導書について説明する。


「僕が契約した魔導書は、この暁星王書ルシフェルです。位階は最高位である熾天書セラフィム。最強の魔導書と言われる七つの内の一つですね。同時に、公にはなっていませんが、僕は世界で七番目の『天神』ということになります」


熾天書を持つ者は例外なく『天神』という称号を与えられる。

他の何者をも追随させない絶対的な力と、六枚の翼を携えた姿。神にも等しい存在ということで、この名がつけられたらしい。

本来『天神』には、どれだけの地位や権力を持つ者であろうと無下な態度を取ることは許されないのだけど……僕は知られてないから例外だ。グランツ伯爵なんて、知ったら発狂するかもしれないね。


「普段使われている、雷天断章ラミエルは……」

「あれは暁星王書の力の一部を宿した魔導書です。雷天断章自体とは契約を交わしていません。能天書程度の力に留めているのは、権能の一つを与えてしまうと、それだけで智天書レベルの魔導書になってしまうからです。司書をやるだけなら、そこまで大きな力はいりません。目立ちますし。あ。それとですね──」


一番肝心なことを言い忘れていた。

多分シオン様は内心で「そんな力があるなら最初から使いなさいよ!」と思われたかもしれないけど、それができない理由があったんだ。

他者に知られてはならないっていうこともあるんだけど、もっと根本的に、この力を使うには厳しい条件がいる。


「暁星王書は、雷天断章で勝てない強敵が現れた時にしか使うことができないという制約があるんです。その分、絶大的な力を持ってはいますが、少し扱いずらいところもありまして」

「自由に使える、というわけでもないんですね」

「そうなります。はぁ、フィオナのお説教が今から恐ろしいですが……いつまでもここにいるわけにもいきませんし」


座り込んでいるシオン様を横抱きに抱え、背中の翼を広げた。


「帰りましょうか。もうすぐ夜明けになりますし、流石に疲れましたからね」

「──はい」


返事の後、シオン様はすぐに気絶するように眠ってしまった。

精神的にも肉体的にも、疲労で限界が来ていたのだろう。

僕も泥のように眠りたい気分だけど、ここで寝るわけにもいかないし、もう一頑張りだ。


飛び立ち地上へ出ると、明け方を告げるように、東の空は白み始めていた。

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