第26話 追跡

「ぐ──ッ」


不意打ちに防御魔法を展開することができず、僕は両腕で顔を覆って勢いよく降り注ぐガラス片をやり過ごす。けど、やはりシャツとローブだけでは耐久性に欠ける。易々と衣類ごと僕の肌を切り裂き、鋭い痛みと出血を伴う。

肌を伝う血が妙に生温かく、衣服に滲むと不快感が増す。幸い深手ではないけど、痛いものは痛い。

使用人の人たちはどうなったんだろう。

僕の近くで眠っていた人たちは窓ガラスから離れた場所に倒れていたので、怪我はない。この場所で負傷したのは僕だけだ。

切り裂かれた頬から流れる血を片手で拭い、電磁網に意識を向ける。


「……ダメか」


先ほどまであったシオン様の魔力反応は、ない。

同時に、傍にいた人物の魔力も消えている。ガラスが砕けてから僅か数秒という短い時間だったけど、高速で移動する魔法を使ったのか。

何にせよ、シオン様は連れ去られてしまったようだ。


「くそッ!!」


拾い上げたガラス片を床に叩き付け、自分の不甲斐なさに悪態を吐く。

僕は大馬鹿だ。一つの視点からしか物事を見ることができていなかった。無意識の内に、その考えを選択肢から除外してしまっていた!!


「セレル殿ッ!!」


と、公爵様が廊下を走りこちらに向かってきた。声色と表情からは焦りが感じられる。当たり前か。突然屋敷の使用人が全員眠りだして、尚且つ窓ガラスが盛大に割り砕かれたのだから。

彼は月明りに照らされた僕を見て、思わず息を呑んだ。


「ッ、負傷したのか!」

「傷は浅いので、問題はありません。それよりも……やられました」

「やられた、というのは、まさか」


嘘であってくれと願っているのだろうけど、事実を伝えないわけにはいかない。

心苦しいけど、受け入れてもらわないと。


「シオン様が連れ去られました。ガラスが割れた数秒という短い、本当に短い時間でしたが、その間に」

「……魔力を探知していたのでは、なかったのか? 貴殿がいながら、そう易々とシオンを連れ去れたと?」


怒りの矛先は、彼女を護衛していた僕に向けられる。

多分、公爵様自身も僕に対してそんな感情を向けるつもりはないのだろう。けど、現状そのぶつけ先が僕にしかないため、怒気の籠った声音を上げてしまうんだ。

それをわかっているからこそ、僕は冷静に伝える。


「盲点でした。今になって考えれば、どうしてシオン様を狙っている者が外部の人間だと決めつけていたのか。いや、僕がその秘書のことを知らなかったから、知らない魔力を持っていると勘違いしていたのでしょうが……何にせよ、敵は最初からこの屋敷にいたことに気がつけませんでした」

「屋敷の中に、だと?」

「はい。公爵様もよく知る──」


犯人の名前を公爵様に伝えると、彼は唖然として額に手を置いた。


「あいつが……俄かには信じられないが、確かに有事の際はすぐに駆けつけるはずなのに姿が見えないな。それが、現状何よりの証拠か」

「はい。そして、彼は公爵様の信頼も得ていましたので、疑うことすらしませんでした。まさか、こんな身近にいるなんて」


ギリッと歯を食いしばる。

自分の視野の狭さに苛立ちが増すよ。いや、それが奴の狙いなのかもしれないな。

強かな奴だ。


「……あいつは、シオンを一体何処に連れて行ったのか。そもそも目的は何なのか」

「目的はこの際、どうでもいいでしょう。最優先にするべきは、シオン様を奪還することです。このままやられっぱなしは御免被るので──雷天断章ラミエル


事前に召喚していた魔導書を眼前に浮かせ、魔力を込めてパラパラと頁を捲る。

魔導書と僕の身体に雷が迸る。

これをやるのは正直嫌なんだけど、嫌がっている暇はない。とにかく、シオン様を奪い返すことだけを考えよう。


「何をしているのだ?」

「僕の電磁網の有効範囲を拡大します。脳に負担がかかるので、あまりやりたくはないのですが、そんなことを言っている暇はありませんから」


大体五倍くらいにまで拡大することができるけど、普段からこんな範囲に張り巡らせていると、脳の魔力回路が焼き切れてしまう。そのため、普段は範囲を狭めている。拡大する時は、こうして雷天断章を使用する。

拡大した直後、屋敷から遠ざかり速い速度で進む魔力を二つ感知した。

一つは──シオン様のものだ。


「見つけました」

「本当かッ!?」

「この屋敷から西に──王都の外ですね。進む先にあるのは、確か……」

「古城だ」


そうだ。

王都外に広がる林の西方には小高い丘があり、そこには遥か昔に廃棄された古城がある。方角的、そこに向かっているのが確かだろうね。

目的地がわかればこっちのものだ。奴も速いけど、僕には敵わないだろうし。


「公爵様、僕はすぐに古城へと向かいます」

「わかった。しかし、手当てはいいのか? 浅いとは言っても、その怪我では何かと不都合があるように思える。特に、今回はほぼ確実に戦うことになるだろう」

「時間が惜しい。この程度なら大丈夫ですよ。相手がどれだけの実力を持っているのかわかりませんが、最悪、こちらには切り札がありますので」


ローブのポケットに入れてあった通信具を取り出し、魔力を込める。

この通信具は一つにつき一つの通信具としか交信することができない。僕が持っているのは二つで、今使っている物は、我儘王女様から強引に渡された物。つまり、相手は当然──。


『どうしたの? こんな真夜中にかけてくるなんて』

「ごめんよ、フィオナ。少し緊急事態でさ」


通信に出た相手──フィオナは僕の言葉を聞いた直後、神妙な声音で事情を聞く。

僕は手早く、シオン様が連れ去られたこと、犯人の正体、そしてこれからシオン様を奪還しに行き、戦いになることも伝えた。


『……何となく、貴方が言いたいことは察せたけど』

「助かるよ。一応、君に相談もなしに使うとマズイと思ったから、連絡をね」

『でも、わかってるわよね? それは最後の手段よ。可能な限り、雷天断章で戦って勝ちなさい。それが知られれば、貴方はどうなるか──」

「わかってる。だけど、命には代えられないから」

『……わかったわ。そもそもそれは貴方の力なのだし、必要と判断するのは貴方よ。でも、私が心配していることは忘れないでね』

「うん。ありがとう」


それを最後に通信を切断。

相変わらず心配性だな、彼女は。でも、大事に想われているからこそだし、それはありがたく受け取っておくよ。


「では、公爵様。行ってきます」

「あぁ。今の通信にどんな意味があったのかは、君たちしかわからないのだろうが、聞かないでおく。どうせ聞いても、教えてはくれないのだろう?」

「秘密というものが、僕らにはありますので」

「うむ。話せないことがあるのは仕方ない。だが、行く前に一つ」


公爵様は僕の肩に手を置き、絞り出すような声音で告げた。


「シオンを……私の大切な娘を、どうか救ってくれ」

「えぇ。お任せください。陽が上るまでには戻ってきますので」


頷きを返し、身体に雷を纏わせ割れた窓から外へと飛び出す。

方角は西。向かう先には古き城。

戦いの舞台はそこだ。心細くしているだろうお嬢様を助けないと。


屋根へと飛び乗り、王都の外壁を越え、僕は夜に沈む暗い林の中へと駆けた。

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