第30話 智天書

雷を凌ぎ切った直後、反射光鏡レグルスは音を立てて砕け散り、僕は後方の壁──シオン様のすぐ真横に吹き飛ばされ、先ほどのアトスと同様に壁に亀裂を作り、床に頽れた。


「カフッ」


吐いた息に血が混じり、吐血。

参ったな、骨が肺に突き刺さっているのかもしれない。ここまでボロボロになるつもりはなかったんだけど……両腕に視線を落とす。

酷い有様だ。強烈な負荷に耐えきれなかったローブが破れ、見える肌は痛々しい程に亀裂が入り、割れた肌からは止め処なく流血している。メガネもレンズにひびが入ったし……。

これからは、最小限の威力で敵を倒せるようにしないと。


「セレル様、ああ、こんなに血が……ッ」

「シオン様、僕は大丈夫ですので──」

「大丈夫なわけないじゃないですかッ!!!」


言葉を遮られ、シオン様のは自身の踝辺りまであったスカートを膝上まで破り、止血しようとしてくれる。

だけど、流石に湧水のように流れる血を塞ぐ叶わず、彼女は悔しそうに歯噛みする。そんな顔をしなくても、心配してくれるだけでありがたいのにな。

アトスが近づいてくる。


「ひ、瀕死みたいだなぁぁ。そんな有様じゃぁ、俺には勝てないぞ??」


首の触手を機嫌良さそうに振り回しながら来る奴の足取りは遅い。ゆっくり来ても、確実に仕留められると煽っているのか??

いやまぁ、今の僕の有様を見ればそう思うのは仕方ないと思うけど。


「さぁ、さぁ、早く貴様を殺して、智天書ケルビムをぉぉぉ」

「いかれてるなぁ。あんなの、世に出したら大変な──ッ」


再び吐血。

しかも、さっきよりも出血量が多い。あんまり喋らない方がよさそうだけど、そういうわけにもいかない。

それに、確実にあいつをここで葬っておかないと……このまま王都にでも行こうものなら、どれだけの犠牲が出るか。

けど、その前に。


「シオン様。今から貴女一人を外に逃がします」

「そんな──」

「上を見てください」


階層の天井には、先ほどの雷で大きな孔が開いており、星の瞬く夜空が見えている。自分の魔法をそのまま返されただけなんだけど、凄い威力だ。


「風魔法で貴女を飛ばせば、脱出ができます。そして、東に向かって走ってください。時間はかかりますが、王都に戻ることができますから」

「セレル様は、どうするのですか?」

「あれを倒してから、すぐに追いかけます。大丈夫、僕のことは心配しなくて──」

「無理に決まっているじゃないですかッ!!!」


叫んだシオン様の瞳には、涙が滲んでいた。


「そんな傷だらけの身体で、立ち上がることもままならないような貴方を放って一人で逃げることなんて、絶対にできません!!」

「いや、最悪僕のことはいい。貴女一人が助かれば、それで」

「自己犠牲はやめてください。そんな……目の前で貴方を見捨てて私一人だけが助かるなんて……嫌です」


僕の腕を押さえながらポロポロと泣くシオン様。

流石に、ここまで泣かれてしまうと彼女だけを逃がすのは気が引ける。けど、彼女がいる前でってなると……フィオナが怒るだろうな。一応許可は取ってあるけど、それでもお叱りを受けるのは絶対だ。


「……わかりました。こうなったら、僕も覚悟を──」

「何をこそこそ話してんだぁッ!!」


いつの間にか付近までやってきていたアトスが、若干怒ったように叫びながら落ちていた天井の破片を僕に向かって投げつけてきた。

咄嗟に風の障壁を生み出し衝撃を緩和するが、魔人書によって強化されたアトスの力で投げられた石のダメージは相殺できず、貫通することはなかったが、深々と僕の胸に突き刺さった。

肺に突き刺さっていた骨が更に深くに刺さる激痛。ポタポタと水面に落ちる血。


「ウ──ッ」

「ヒハ、ハ、このまま、ゆっくりと殺していこうか……」

「はぁ、はぁ……甘いんじゃないかな」


無理矢理を笑みを浮かべて、僕は水につかっていた人差し指をくいっと上方に上げる。途端、バチっという高い音が響き、水面から噴き出すように発生した雷撃がアトスの身体を腹部から真っ二つに両断した。

本来なら臓器を撒き散らし、水面を赤く染めるはず。

だけど、アトスの身体からは赤い鮮血は噴き出さず、代わりに黒々としたタールのようなものが溢れ出る。

魔人書に身体を侵食されている、ということだろうか。いよいよ人間ではなくなっているな。


「アアァ……」


奇妙な呻き声と共に、胴体の切断面を黒い液体が埋めていき、数秒後には元通りに復元されてしまった。尋常ではない再生能力。

魔人書とはその名の通り、書物を手にした人間を魔人に変えてしまう代物なのかもしれないな。


「貴、様アアアアアァァァァァッ!!!」


燃え盛る炎を両手に纏い、僕に向けて突進してくるアトス。

灼熱の業火はあっさりと僕の骨まで焼き尽くし、灰と化してしまうだろう。


やるしかないか。


覚悟を決める。

フィオナからのお説教は、甘んじて受けるとしよう。

大きく口を開く彼を見据えながら、僕は手元に雷天断章ラミエルを召喚し、意識を集中させた──その時。



周囲の水が独りでに浮き上がり、僕とアトスの間に巨大な水の壁を創り上げた。



「なん、ダァッ!?」


驚きに動きを止めたアトスに、水の壁は津波のように襲い掛かり、僕から引き剥がす。更に、アトスを流す水は渦を巻き始め、彼をその中心へと追いやり閉じ込めてしまった。

驚いていたのも束の間、今度は僕の身体に水が這い、惨たらしい状態だった身体の傷をみるみる治癒していった。水が通った箇所の傷は綺麗に治り、綺麗な肌を晒している。流石に血は元に戻らないので、血色は悪いままだが。


「これは──」

「この子の力です」


唖然とその光景を見ていた僕は、隣のシオン様が声を上げたのを聞き、そちらに視線を向け、納得した。

なるほど確かに、彼女の力ならこれくらいのことをやってのけても不思議ではない。しかもこの力は……場所によっては、絶大的な力を発揮することになるだろう。それこそ、一人で一軍を相手取ることができるくらいの。



視線を下に落とすシオン様の眼前には、彼女が契約を交わした智天書の魔導書が、光を放ちながら宙に浮いていた。



セレル様が石を投げられ吐血した瞬間、私は強く願った。

彼がこんなになって私を護ってくれているのに、私は何もできずに見ていることしかできない。こんな状況が嫌で、彼の助けになりたくて、少しでも何か役に立ちたくて……右手の紋章に視線を落として、求めた。


セレル様を助ける力が欲しい。

お願い、あなたの力を私に貸して!!


零れ落ちた涙が紋章の上に落ちた時、頭に直接語りかけるように声が聞こえた。

私の知らない。小さな女の子のような声が。


【いいよ。私のシオン】

「え?」


呟いた後も、その声は続く。


【この力は私のものであり、貴女のもの。私と貴女は一心同体。だから──思うままに使って】


声が止んだ瞬間、眼前には私の魔導書が光を発しながら浮いていて……手に取ると、色々な情報が流れてきた。

この魔導書が持つ固有能力や名前など、私がを使う上で必要なものは全て理解できた。


後は……彼女の力を、形にするだけ。

彼女に導かれるままに魔力を込めて、言葉にする。力の名を、彼女の名を。



水天慈章サキエル──断水壁エペト。そして、癒天水マレルダ


アトスを水の渦に閉じ込め、セレル様の傷を癒した時点で、私の身体からは力が抜けた。

慣れない魔力操作に、初めての魔法発動に身体がついていかなかったのだろう。

でも、自分のやれることはやりきることができた。

それだけで、私は──優しく身体が抱き留められた。次いで、頭がそっと撫でられる。あぁ、心地良い。


「お見事です、シオン様。魔導書の力を掌握されたのですね」

「セレル様……もう、魔法の効果が切れます。アトスが……」


水の檻が解除されれば、また魔人書に憑りつかれたアトスが攻撃をしかけてくる。

セレル様の傷は癒したとはいえ、失った血は元に戻っていない。

その状態で、また戦えば、セレル様がどうなるか……。


「大丈夫です。ここから先は、僕の心配ではなくアトスに同情をしてください」

「ど、同情?」

「えぇ。人の身を捨ててまで力を求めた彼ですが……悲しいかな。どれだけ堕ちたところで、には遠く及ばないものなんです」


立ち上がったセレル様は雷天断章を右手に持ち、左手を上に向けて突き出す。

すると、何も描かれていなかった左手の甲に、五芒星が浮かび上がった。

雷天断章の紋章とは明らかに違う。

おかしい。魔導書は一人につき一つしか契約することができないはずなのに──。


「くれぐれも、この力のことはご内密に」


黄金のオーラを放つ魔導書を手にしたセレル様の背には、大きさの異なる六枚の白い翼が顕現しており、その様子はまるで神話に出て来る天使そのもの。

呆然と私がその姿に見惚れている中、彼は人差し指に小さな炎を灯し、呟いた。


「さぁ、裁きを下そうか──暁星王書ルシフェル

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る