第27話 目的

「……ここは」


眠りから意識が浮上して目を開いた時、視界に映ったのは私の部屋ではない知らない場所だった。古く錆びついた鉄格子や鎖、亀裂の入った壁と天井。そして──どれほど昔に亡くなってしまったのか、頭部に穴の開いたしゃれこうべが床に転がっている。


こんな場所に来た記憶はない。

少なくとも、私はベッドに入って眠りについたし、自分の足でこんなところに来るなんて、目を覚ましていてもあり得ない。少なくとも一人では。夢遊病というわけでもないし……眠っている間に、誰かに連れ去られたのかな。


「──ッ、そんな感じ見たい」


じゃらっと私の手に装着された枷。

抵抗できないよう、魔法を封じる効果まで付与されているみたい。私の力じゃ引っ張っても外れるわけがないし……ちょっと待って。この状況、少し妙な気がする。


「私が狙われていたのはわかってる。けど。屋敷の中にはセレル様がいたし、彼が常に電磁網を張っていて外部からの侵入は困難。なのに、彼に気づかれることなく私を連れ出すことができるって」


セレル様が倒された?

ううん、それはあり得ない。智天書ケルビムの魔導書を持つ魔法士とさえ互角に戦える彼が、そう簡単に負けるはずがない。まして、屋敷の中だとお父様もいる。じゃあ、どうやって──。


「驚きのようですね、お嬢様」


と、不意に鉄格子の奥にランプの光が灯り、私のいる牢内を照らす。

この声……まさか。


「それは無理もない。ここまで、ほぼ全て私の計画通りに進んでいますからね。誰も私を疑おうとしない。それはあの司書も同様に。おかげで、すんなりと貴女をこの牢に幽閉することができましたよ」

「全部、貴方の仕業だったんですか──アトス」


ランプを片手に牢の中の私を見下ろしているのは、最近公爵家にやってきた使用人であるアトス。いつものように黒髪を自然に流し、灰色の目はいつものように鋭いものではなく、何処か嗜虐心を抱かせているように感じる。スッと細めてはいるものの、鋭さは感じない。

普段の使用人としての姿は、演技だったみたいね。


「えぇ。この状況を見れば一目瞭然でしょう。最も、今更気が付いたところでどうにもなりませんがね。鎖に繋がれ、魔法も行使できない今の貴女は鳥籠の小鳥に等しい」

「私を、どうするつもりなの? そもそも、ここは一体何処?」

「教える必要はない。と、言いたいところですが、そういうわけにもいきませんね。これから行う儀式には、貴女の協力が不可欠ですから」

「儀式?」


首を傾げる。

一体何の儀式なんだろう。でも、碌でもない内容であるということは確か。

容認何て死んでもできないような、きっとそんなことだと思う。


「えぇ、私が尊敬する先人たちしか足を踏み入れていない、それはそれは素晴らしい儀式ですよ。魔法士の価値そのものを上げる、正に究極の儀式です」


パチン、とアトスが一度指を鳴らすと、周囲に置かれていたのであろう蝋燭全てに火が灯り、牢獄のような光景を照らした。

円状になっている階層には幾つもの牢があり、その中の一つ──私の真正面にあった牢の中に目を止めた。

あれは……人、よね? ぐったりとして全く動かないけれど、何処かで……。


「アトス、あれは、何なの?」

「残骸でございます」


何の感情も籠っていない声音で告げた彼は、同じように無感情な視線をそこに向ける。


「必要な物は既に彼からいただきました。残りは全てゴミに等しい」

「彼? いただいた?」

「人間がよくやることですよ、お嬢様。動物を殺し、必要としていた部位を取り、その他の部分はいらないからと捨て置く。その対象が、同じ人間になっただけです。他の人間とやっていることは変わらないのですよ。つまりですね──」


アトスは付近の古びた机に置かれていた物体を手に取った。

彼が握った瞬間、弾力があるように微かに変形し、床に妙な液体を垂らす音を響かせる。

一体何?と思ったけれど、蝋燭の灯りに照らされたそれを見て、私は一目でわかった。実際に見るのは初めてだけど、これが一体何なのか、すぐに理解した。


「……ッ、心臓?」

「その通り」


アトスが頷いた途端、強烈な吐き気がこみあげてきた。

その心臓が一体誰のものなのか。答えは既に出ているけれど……ダメだ。口元を押さえたくても鎖で繋がれているので押さえられない。顔を下に向けてからえずきを繰り返す。


「あれは貴方も御存じの人物──グランツ伯爵の長子であるレベスという男の残骸です。彼を一緒に連れて逃げていたのは、彼の心臓と魔導書を儀式に使うためですよ。最後の慈悲として、殺してから心臓を取ろうと思ったんですが……見るに堪えない程抵抗して泣き喚きまして。少々頭にきたので、生きたまま直接心臓を抉り出しました」


何でもないように言うアトス。

その事実に、私は愕然としてしまう。だって、こんな狂った本性の持ち主が、短い期間とはいえ同じ屋敷の中に居たというのだから。人を実験動物のように扱い、命を道に転がる石ころ同然の扱いする彼が、傍にいたなんて……。


「まぁ、無事に心臓と魔導書を手に入れることができたのでよしとします。これで、強大なへと昇華することができます」


聞き慣れない単語だった。


「知らないのも無理はありませんね。これは先人以外には知られていないことですが……儀式に協力してもらうわけですから、お嬢様には御教えしましょう」


言って、アトスが召喚したのは自身の魔導書。

表紙の中央部分に大きな水晶が埋め込まれた、煌びやかな見た目をしている。


「私の魔導書──天導の書ハシュマルの位階は主天書ドミニオン。低位とは言いませんが、座天書スローン以上の上位三書には到底敵いません。特に、智天書ケルビムともなれば次元が違う」


確かに魔導書の位階は大きな差になってくる。

だけど、セレル様が言っていたように、位階だけが全てじゃない。現にセレル様は能天書パワーズという決して高位ではない魔導書で、智天書と対等に渡り合っている。でも、アトスはそんな考え方はできなかったみたい。


「なので、私は魔導書の位階を上げることにしました。いや、位階を上げるというのも違います。作り変える、と言いましょう。魔導書の上を行く、魔人書という代物に作り変え、強さを手に入れる。そして、私の尊敬する先人たちに近づくのです。そのために──」


すらっとアトスが取り出したのは──鋭利な短剣だった。

何の装飾も施されていないシンプルなもので、炎に照らされる刃はとても鋭く研がれているのがわかる。

人の肌なんて、簡単に切り裂いてしまいそうな程だ。

それを手にし、彼は牢へと近づく。


「貴女にも魔導書を差し出してもらいますよ、シオンお嬢様」

「──ッ」

「高位の魔人書を作るには、より高位の魔導書を贄として捧げる必要があります。本当は熾天書が望ましいですが、あれは手に入る代物ではありませんからね。貴女の智天書が現実的に手に入る最高位のものです」


それを聞けば、わかる。

アトスは、私を殺すつもりだ。私を殺して、契約している魔導書を奪うつもりなんだ。

嫌。嫌だ。死にたくない。

だけど、逃げようにもここは牢で、尚且つ鎖で繋がれている。魔法も使えない状態で、助かる術はない。

アトスが牢の鍵を開け、中に入ってきた。ぎらついた視線で、短剣の切っ先を私に向けている。


「大丈夫です、お嬢様。苦痛は少しの間です。喉笛を切り裂けば、数秒の間に意識は闇に沈みますので」

「いや……嫌ッ!!」

「あぁ、暴れないでください」


がっと髪を掴まれ、喉元に短剣を突きつけられた。

殺される。

そう思った途端、身体が震えて涙が溢れる。嫌だ。まだやり残したことが……たくさんあるのにッ!!


「では、の儀式への協力に感謝いたします、お嬢様」


冷たくそう言ったアトスが私の首に短剣を触れさせ、肌を浅く切る。

もう少し力を込めれば、動脈が切断され、私の生命線も切られることになる。あぁ、もう駄目だ。

恐怖と悔しさでいっぱいになりながら、瞳を閉じようとした──瞬間。



視界の端に、綺麗な紫電が映り、鉄格子が赤く染まりながら融解した。



え? と声を上げる暇もなく、私の首の短剣の刀身が半ばから折られ、眼前でアトスの頬に拳が突き刺さっていた。

何が起きたのか全く理解できない刹那の間に、私の鼓膜をこんな言葉が震わせた。


「道案内を感謝します、外道使用人」


聞き慣れたその声を発した人物は、アトスの頬に突き刺した拳を思いっきり振り抜き、固い壁を砕きながらアトスを遠くへと殴り飛ばした。

次いで、私の鎖が音を立てて砕け、優しく身体を抱きしめられた。


死の恐怖から解放された私は安堵のあまり涙を流し、最も信頼する彼の胸に顔を埋めた。


「セレル様……」

「遅れて申し訳ありません。ですが、もうしばらく待っていてください。今から、ふざけたことを言っていたあの腐れ外道を叩きのめしますので」

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