第15話 契約

ベルナール公爵の屋敷に到着し、僕らがすぐに通されたのは応接室ではなく庭園だった。季節の花が咲き誇るガーデンに、手入れを怠っていないのであろう樹木。加えて、汚れが徹底的に掃除されている石畳。

公爵家の屋敷に恥じない見事な庭園だった。


以前来た時は周囲も暗くよく見えなかったので、しっかりとこの眼に映すのは今日が初めてだ。


「王宮にも劣らない、素晴らしい庭ね」

「お褒めいただき、大変光栄でございます。フィオナ様」


入り口で僕らが立ち止まっていると、庭園中央からこの屋敷の主であるベルナール公爵様が歩み寄ってきた。いつもの厳かさはあれど、その表情は少しばかり緊張しているようにも見える。

まぁ、ことがことだし、緊張するのも仕方ないけどね。


「すまないな、セレル殿。本来の仕事もあったと思うのだが……」

「休館にしてありますので、ご心配なく。それに、魔導書の中でも高位の位階に属する智天書ケルビムとの契約をこの眼で見れるのですから、この機会をくださったことに感謝しているくらいです」

「そう言ってもらえるとありがたい。フィオナ様も、お忙しい中申し訳ありません」

「シオンは妹のように思ってる子ですから、彼女の大切な儀式を見届けることは義務でもあると考えています。今は、あの子の契約が無事成功することを祈りましょう」


優しく微笑みを浮かべたフィオナに、僕は内心で誰だ!? とツッコミを入れる。

先ほどまでの振る舞いとは違う、それこそ他の貴族と会話をする彼女を見る度に、僕はそんなことを心の中で思うのだけど。いや、本当に人は意識一つでここまで変われるものなんだなぁ、としみじみ思う痛ッ!!!


「(変なこと考えてるから、罰よ)」


公爵様が中庭中央におられるシオン様の方を見ている隙に、小声で言いながら僕の脇に強烈な肘を繰り出してきた。

人の考えを勝手に読むのはやめてほしいなぁ……。

すぐに公爵様が振り向かれるけど、全力で何もなかったですよという振りをする。でなきゃ、後から意地悪王女様に何をされるかわかったものではないからね。

幸い公爵様は何も気が付くことはなかったけど。


「ところで、公爵様。以前ここに来た際にはいなかった顔ぶれが何人かいるようですけど……」

「あぁ、分家の方から警備の強化ということで、何人かの使用人が送られてきたのだ。丁度、あそこいる男もその内の一人だ」


黒い髪をした紳士服に身を包む若い男性(僕よりは年上)は、公爵様の視線をすぐに察知して、こちらに駆け寄った。


「旦那様、御用でしょうか」

「いや、客人に新しい使用人が来たことを伝えていただけだ」


何でもないというと、彼は綺麗なお辞儀をして持ち場に戻った。

うぅむ。凄く洗練されている、というか訓練されているみたいだ。礼儀作法にはかなり厳しいと思う。


「彼は使用人筆頭で、アトスというんだ。魔法にも長けているので、家のことから護衛まで多方面に渡って力になってくれるだろう」

「凄いですね」

「あの年で大したものだと思っているよ。それより──」


公爵様は前方に視線を向けた。


「娘の準備は既にできている。しかし、非常に緊張しているので、二人から何か、励ましの言葉を送ってあげてほしい」

「僕らでいいんですか?」

「シオンはセレル殿とフィオナ様のことを、とても慕っているからな。私が何か言うよりも、何倍も力になるだろう」


僕とフィオナは庭園の中央で胸に手を当て、とても緊張した様子で立つシオン様へと視線を向ける。その周囲には、多くの使用人たちが固唾を飲んで彼女を見守っている。

皆、心配と期待でいっぱいなんだろうな。本当に愛されているお嬢様だよ、彼女は。

一度フィオナと顔を合わせ、僕らは並んでシオン様の元へと歩いた。


「かなり、緊張なさっていますね」

「──ッ、セレル様。それにフィオナ様も」

「大丈夫よ、シオン。きっと、魔導書は貴女を受け入れてくれるわ。傍に私たちもついてるから、心配せずに、どんと構えなさい」


シオン様の頭を撫でて激励するフィオナ。二人の様子は、仲睦まじい姉妹のようにも見える。フィオナは元々人を気遣うことができて、人当たりもいい優しい子なんだ。どうして僕にだけ理不尽なことを言ってくるのかは、わからない。というかそろそろ抗議してもいいんじゃないかな。照れ隠しが多いことはわかってるけど。


フィオナが目配せ。

うん、今度は僕の番だね。


「シオン様。ここで一つだけポイントを教えておきますね」

「ポイント、ですか?」

「はい」


魔導書との契約は、ただ自分と契約せよと思うだけではダメなのだ。

位階の高い魔導書になるほど、その傾向は強くなる。彼らはただの書物ではなく、生涯その人物と共に過ごす謂わばパートナー。

それに、高圧的な態度で契約を要求しても、失敗してしまうことが多い。

これはあまり知られていないんだけどね。


「簡単なことです。魔導書と貴女は対等な存在と思うんです。自分と契約をしろなんて上から目線で訴えかけてはいけません。命令ではなく、お願いをしてください。私と契約して、私のパートナーになってくださいと、心の中で訴えるのです。そうすればきっと、あの魔導書は願いに応えてくれます」


眼前に設置された台の上に置かれているのは、古めかしい古書。

僕の雷天断章とは違う、濃密な魔力を感じる。あれほどまでの魔力を持つ魔導書との契約をした暁には、シオン様はさぞかし教え甲斐のある魔法士の卵になってくれることだろう。


「はい、わかりました! ……あの、セレル様、一つお願いが」

「なんですか?」


シオン様は一度大きく深呼吸をし、胸に手を当てた状態で僕を見据えた。


「魔導書と契約ができたら、その……私に魔法を教えてくださいませんか?」

「えぇ。勿論いいですよ」

「へ?」


僕が即答するとは思っていなかったみたいで、シオン様はきょとんした顔をする。

別にそんなに驚かなくたって、僕は魔法くらい教えてあげるよ。


「図書館に来ていただければ、魔法の座学に関しては教えてあげられます。実技は……そうですね。図書館がお休みの日であれば」

「週に一日、ですよね?」

「そうなりますね。それ以上はちょっと難しいかと。なにせ、僕は司書ですから」


司書であって教師じゃない。

勉強は教えてあげられるけど、残念ながら時間もそこまであるわけじゃないんだ。

でも、僕も智天書を持つ子を教えることができるのは光栄なことだし、その成長を間近で見て行きたい。時間がない中でも、シオン様が望むなら精一杯ご教授させていただくつもりだよ。


「……そう、ですね。セレル様は、司書ですもんね」

「そうよ。だからシオン。あんまり我儘言っちゃ駄目よ? 当然、私とお茶する時間も確保できるのよね? セレル」

「いつも魔法学校がある時に来るじゃないか。それくらいの時間はね」

「よろしい」

「……フィオナ様。機会は平等にお願い致します」

「十分平等よ。シオンは学校が最優先なんだから、セレルが暇な時間は有効活用しないと」

「じゃ、じゃあ、学校が終わった後は私がセレル様と一緒に勉強させてもらいますから!」

「構わないわよ。ちゃんと彼から色々と学んで、強い魔法士になりなさい」


シオン様の頭を撫でた後、フィオナは僕に向かって目配せ。

わかってるよ。


「シオン様、そろそろ契約を致しましょう。大丈夫、貴女ならきっと契約できます。自分と、魔導書を信じてください」

「はい!」


それだけの返事が聞けたら十分だ。

僕はフィオナを連れ添ってシオン様から離れ、噴水の傍で彼女を見守る。


「心配?」

「まさか。シオン様なら、大丈夫さ」


視線の先で、シオン様が台上の魔導書に手を伸ばし、魔力を流していく。

数ヵ月間魔力を操っていなかったのに、スムーズに体内の魔力を流すことができたのは、流石は魔法名家の血筋というべきか。生まれ持っての才能というべきか。


契約の際に必要とする魔力は、およそ内包魔力の半分。

内包魔力の多いシオン様の半分なので、常人からすれば尋常でもない程の量になるだろう。急激な魔力放出に彼女が耐えられれば──その瞬間。


『──ッ』


轟ッ!と周囲に強力な風が吹き荒れ、思わず片手で顔を覆う。隣に居たフィオナは僕の腕に抱き着き、うっすらと目を開いて風が生まれた中心地を見やる。

凄い風だ。様子を見守っていた使用人の人たちも、顔を覆い、建物の陰に隠れ、風をどうにか凌ぐ。唯一公爵様だけが、風の吹き荒れる中微動だに顔を背けることもなくシオン様の方をジッと見据えている。


そこでは、シオン様の眼前に浮かんだ魔導書が微かに明滅しながら、頁を開いていた。風と共に感じられるのは濃密な魔力。その魔力は、徐々にシオン様が放出されている魔力と一体化、融合していくのが感じられた。


「お願い、私の力になってッ!!」


急激な魔力低下による虚脱感にも負けず、シオン様は懸命に魔導書に訴えかける。

その呼び声に応えるかのように、魔導書から発せられる強風は徐々に淡い水色の瘴気を含んでいき──直後、吹き荒れていた強風は急激になりを顰め、宙に浮いていた魔導書はパタンと閉じられ、シオン様の手元にゆっくりと落ちていった。


「……無事に終わったね」

「えぇ。よかったわ。本当に」


心底安心したように呟いたフィオナは僕から離れ、嬉し涙を流しながら魔導書を胸に抱きしめるシオン様の元へと歩いていく。

嬉しかったんだろうなぁ。ここ四ヵ月、治る見込みもない病気に悩まされ続けた末に手に入れた魔導書との契約だ。彼女の喜びがどれほどなのか、僕たちには想像もできない。


だから、僕たちにできるのは、喜びに泣くシオン様の傍へ駆け寄り、その喜びを分かち合ってあげることだけだ。


フィオナの後に続いた僕は、涙ながらに歓喜に震えるシオン様の頭に手を添えた。

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