第29話 魔人書
「随分と、一瞬で人間離れした姿になったな。本当に魔人になったみたいだ」
「減らず口を叩いていられるのも今の内だぞ? 俺の魔人書は、お前の魔導書とは隔絶された力を持つ──
「暴力??」
なんだ、その位階。
魔導書が持つ九つの位階には、そんなものはなかったはずだけど。
魔人書にも、書物の格によって位階が存在しているのか。
「そうだ。魔人書にも位階が存在し、より高位の位階になるほど強大な力を秘めた魔人書となる。俺の魔人書──
「上から三番目、ねぇ……」
「貴様の魔導書は下から四番目の
アトスが片手を上げると、腕の動きに合わせて背後に数多の炎の槍が出現。穂先を僕に向け、狙いを定め始めた。
「安らかに殺してやる。痛みはない。一瞬で身体ごと蒸発させてやるからな」
「やれるものならッ!」
降り注ぐ炎の槍を雷と風の防御壁でやり過ごし、攻撃に集中しているアトスに向けて雷槍を投擲。バチィっと激しい雷鳴を轟かせながら迫るそれは、間一髪のところで身体を逸らされ回避される。
チッ、魔人書によって身体能力も強化されているのか?
何にせよ、このまま受け続けるのは分が悪い。防御壁を展開したままアトスに向けて走り、水を伝う雷を完璧に制御し、離れた場所にいるシオン様が巻き添えを喰らうことがないようにアトスへと雷を流す。
「む!!」
水面に片手をつけた僕を見て何をするのかを察したアトスは自らの周囲に炎を発生させ、一瞬で足元の水を蒸発、気化させてしまう。
すぐに足場に満ちた水が空いたスペースに押し寄せるが、僕の流した雷は途切れてしまいアトスの身体に到達することはなかった。
チッ、化け物の見た目してるくせに、頭の回る奴だ。
「けど」
防御壁を解除した瞬間、僕の振るった雷の槍はアトスの炎の剣に防がれ、質量のない自然物とは思えない甲高い音を鳴らしながら衝突した。
そのまま、拮抗した状態へ。
「上から三番目と言っても、座天書程の魔力は感じられないね。大体、
「何だと?」
「魔人化でパワーアップすると言っても、劇的に強くなるというわけではないってことだ。座天使を生贄にしたとしても、その力をそのまま引き継ぐことはできない。僕にとっては、その程度のパワーアップは誤差でしかないよ」
「貴様──」
「その証拠に」
雷槍に込める力を徐々に上げて行けば、拮抗していた力関係はひっくり返る。
炎の槍は徐々に押されていき、負けじとアトスが力を込めるが、それでも状況が変わることはない。
「な、なぜ……ッ」
「そんな付け焼刃みたいな力で、洗練された魔法に勝てるわけないだろう。確かに位階は大きな力の差を生むけど、絶対とは限らない。場合によっては
とうとう雷槍が炎の槍を打ち払い、半ばから真っ二つに折る。
驚愕にアトスが目を見開いた一瞬の隙。その好機を見逃さず、僕は彼の右腕を切り飛ばし、雷を纏わせた回し蹴りを胴に叩き込んで壁へと飛ばす。
血を撒き散らしながら水へと落ちた腕に、大きな亀裂を作って壁に凭れ掛かった片腕のないアトス。
雷槍を霧散させて、僕は彼に歩み寄る。
勝負は完全に決まった。いくら魔人書という代物があるとはいえ、片腕の状態に、恐らくだけどあばらも砕けているはず。内臓を揺らされ、強烈な吐き気もあるだろう。万全とは程遠い状態で、立ち上がれる気力も体力もあるはずがない。
「実力差は歴然。君も有体言って死にかけだ。まだ続ける気?」
「こ、んなはずでは……」
「魔人書という代物を過信した君の負けだよ。大人しく投降するなら、殺すようなことは──」
と、そこで気が付いた。
水の中に落下した魔人書が独りでに浮き上がり、禍々しい瘴気を放ちながらアトスへと近づいているのを。
なんだ? まだ何か、特殊な力があるのか?
「ァ──ッ、堕天、炎書」
「!?」
その時聞こえた声は、明らかにアトスのものではなかった。
低く、耳障りの悪い、何か悍ましいものに憑りつかれてしまったかのような、呻き声に似た声。
それを発したアトスは残ったもう片方の腕で魔人書を掴み取る。
途端、彼の切断された腕の肉がボコボコと隆起し、闇のように黒い腕が再生した。
同時に、首からは一本の黒い触手が生えており、風に揺らめく旗のように揺れている。
「ガ、アアァァ」
「魔人書に身体を乗っ取られた、って感じか。自我はもうなさそうだし、これは連れ帰ったとしても──ッ、なんだ?」
突然アトスの首から生えていた触手が凄まじい速度で伸び、上の階層に向かって行った。次いで、轟音を響かせ、液体を撒き散らしながら戻ってきた。
蝋燭に照らされ、その全貌がよく見えると、僕は思わず唖然としてしまった。
触手が掴んでいたのは、レベスの遺体だったのだ。
心臓部に大きな孔が穿たれ、恐怖で引き攣った表情のまま生命活動を終えた姿。
見る者が見れば発狂してしまいそうなものだが、触手はそれを一度宙に投げ──先端に大きな口腔が生まれ、丸呑みにしてしまった。
「死体をッ」
「ハ、アァアァッ」
笑い声にも聞こえる声を震わせたアトスは、魔導書の頁を捲った状態で指を鳴らす。周囲に広がった濃密な魔力は、一体どんな効力を起こすのか。
しかし、数秒が経過しても何かが起こる様子はない。
何をしたんだ?けど、確かに魔力は広がったし、何もしていないということはないはず。
疑念を抱きながら、一度後退しようと一歩足を下げた時、気が付いた。
「動きがッ」
そう。
動きが鈍くなっているのだ。踏み出す足の動作はいつもより遅く、魔法の発動速度もかなり鈍い。幸い意識が鈍ることはないのだけど……なるほど、これが奴の固有魔法か。
「周囲一帯に存在する動く物体の運動を鈍くする。厄介な魔法だよっ!!」
魔法の発動速度も低下している中、僕は全身に雷を纏わせる。
鈍化しているとはいえ、雷を纏っていれば素早く動くことはできるみたいだ。当然、いつものように超高速、とはいかないけど。
「
片手を天に掲げ、発生させた雷から五十を超える雷鳥を顕現させる。
魔人書に憑りつかれて自我を失ってしまった人間なんて、生きて帰らせることはできない。ならばせめて、この場で殺してあげることが慈悲だ。
「堕ちろ」
掲げていた腕を振り下ろすと共に、雷の咆哮を上げながらアトスに向かって一斉に突撃落下。迸る稲妻は、アトスの身体を焼き、完璧な死を与えるほどの威力だ。
鍛え上げられた僕の雷系統魔法と、
直撃すれば智天書を持つ魔法士ですら防ぐことが難しいこの魔法。
何の防御もしていないアトスが防げるわけが……。
「中々、効くなぁ……エ、ハハハ」
「!?」
嘘だろ? あれだけの雷撃を浴びて、生身の人間が生きていられるはずがない。しかも、自我が戻っているのは一体。
耐電魔法を使った……そんな前兆は見られなかった。じゃあ、どうやって。
と、考えた時、気が付いた。
アトスの首から生えた触手が、妙に膨らんでいることを。先ほどまでは人の首程の太さしかなかったのに、今は二倍ほどにまで巨大化している。
僕の雷撃を喰らってからだ。
となれば、推測は容易い。
「僕の魔法を、吸収したのか」
「そのとおぉり。いやぁ、凄まじい魔法だったなぁあ。けど、魔人書と一体化した、俺には効かなかったが……」
人格が変わってしまったような喋り方と、ニタニタと血涙を流しながら笑うその姿。道化師と表現するには明らかに不気味。不快感すら抱かせる。
「どぉする? 貴様の魔法はぁ、もう効かないぞぉ?」
「別に魔法が効かないだけで、攻撃する方法は幾らでもあるからな」
「それは手強い。だけどさぁ……忘れてるだろ?」
「?」
何を? という前に、アトスは僕の背後に視線を向けた。
「今、一人で戦ってるつもりだろうけど、実際のところそうじゃないんだよなぁ。俺には、貴様を封じる手が一つ、ある」
「まさかッ!!?」
嫌な予感がした直後、アトスは触手の口腔を僕の背後に向けて開いた。
そこからは、迸る稲妻が放電している。
まずい。あれは、まずいッ!!
「さっきの魔法、一つに濃縮してお返し、するぜぇ!!
放出される稲妻の奔流。
その狙いは、僕の背後で戦いを見守っていた、シオン様だ。一応耐魔法壁は張ってあったけど、この威力の魔法に耐えられるほどのものではない。
射線上に立った僕は今の僕が作れる最大の反射壁を構築し、両手を構えて雷を受け止める。
「
一瞬後、凄まじい衝撃と共に雷が衝突。
視界が光に染まる中、僕は一心不乱に反射光鏡に魔力を込め続け、雷を逸らし続ける。
防げているとはいえ、ジリジリと後退していく。必死に足に力を込めるが、それでも後退は止まらない。正直、ギリギリだ。かなり際どい。
反射光鏡には亀裂が生まれ、あとどの程度持つかわからない。突き出した両手は圧力に耐えかね血が噴き出す。バキっと大きな音が響くと同時に、激痛。
どうやら骨に皹が入ったようだ。だけど、それでもなお反射光鏡を張るために腕を伸ばす。
こんな、こんなところで、シオン様を死なせてたまるか。
それに、これは逆に好機でもある。なぜなら、今の僕は命の危機を感じている状況だからッ!!!
「セレル様ッ!!!」
足元の水を真っ赤に染めていく僕に、シオン様が悲鳴のような声を上げる。
申し訳ないけど、それに返す余裕はないんだ。
今は……貴女を護ることで精いっぱいだからね。
「く──ああああァァァァァッ!!!!!」
損壊ギリギリの反射光鏡。
雷を防ぐべく、更なる魔力を込め続け──僕の視界は、一際大きな光に染まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます