第25話 屋敷内の異変

その日の夜。

図書館から帰った僕は、薄手のネグリジェにベージュの上着を羽織ったシオン様と一緒に、彼女の自室にあるテラスに出ていた。

設置されている椅子に向かいあって座り、夜風に当たっている最中。

風呂上がりで火照った身体に、夜の冷たい風はとても心地いいね。


「いい場所ですね、ここは。こんなテラスが部屋に着いているなんて、流石は貴族様だと思ってしまいます」

「普段はあまり出ないんですけどね。偶に換気をする程度で」

「勿体ないですよ? 折角こんな素晴らしい場所を独り占めできるんですから」


カラン、氷の入った水を飲みながら言う。

僕の下宿先にあるのなら、毎晩風呂上がりに涼むために使うというのに。上流階級の特権というものか。

シオン様は手元に召喚していた魔導書を机の上に置き、くすりと笑う。


「なら、ここを毎晩使いますか?」

「それは流石にご遠慮しますよ。毎晩シオン様の部屋に来ていたら、公爵様に怒られてしまいますからね」


愛娘の部屋に護衛とはいえ、年頃の男が毎晩出入りする。

いい気分はしないだろうなぁ。自分に娘が居たら、僕もそう思う。俺の娘に何をしとるんだゴラァッ!!! なんていいそう。それはエゼルっぽいな。


「でも、考え事をするときは、少し使わせてもらってもいいかもしれませんね。今日みたいに」


何かに集中したい時、僕は一人きりの密室よりも、風に当たりながらリラックスできる環境の方が向いているんだ。その条件に、このテラスはぴったりとマッチしている。下宿先ではこんな環境を望むことはできないので、窓を開けてベッドに寝転がっているんだけど。


「考え事が、あるんですか?」

「ん? あぁ、考え事と言っても消えた秘書とレベスのことですよ。それと、襲撃された時のことを」


喉を水で潤し、シオン様に僕が疑問に思ったことを告げる。


「そもそも、下衆とはいえ貴族の秘書を務めるような人間が態々襲撃者の正体を知らしめるような短剣を渡すでしょうか?何だか、敢えて伯爵家が襲撃を企てたと教えているような気もしてならないんです」

「ミス、にしては大きすぎますね」

「決定的なミスを犯すことはないと思います。それに、襲撃者にも疑問が残ります。本来暗殺者などは捕まった時のことを考えて、奥歯などに自決用の劇薬を仕込んでおくものなんです。でも、それもなかった」

「確実に任務を成功させる自信があった、とか?」

「それも考えられなくはないですけど、可能性は低い。手練れの暗殺者は自分の力を過信しないものですからね」


その疑念を信じるとしたら、あの者たちは僕を殺すことを命令されていたけど、真の目的は僕らに情報を掴ませること?

でも、一体何のために。

考えられる点としては、伯爵に恨みがあり、遠回しに秘書が僕らに彼のことを伝えた。でも、この可能性は低いと見ている。もしそうなら、息子のレベスも一緒に捕まるように仕向けるはずだから。

同様に、逃げるという線もないね。レベスと一緒に逃げる意味はない。一人の方が逃走成功率は格段にあがるだろうし。


じゃあ、何のために?

ここから先は推測もできない。知るのは、消えた秘書のみだ。


「セレル様?」

「っと、ごめんなさい。思考に耽っていました」

「あんまりを根を詰めるのもどうかと思いますよ?」

「護衛をしている身ですからね。シオン様の身の安全に関わることなので、どうしても考えてしまいます」

「だとしても、気を休めることも大切ですよ。……そういえば」


シオン様は姿勢を正した。


「まだ、呪詛を解呪していただいたお礼を言っていませんでしたね」

「あぁ、別にお礼なんていいですよ」

「そういうわけにもいきません。私は命も、魔法士としての人生も救っていただきました。この大恩を感謝しないなんて、恩知らずにもほどがあります」

「そこまで大したことだとは思っていませんが……それに、シオン様も頑張ってくれましたし」


あの苦痛に耐えきることができたのは、彼女の精神力の賜物だ。

僕への感謝はほどほどにして、自分自身を褒めたたえてほしい。


「だとしても、セレル様がいなければ私は今頃死んでいました。命を救ってもらった以上、最大限の感謝をし、恩返しをしなければなりません」

「恩返し、ですか」

「はい! 何か、私にしてほしいことはないですか? できることなら、なんでもいたします!」

「……じゃあ、一つ」


シオン様の額を軽く小突き、人差し指を立てる。


「あぅ」

「そういうことは軽々しく言わないでください。相手によっては、危険なことを要求してくることもあるんですよ? 一晩共にしろ、とか」

「一晩共に……って」

「ご想像にお任せします」


シオン様は顔を赤くして頬を押さえる。

全く、箱入りに娘だな。今の内に教えておかないと、いずれ悪い人に騙されるかもしれない。

その点、フィオナは案外しっかりとしているのかもね。自分が下手に回るようなことは絶対に口にしないし。そう教育されていたのか。常に人の上に立てる存在であれと。


「せ、セレル様はそういったことをお願いされないのは、わかっていますから!!」

「当然です。貴女は公爵家の人間であり、それ以上にまだまだ子供です。そんなことを言えば、地下牢に入るどころか死罪を言い渡されますよ」

「……子供扱いされているのがちょっと気に障りますけど。それに……」

「それに?」


何かを言おうとしたシオン様は途中で口を噤み、頭を横に振った。


「何でもありません。それより、他に何かありませんか?勿論、こういうことは軽々しく言わないようにします。セレル様以外には」

「いやそこは僕も加えてください」

「嫌です。もう、信頼している証拠なんですから、そこは素直に受け取ってください」

「信頼されているのは嬉しいことですが……では、改めて一つ」

「はい!」


僕の瞳を見つめ、シオン様は膝に手を置いて待機。

後悔しても知らないよ?と思いながら、僕はお願いを口にする。


「新学期が始まってから、成績上位を取り続けてください。可能ならば首席。そうでなくても……上位十名には入ってください」

「……それで、いいのですか?」


そういう反応を示すか。

まぁ確かに、シオン様が成績上位を取り続けることは僕にとってメリットは別段ないように思える。だけど、そういうわけでもないんだ。特にシオン様は僕が勉学も魔法も教えてあげると約束した子。今後は図書館にも頻繁に顔を出してくれることだろう。

そんな彼女が成績上位を常に取り続けることは何を意味するか。


「僕が勉学を教えたシオン様が成績上位を取り続ける。それはつまり、あの学校の教師陣の教え方が僕以下ということの証明になります。僕が勉強を見てあげている子は他にも何人もいますので、その子と一緒に上位を取ってくだされば、僕が彼らよりも優れた授業ができるという証明になります。そのためにも、シオン様には頑張っていただきたい」

「そういえば、仲が悪いのでしたね……」

「えぇ。とっても」


仲が悪いどころじゃない。密かに僕はあの学校の教師陣が図書館に立ち入ることができないように魔法をかけているくらいだ。

二度と神聖な図書館に足を踏み入れさせるものか。


「わ、わかりました。まぁ、元から五位以内にはいたので、現状を継続できるように、尚且つ首位を取れるように頑張ります」

「よろしくお願いしますね。さて──」


立ち上がり、僕は部屋を後にしようと扉へと向かう。

流石にもう夜も遅くなっているし、僕も自室となっている部屋に向かって休もう。


「もう、行ってしまわれるのですか?」

「そろそろお休みになる時間ですよ。夜更かしすると、次の日に響きますから。シオン様も寝てください」


まだ起きていたそうだったけど、彼女は渋々テラスから室内に入り頷いた。

起きていたい気持ちは、わからないでもないんだけどね。


「……わかりました。おやすみなさい」

「えぇ。おやすみなさい」


パタンと扉を閉じ、廊下を自室に向かって進み歩く。

ふふ、魔法学校のテスト期間が今から楽しみだな。悔しい顔をしているあの教師陣の顔が浮かぶ。次のテストでは僕が教えた子たちで上位十名を全て独占してやるつもりでいこう。勿論、シオン様には首位になってもらう。

一体何から教えて行こうかと思案していると、前方から湯気の立ったマグカップをトレイに乗せた使用人──アトスさんの姿が。

会釈をし、声をかける。


「こんばんは。それは?」

「シオンお嬢様に持っていきます。以前、就寝前にホットミルクをお飲みなられると、よく眠ることができると言われていたので。最近は物騒なこともあり、またそんな中で勉学も頑張られているので。使用人として、せめてもの気遣いです」


おぉ。なんて気の利いた使用人なんだろうか。

なるほど確かに、公爵様が目にかけるだけのことはある。仕事も完璧にこなすというし、これは重宝するのも頷ける。


「では、冷めてしまいますので」

「お疲れさまです」


労いの言葉をかけ、僕は彼とすれ違った。


その後は特に何も考えるわけでもなくベッドに寝転がり、気づかない内に眠りについた。



「──ッ」


眠りについてから、どれだけの時間が経過しただろうか。

強烈な悪寒を感じた僕は瞬時に目を覚まし、身体の上にかかっていた布団を払い展開したままの電磁網へと意識を向ける。

たった今感じたのは、風邪を引いた時は全く違う悪寒だ。

具体的に言うなら、そう、氷が浮き冷えた水を全身に浴びた時のような、そんなもの。それに加えて、先ほどから僕の肌がピリピリとちりついている。

これは一体……。


「一先ず、廊下に出るべきか」


ローブを羽織った僕は扉を開けて廊下へと出て──絶句した。

部屋を出た廊下では、数人の使用人の方々が床に倒れ、壁に凭れ掛かり、意識を失っていた。胸が上下しているので、死んでいるわけではない。

恐らくただ眠っているだけなのだろうけど……。


「普通じゃない」


廊下で全員が眠りこけるなんて、そんなことあるわけない。

これは恐らく、何らかの魔法が発動している証拠だろう。強制的に眠りにつかせる魔法。僕が影響を受けていないのは、魔力による抵抗力があるからか。

何にせよ、まずはシオン様の無事を確認しなければ。


電磁網で感知している魔力を辿り、シオン様が部屋にいることを認識する。

……いるな。連れ去られたりはしていないみたいだ。

まぁ、そんな怪しい魔力反応があれば、僕は眠っていても気が付く──え?


「シオン様の傍に、誰かいる?」


感知している魔力反応は二つ。

でも、僕が警戒していたような怪しい魔力反応ではない。この魔力は、確か──と、意識をそちらに集中した時。


「──ッ、なんだ!?」


屋敷全体に濃密な魔力が接近。そして、数秒もしない間にその魔力は屋敷へと衝突し──廊下に月明りを差し込んでいた窓ガラスを、一斉に割り砕いた。

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